2014年7月29日 (火)

土用丑の日とうなぎ

 
《6月20日のブログに書いたが、私は80歳を過ぎる今日までにウナギを食したことが1度しかない。初めて食し、食あたりした若かった当時の苦しみは、思い出すのも辛い。それから凡そ半世紀以上になる。子どもたちが夏休みに入った頃、店頭で、スーパーで眺める「うなぎ」には拒否反応の方が強い。最近ではスーパーなどでは、商売っけたっぷりに、夏以外の土用に「うなぎ」の宣伝が目につくようになった。》

《世界ではニホンウナギを絶滅危惧種として指定(今年6月国際自然保護連合〖IUCN〗)したが、日本では、反動のように蒲焼きの売上げは例年より大きく伸びているようだ。》

《そういえば、子どもの頃だが、海水浴に出かける夏休みもそろそろ終わる頃、「土用波が来るから気をつけるんだよ」は母から言われた言葉としてずっと心の中に存在し続けている。今考えれば颱風の発生によって日本でも太平洋側の海岸にうねりとなって打ち寄せる大波だから、日本海で育った子どもには心配になるようなことではなかっただろうが、荒れ模様になる午後の海には入らないように母親の知識としての言いつけは守った。》

《今まで「土用の丑の日」について深く考えたこともなかったが、なぜ、この日にウナギが食べられるようになったのだろうか。土用とは、丑の日とは、それが何故ウナギと結びつくことになったのか。》

 土用とは、五行(中国古来の哲理で、万物を組成する五つの元になる気。)で定められた暦。1年のうち不連続な4つの期間で,4立(立夏、立秋、立冬、立春)の直前約18日間ずつである。

 <一般的な『土用』>
 立春(2/3、4、5)の前約18日間(1/17〜2/3頃)
 立夏(5/4、5、6)の前約18日間(4/14〜5/4頃)
 立秋(8/6、7、8)の前約18日間(7/20〜8/6頃)
 立冬(11/6、7、8)の前約18日間(10/20〜11/6頃)

Photo_2 丑の日とは、
 十二支の「子、丑、寅、兎・・・」の丑のことで、
 約18日間の『土用』の期間のうち、12日間周期で割り当てられている十二支が『丑の日』の日が、
 『土用の丑の日』で、
 立秋前、夏の土用丑の日は、
 18日間を12周期で割り当てるので、平均1・5回。
 そのため、
 1年で2回『土用丑の日』が来る年もあることになる。
 因みに、今年の丑の日は、7月29日の今日になる。

 ウナギを食べるのは
 説はいろいろあるようだが、讃岐出身の平賀源内*が発案したという説が最も良く知られたもののようだ。それによると、商売がうまく行かないウナギ屋が、夏に売れないウナギを何とか売るため源内に相談する。源内は「本日丑の日」と買いて店先に貼ることを勧めた。するとそのウナギ屋は大変繁盛した、という。もともと日本では、暑い夏を乗り切る栄養をつけるための習慣だが、当時の話題を集めた『明和誌』によれば、安永・天明の頃(1772〜1788)よりの風習であるという。

 *平賀源内 (1728〜1780)は、江戸時代中頃に活躍した草本学者、地質学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家と、天才肌の人であったらしい。(Wikipedia より)
 

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2014年6月22日 (日)

中国「犬肉祭」で大論争

 毎日新聞(6/22)から、

 《またまた食文化について、異なる考えの人たち同士が、不毛の論争で争っている。同じ動物である牛や豚、猪に鹿、カンガルーにダチョウらは普通に食べられているのに、食べてはよろしくない肉があるとか。(この際、鯨やイルカは取りあげないでおく)》。

 中国・広西チワン族自治区玉林市で21日、市民らが集まって犬肉を食べるイベント「犬肉祭」が開かれた。だが、約1万匹が食肉にされることから、「動物虐待だ」と抗議活動に訪れた愛犬家と「独自の食文化だ」と主張する擁護派との間でもみ合いになるなど、大論争が起きている。

《中国に限らない、朝鮮半島では古くから犬の肉は、食用に飼育された犬を食べることが普通に行なわれていた。これが世界に知られて有名になったのが、ソウルオリンピック(1988年)だった。一気に残酷だという世論が起こり、当局の取り締まりが行なわれ、食堂、犬の肉を提供する食事どころは街の表通りから裏通りへと移動させられ、厳しい管理下に置かれた。(2008年の北京五輪の際も同様の話題が賑わった。)しかし、2008年ごろから再び食べられるようになっている。現在、犬肉料理は北朝鮮では「タンコギ」、韓国では「ポシンタン」とよばれ、東京・新大久保でも数店が取り扱い、日本人で食べる客もいるようだ。》

《10年近く前、東京・小菅で犬の肉が騒ぎになったことがあった。》 
 参照 間の抜けた話 2005/12/

 中国東北部や南部では犬肉を食べる習慣があり、玉林市では夏至の日に犬肉とライチを食べる「玉林ライチ犬肉祭が」1995年から開かれてきた。だが,本物の犬肉だと証明するために業者が客の目の前で犬を殺すため、愛犬家や著名人などから激しい抗議を受けるようになっていた。

 中国メディアによると、玉林市では抗議に来た愛犬家に「買わなければこの犬は殺すぞ」と高値で売りつける業者が出現。一方で、犬肉を提供する食堂の社長に「家族の安全に注意しろ」と脅迫電話が殺到したり、看板の「犬」の文字を隠して営業する食堂も出たりした。

 玉林市政府は今月6日、「業者が『犬肉祭』と呼んでいるだけで、市政府が主催したことはない」と無関係を強調。街頭で犬を殺すことを禁止する通達も出したが、犬肉を食べることは規制しておらず、食文化を巡る問題にどう対応すべきか苦慮しているようだ。

 インターネット上では「残酷だというのは時代の変化だ」との声とともに「食べないのは自由だが、我々に干渉するな」との声もある。犬肉祭をめぐっては、浙江省金華市が世論の批判を受け、2011年に600年以上続いてきた「金華湖犬肉祭」を廃止している。

《日本であるように、他国や団体からの抗議や非難があるのとは違い、中国という自国内での意見や価値観、生命観、宗教観などの違いで、いずれは自国内で落ち着くところに落ち着く。外国やある種団体から、この問題に口を挟むことは余計なお世話になるというものだ。》 

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2014年1月 6日 (月)

新藤総務相の靖国参り

 毎日新聞(1/3)から、

 参照 ただ「道理が通っただけのこと-「沖縄ノート」訴訟 2008/03/

《「グローバル、グローバル」と掛け声だけは響きはいいようだが、安倍晋三からして海外の国々に波風立てる言動が続いているが、その波を一層の大波にするような国際感覚のカケラもない新藤義孝(総務相)とか言う阿呆が、A級戦犯がこっそりと合祀されたことが毎日新聞に素っ破抜かれたことを知ってから、日本の象徴とされる天皇でさえ参拝しない靖国へ、ノコノコと出かけた。安倍も口にする「国に命を捧げた英霊に」の『国』は、現在の人間天皇ではなく、神国日本の神と崇め奉られていた元首天皇時代の『神の国』を指す。今、安倍が憲法を変えてまで狙う軍国日本の姿であった時代の『神の国』のことだ。》

《赤紙1枚(召集令状)で集められ、戦地に送り込まれた人たちが、国のために命を賭して戦って死んだ人たちを祀っているのが靖国神社だ。西南戦争で、政府軍に歯向かったとして西郷隆盛が靖国に祀られていないのはその理由だ。そこに、太平洋戦争開戦時、国のため天皇陛下のためにと、戦って死ぬことを命じ、戦地に送り込んだ陸軍大臣であり開戦時の首相でもあった東条英機らA級戦犯が、結果、国までも滅ぼしておきながら、平然と合祀されているのだ。》

《昭和天皇が、自らの開戦の責任(統帥権のもと、上官の命は直ちに朕が命と心得よ)を戒め、合祀が知られて以来の参拝中止を決断したのは天皇自らの反省の結果だ。それを具(ツブサ)に学んでいた現天皇もまた、父天皇の意志を理解して皇位についてこの方、靖国を参拝しないものと推察する。》

《それを戦後生まれで日本近代史から学ぶことをしないで、自らの未熟な歴史観で、命じられて死んだ人たちを冒涜するように、合祀されていることでA級戦犯も併せて安かに眠れと祈るのは、終戦の8月15日に武道館で行なわれる全国戦没者(旧日本軍人約230万人、一般市民約80万人)追悼式には訪れても、決して靖国神社には詣でない天皇陛下への当てつけのつもりか。私は諸外国への波紋を問題にはしていない。日本人自らの歴史認識として祀ることに意義があるのなら、それに相応しい人の祀られる、そして誰でもが参拝できる神社であってほしいと願うだけだ。》

《* 安倍晋三は昨年の追悼式には出席したようだが、これは第1次内閣のとき、靖国参拝ができなかったことを「痛恨の極み」と残念がっていたことと合わせ、昨年暮れに行なった靖国詣での前座として、彼なりに世相を読む魂胆でもあったとしか思えない。》

【閑話休題】
 新藤総務相は1日、靖国神社を参拝した。安倍晋三が昨年12月26日に参拝し、中国、韓国が激しく反発、米国も「失望」を表明する中での現職閣僚による参拝となった。中韓両国は反発を強めている。新藤は参拝後、記者団に「戦争で命を落とした方々に尊崇の念を込めてお参りした」と説明。中韓からの批判について「どの国でも国のために命を捧げた方々には同じような行為がなされている」と問題にはならないとの認識を示した。家族と参拝しており、私的な参拝との考えも示した。

 新藤は、太平洋戦争の激戦地・硫黄島で指揮をとって戦死した栗林中将の孫。2012年12月の安倍政権発足とともに閣僚に就任し、以来、昨年1月の初詣、春(4月)と秋(10月)の例大祭、終戦記念日(8月15日)などに参拝した。昨年最後の記者会見で「初詣にまた行こうと思っている」と明言していた。

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2013年10月27日 (日)

和食、世界遺産に

 毎日新聞(10/27)”社説”から、

 「和食」がユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界無形文化遺産として12月に登録される。

《えっ? 現在の日本にとって和食は危機遺産じゃないの? 魯山人を鑑とするような文化遺産としての和食なんて上流階級、或いは成金の人間たち、言うなれば一見さんお断りのような所で口にできるものではないの? 一般の日本人には政府が言う文化遺産としての「和食」と呼ばれるものは、生涯かけても見ることもできず口にもできまい。現在の一般の日本人はインスタント食品、レトルト食品、寿司でもぐるぐる回って配膳してくれる回転ものが圧倒的な「和食」だろう。外国人の舌で評価された星を幾つか推し頂いて、悦に入るような調理場があるようでは、日本人の味覚などたかが知れたものだ。鯨が最早日本人の食文化とは呼べなくなったように、いずれは、或いは早々に消えゆく運命にあるものと覚悟した方がいい》。

 政府は登録をきっかけに、和食を海外に積極展開し、日本産の農水産物の輸出拡大も図る考えだ。私たちも、その奥深さと可能性を再認識し、すたれさせることなく伝えて行きたい。

 日本の無形文化遺産は歌舞伎、結城紬などに次ぎ22件目。食の関係ではフランスの美食術、イタリアやモロッコの地中海料理などがすでに登録され、今回は韓国の「キムチとキムジャン文化」も内定した。

 和食が、世界に誇るべき特色は幾つもある。

 まず、自然を大事にしている点だ。素材の旬にこだわり、地域の風土・気候に根ざし、材料を最後まで使い切って無駄にしない。

《下層階級には理解できないが、うたにも詠まれてきた季節にうつろう旬の料理が高級料亭にはあるのだろう。下世話な社会のスーパーには年中通して春野菜、夏野菜、冬野菜が、また、養殖や缶詰、冷凍による魚類も季節にはあまり関係なく出回っている。》

 また、見て美しく楽しい。どこから眺めても同じ姿の対称的な盛りつけでなく、四季のうつろいも取り込んで食べる人を喜ばす。

 多様な調理法も例を見ない。生のほか、焼く、煮る、蒸す、揚げる、あえる、発酵させる、干すと幅広い。この結果、包丁などの道具、食べ物を盛る皿や器も多彩だ。

《それらのことやものは、大なり小なりどこの国でもやっていることだ。》

 さらに「だし」に代表されるうまみが味の土台をつくっている。うまみは4番目の味覚として、英語でも「UMAMI」と表現される。そして、動物性脂肪が少なく食物繊維が多いので、健康にいい。

 こうした特色に加え、「おせちと正月」など年中行事に深くかかわり、家族や地域の絆を生んできた文化的な側面も評価された。

 国際的な和食は注目を浴びている。日本食レストトランは各国で人気だし、欧米の料理人には「だし」を使ったり、ゴボウやカブ、ユズなどの食材を用いたりする動きがある。

 こうした一方で、和食の未来を支える足元は危うい。

 家庭でもアジアや欧米の料理が、手軽に食べられるようになった半面、和食に親しむ機会は減った。伝統野菜など地域独自の食材や昔ながらの料理法は、大量生産が進む中で途絶えかけているものもある。

 食品会社が2011年に発表したアンケートによると、「昆布、かつ節、煮干しなどの素材からだしを取っている」との回答は2割に過ぎない。一人きりで食べる「狐食」や、家族一緒でも各自がばらばらに好きなものを食べる「食卓崩壊」という現象も近年問題になっている。

 世界への売り込みも大事だが、学校や地域で和食の魅力を味わい、特色を学び、食材や調理法を受け継いで行く取組みが欠かせない。和食に育まれてきた私たち自らが、世界に向けて胸を張って、その価値を語れるようにしよう。

《どこの家庭でも一食はパンを食するのが現在の日本の家庭の食事事情だろう。加えて肉食文化、ラーメン文化が浸透してきて和食はすでに前世紀の遺物の様子を窺わせる。登録するのなら、どうしても危機遺産だろう。》
 

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2013年10月25日 (金)

ハロウィーン

 毎日新聞(10/24)から、

《お正月、桃の節句、端午の節句など、年々寂れて行く日本本来の五節句などと比べ、敗戦後いち早く日本上陸を果たしたクリスマス、その盛り上がりに遅れじと商売気を出したバレンタインが、続いてホワイトデーが。今度は儲かるなら何でも、とカボチャのお化けが大人気だという。ハロウィーンで思い出すのは当時アメリカ留学中だった16歳の日本人男子学生が、1992年のハロウィーンパーティーに出かける途中、立ち寄る予定だった知人宅を間違え、侵入者と思われて射殺された事件だ。事件を覚えている人たちにとっては浮かれはしゃげる日ではないのだが・・。》

 欧米のお祭りながら、日本でも秋の風物詩として定着しつつある31日の「ハロウィーン」。年々盛り上がりを増し、いまや市場規模はバレンタインデーに匹敵するほど。その楽しみ方にも変化が現れている。

 神奈川県藤沢市在住の大淵麻衣子(37)は無類のハロウィーン好き。今年は長女の結月(2)のために、「不思議の国のアリス」んお衣装を用意した。大淵は「私も豪華なドレスを着て親子で屋外イベントに出かけます」と意気込む。

 ネット通販大手の楽天市場では9月のハロウィーン関連売り上げが2012年の1・7倍、11年の3倍に達した。一般社団法人日本記念日協会によると、今年のハロウィーン市場は1000億円を超える見通し。「ホワイトデー(約640億円)を既に超え、バレンタインデー(約1300億円)に迫る勢い」という。

 ハロウィーンといえば、菓子類や小物など手頃な商品が定番だったが、今年は1着5000円前後のコスプレ(仮装)グッズなどが人気。楽天の担当者は「『親子でコスプレ』が今年の流行。2着で2万円以上する高額品も現れた」。

《親子とはいいながら、入園入学式に卒業式、七五三、全部、着飾るのはほぼ子どもをダシの母親が定番だ。》

 ホテル日航東京(東京都港区)は、ハロウィーンを楽しむママ友パーティープラン(31日まで)を昨年から提供している。子ども用衣装を貸し出し、料理にカボチャの冷製スープやパンプキンパイが付く。最少催行人数(大人4人)で2万4000円(子どもは1人3000円)と値が張るが、担当者は「去年より問い合わせが多く、関心が高い」。

 一方、アサヒビールは26日夜、東京・渋谷での大人向けイベントに米国産国級ウイスキーのジャック・ダニエルを初めて提供。ハロウィーンは子ども向けの行事から「大人も楽しめるゴージャスなイベント」へと進化しつつあるようだ。

《ようもこれだけコマーシャリズムに踊らされて、浮かれはしゃげるものだと思う。日本人とはどこまで軽佻浮薄な情けない民族なんだ。これを「進化」とは・・・。》

 もともとハロウィーンは古代ケルト人の収穫感謝祭で、移民によって米国に伝わった。キリスト教の万聖節の前夜(10月31日)、祖先の霊とともに悪霊が訪れるとされ、魔除けにカボチャをくり抜いて目鼻をつけた提灯を飾るほか、子どもが魔女や怪物に扮装して近所からお菓子をもらう、米国風の秋祭りとして育った。ここ10年ほどで日本でも急速に浸透。川崎市で毎年行なわれる仮装パレードには、例年10万人を超える見物客が訪れる。

 なぜ日本でこれだけ定着したのか、電通総研電通若者研究部の奈木は「古来、八百万の神をあがめる日本人は、クリスマスなど外国の宗教行事も楽しいイベントとして受け入れやすい国民性なのでは」と指摘。その上で「20代の若者と、幼児を持つ若い母親が牽引役」と見る。

《神仏に無関心な現代日本人を、八百万の神性と結びつけるなどナンセンスなことだ。》

 「リアルな場で仲間とつながることを重視する20代の若者はイベントを誰と楽しむかが重要で、仮装して一緒に盛り上がれるハロウィーンは絶好のネタ。若い母親は仮装させた子どもの写真をSNSで公開するなど、ファミリーイベントとして支持されたことも大きい」と分析する。

 

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2013年4月23日 (火)

靖国参拝

 毎日新聞(4/23)から、

 「麻生太郎このバカなるもの」が靖国参拝にでかけた。

 参照 麻生太郎、このばかなるもの 06/02/
    続・麻生太郎、このばかなるもの 2007/07
    続々・麻生太郎、このばかなるもの 2008/11/

《不気味な軍靴の足音が響き始めた。学校で日本の近現代史を教えられてこなかった戦争を知らない世代の国会議員たち、安倍晋三が捧持する軍旗のもと、23日朝には付和雷同の169人の有象無象たちが、皆で渡れば怖くないとばかりに足並み揃えて日本を右へ右へと導こうとしている行列の後についた。真っ先に先陣を切って追従したのがあの、歴史認識のないバカなる麻生だ。安倍晋三の「勝者によって裁かれた戦争犯罪人たちは、国内的には犯罪人ではない」という全く歴史認識に乏しい屁理屈に勇気づけられたかのように、靖国に詣でた。確かに東条英機を始め、国民を戦地に駆り立て、天皇陛下のために『最後の1兵になるまで戦え、捕虜になるくらいなら自ら死ね』と海に陸に死地にと急がせ、日本全土に、いや広島や長崎に原爆が落ち、国土を焼け野原にするまでを導いたA級戦争犯罪人が合祀されていなければ、参拝にも意味はあろう。しかし、勝者が裁いたのがいけないとはいいながら、それに代わって日本人の誰一人、日本人の手によって自らが、他国への侵略、植民地政策を裁き、結果、国土を灰燼に帰させた為政者たちの戦争責任を、ドイツ国民のように追及したものがいなかっただけなのだ。靖国にぬくぬくと祀られているA級戦犯たちは、国内的にもまさしく日本を灰燼の地にした全国民に対する戦犯というべきなのだ。メディアを筆頭に戦意高揚を叫んだ従軍記者、作家、画家、音楽家たちさえ、半世紀以上を過ぎた今、懐古的に残された作品が日の目をみるように懐かしがられているが、敗戦後、彼らの多くはひっそりと身を隠すように戦争協力の誹りを逃れていた。さらに開戦と同時に真っ先かけてバンザイ、バンザイの旗を振ったマスメディアに至ってはその総括さえしないままだ。》

【閑話休題】“社説”から、
 国の内外の人がわだかまりなく戦没者を追悼できるようにするには、どうしたらいいか。この重い問題に政治が答えを出せないまま、今年も靖国神社の春季例大祭が巡ってきた。これまでに麻生太郎副総理兼財務相ら3閣僚が参拝し、安倍晋三首相は参拝を見送ったが、供え物の眞榊を奉納した。

 韓国外務省は今回の事態を受けて、今月中に予定していた尹炳世外相の訪日を中止した。

 北朝鮮が弾道ミサイル発射の構えを崩さず、日米中韓が連携して北朝鮮の暴発を食い止めるべき時だ。靖国参拝をすぐに外交問題に発展させる韓国側の対応は冷静さを欠いている。だが、緊迫した状況下で「安倍内閣ナンバー2」の麻生副総理ら閣僚が靖国参拝に踏み切り、首相もこれを容認したことは、北朝鮮問題での中韓との連携を難しくし、結局は日本の国益を損ないかねない。無神経な行動と言わざるを得ず、極めて残念だ。

 第一次安倍内閣で首相は、在任中、靖国に一度も参拝しなかった。前任者の小泉純一郎元首相の参拝で悪化した日中関係を改善するためで、「行くとも行かないとも言わない」という「あいまい戦略」をとった。

 麻生氏も外相、首相として在任中は参拝しなかった。両氏とも自制的に対応したと言える。

 しかし首相は、前回の首相在任中に参拝できなかったことを「痛恨の極み」と語り、後悔しているようだ。今回の内閣では参拝したいという意思表示とも受け取れる。安倍政権を支持する保守層は、終戦記念日よりも、靖国の秋季例大祭での首相参拝を重視し、実現を狙っているようだ。今回の首相の眞榊奉納と麻生副総理の参拝が、夏の参院選対策や、在任中の首相参拝への布石だとしたら、受け入れられるものではない。

 首相や閣僚の靖国参拝の是非について国論が割れてきたのは、
 ① 憲法20条の政教分離原則に抵触する疑いがある
 ② 極東国際軍事裁判(東京裁判)のA級戦犯が合祀された靖国への参拝は中国などから侵略戦争の肯定と受け止められる⎯⎯⎯⎯⎯という主に二つの観点からだ。首相は、日本が東京裁判を受諾した歴史的事実は受け入れる立場を示しているが、東京裁判については「連合国側の勝者の判断によって断罪がなされた」と疑問を投げかけている。

 A級戦犯の分祀論や無宗教の国立追悼施設の建設案にも、首相は慎重とみられている。靖国参拝をどう考え、今後、どう解決していくつもりか。国民への説明を曖昧にしたまま、既成事実を積み重ねるようなやり方は許されない。首相は自らの言葉で語るべきだ。

《勝者による断罪、であっても爆撃に逃げ惑い、家を焼かれ、父や兄弟が戦死していた家族たちには、日本が負けた戦争は、これからは逃げ回らなくても、これ以上死ななずに生きていくことができる世の中が来た幽かな希望に、胸を撫で下ろしたものだった。その後の東京裁判で、戦犯たちが絞首刑になった新聞紙面を、裁かれて当然の思いで眺めたものだ。》

 参照 遂に馬脚を現した 2006/08/
    分祀でなく、出てもらえばよい 2006/08

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2013年4月18日 (木)

米銃規制、廃案に(「恥ずべき日」とオバマ大統領)

 毎日新聞(4/18)から、

《期待どおりと言うべきか、やっぱりと言うべきか、アメリカにはまだまだ成熟した民主主義は定着していない。》

 参照 懲りないアメリカ 2012/12/
    市民の銃所持禁止は違憲 2008/07/
    拳銃所有 2008/05/
    銃規制 無理だろう 2007/04/
    銃社会の民主主義 2006/10/

 米上院(定数100)本会議は17日、現在は登録業者だけに義務づけられている銃購入者への犯罪歴などの身元調査をインターネットを通じた販売や銃の展示即売会にも広げる銃規制強化法案を裁決した。賛成は可決に必要な60票を下回る54票で法案は否決・廃案となった。オバマ大統領が2期目の中心課題の一つに掲げる銃規制強化が事実上頓挫し、政権への大きなダメージになりそうだ。

 法案は民主、共和両党の有力議員がまとめた。上院で民主党は55議席(無所属2議員を含む)を保持するが、大統領が強く主張してきた殺傷能力の高い銃器の販売を禁止する法案は可決ラインに遠く及ばないと判断。米国民の9割が支持する身元調査強化の法案について、共和党を巻き込んで可決を目指した。しかし、足元の民主党で5人が反対した。

 米国では犯罪歴のある人の銃所持を禁じており、登録販売業者は購入希望者の身元調査を連邦政府に照会することが義務づけられている。ただ、インターネットや展示即売会は対象外で、銃販売の約4割が,身元調査なしに行なわれている。こうした販売を規制し、危険な人物が銃を入手しにくくするのが法案の狙いだった。

 米連邦議会で包括的な銃規制法案が審議されるのは1994年以来約20年ぶり。昨年12月に児童ら26人が殺害された米東部コネティカット州のサンディフック小乱射事件を受け、オバマ大統領は殺傷能力の高い銃器の販売規制などに取り組む姿勢を鮮明にした。

 しかし、米国憲法修正第2条は武器保有の権利を明記しており、全米ライフル協会は規制の動きは銃を持つ権利への無用な侵害だと反発していた。反対の共和党に加え民主党でも14年の中間選挙を意識した慎重論が出ていた。今回反対した民主党5人のうち3人は中間選挙でいずれも苦しい戦いが予想されている。

 オバマ大統領は17日、上院が銃規制強化法案を否決したことを受けてホワイトハウスで記者会見し、「ワシントンにとって非常に恥ずべき日だ」と述べ、拒否票を投じた上院議員らを非難した。そのうえで「この取り組みは終わらない。これは1回戦に過ぎない」と語り、引き続き銃規制強化を目指す考えを強調した。ともに会見した米東部コネティカット州のサンディフック小乱射事件で7歳の息子を失ったバーデンは「私たちは失望して家に帰るだろう。しかし、我々はくじけていない」と語った。

《1776年の独立宣言から間もない1791年に、憲法の修正第2条として「人民(民兵)の武装権*」が認められたことで、21世紀の今日にも、この黴の生えたような条文がある限り、アメリカ社会から銃による暴力がなくなることはないだろう。 *・・ 「拳銃所有」を参照。》

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2013年3月31日 (日)

4月28日、祝う日より考える日に

 毎日新聞(3/31)『社説』から、《》内は私見

 政府が4月28日に開催する主権回復記念式典に対し、沖縄県の反発が強まっている。この日はサンフランシスコ講和条約が発効し米国の占領が終わった日だが、同時に沖縄、奄美、小笠原が切り離されて米国の統治下に置かれたため、沖縄では4・28を「屈辱の日」と呼んでいるからだ。式典開催にあたっては、同じ国内にこうした歴史認識の違いがある現実を忘れてはならない。

《4月28日を主権回復の日とするのは安倍晋三の個人的歴史認識であって、政府主宰の式典行事とするものではないだろう。1度はA級戦犯に上げられ,米ソ対立の激変から急遽戦犯指名を解かれた岸信介(A級戦犯で絞首刑になった東条英機内閣で、商工大臣として太平洋戦の物資動員のすべてを扱った)を母方の祖父に持つ屈折した歴史観と、選挙システムのマジックで、衆議院で員数だけは大量に議席を増やしたが、選挙民からの得票数は投票数の半分にも満たない支持を後ろ盾に、総理の座についてからは、大勝利気分で浮かれ切った言動が続いている。安倍個人の偏った歴史観で開催しようとするこの式典を、いくら右傾化した政府の人間たちといえども、沖縄の置かれている現状と照らしても、皆が「右に同じ」で異議なく賛同しているとは、とても思えないのだが。》

 戦争に敗れた日本は、7年近い連合国軍総司令部(GHQ)の占領統治を経て1952年の4月28日に正式に独立を果たし、やっと一人前の国家として世界から認められた。近代国家が独立の節目の日を大事にするのは自然なことだろう。

 講和条約発効によって日本は戦前の植民地などの領土を放棄し、東京裁判を受諾した。同時に日米安保条約も発効し、吉田茂首相の下で西側自由陣営の一員としての一歩を踏み出した。吉田ドクトリンとも呼ばれる軽武装・経済成長路線は、日本の平和と繁栄の礎となった。

 その一方、取り残された沖縄はその後20年に及ぶ米国統治を経て、72年5月15日にやっと本土復帰を果たした。今に至る米軍基地の過度な集中とそれに対する沖縄の怒りの原点は4・28にある。その意味では戦後日本の明も暗も、すべてがこの日から始まったと言っていい。

 であるなら、4・28を単に米国の占領のくびきから解き放たれた日として祝うのは、思慮に欠ける振る舞いだ。ましたや、憲法など占領期に形づくられたものを否定するためのような、保守イデオロギー色の強い式典であってはならない。

 むしろ、なぜ米国の占領統治に至ったのか、なぜ戦争を防げなかったのか、なぜ戦前の日本は世界から孤立したのかを考える日であるべきではないのか。その反省を踏まえ、二度とあのような失敗を繰り返さないためには何が大切なのかを深く自問自答する日にするのである。

 世界から見るなら4・28は、戦前の軍国主義と一線を画して平和主義の国、自由・人権・民主主義を基本とする国際協議的な国に生まれ変わった日本を迎え入れた日である。その視線を忘れず、常に国際社会の中の日本であり続けなければならない。

 若い世代には米国に占領された歴史も、講和条約と日米安保条約が同時に発効した事実も、知らない人が増えているという。歴史に学ぶことが必要である。4・28は私たち一人一人が過去の出来ごとと真摯に向き合い、若い世代も含む全ての日本人が過ちなき未来を思い描く機会にしたい。そのためにも式典はできるだけ簡素が望ましい。祝う日でなく、静かに考える日としたい。

Th__2 たまたま30日、連合国軍総司令部(GHQ)民政局のスタッフとして、日本国憲法の男女同権条項を起草し、昨年12月に89歳で死去した米国のベアテ・シロタ・ゴードンさんをしのぶ会が、東京都内であり、親交のあった人ら約280人が出席した。

 開催を呼びかけた元文相の赤松良子は「改憲の動きのある今だからこそ、ベアテさんのことを伝えたい」と挨拶。この日に合わせ来日した長女ニコル(58)が「母は死ぬ直前まで日本の憲法に思いを寄せていた。死後も憲法を守る役に立てれば母も嬉しいと思う」と話した。

 2月に死去した岩波ホール総支配人高野悦子の提案で2004年につくられたドキュメンタリー映画「ベアテの贈りもの」を上映。集まった人たちは「男女同権を書いた憲法24条が毎日の生活に生きる時が来ることを願っています」と語る生前のベアさんとスクリン上での再会となった。

 ▼ペアテさんは2000年5月2日に国会の憲法調査会で意見陳述し、
「日本国憲法は世界に誇るモデルだから50年以上も改正されなかった。他の国にその精神を広げてほしい」と訴えた。

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2012年8月25日 (土)

NY中心部で発砲事件

 毎日新聞(8/25)から、

《同様の事件が1カ月ばかり前にあったばかりだ。繰り返される事件から未だに何も学ぼうとしない拳銃依存国アメリカの現実がここにある。参照 銃乱射 容疑者は医学生 2012/07 》

 米ニューヨーク・マンハッタン中心部のエンパイアーステートビル前で24日午前9時(日本時間同日午後10時)ごろ、男が元同僚の男性を射殺、男は間もなく駆けつけた警察官らに射殺された。この間、通行人ら9人が負傷したが、警察官の発砲による可能性もあり、ニューヨーク市警が捜査している。

 市警のケリー本部長によると、男はジェフリー・ジョンソン容疑者(58)。ビルの近くにある女性用装飾品会社にデザイナーとして勤めていた。だが約1年前に会社の経営合理化で解雇され、被害者の41歳の副社長に不満を持っていたという。

 また米メディアによると、副社長は会社から出てきたところで、容疑者に撃たれた。容疑者はフロリダ州で91年に合法的に拳銃を購入していたが、ニューヨーク市で銃を所持する許可は持っていなかったという。

 エンパイアステートビルはニューヨークの観光名所で、事件発生時に現場付近は観光客や通勤者で混雑していた。通勤途中に撃たれた副社長が倒れているを目撃したというグラフィック・アーティストのジャスティン・ケリス(35)は「ニューヨークは安全になっていたのに、ショックだ」と語った。

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2012年7月30日 (月)

メディアは飲酒問題の本質に切り込め

 毎日新聞(7/31)、札幌医科大教授・齋藤利和(精神神経学)から、《》内は私見。

 5月7日、小樽商科大学のアメリカンフットボール部員9人が花見での過度の飲酒で急性アルコール中毒となり、病院に救急搬送され、うち1人が意識不明の重体に陥り24日夜、死亡した。山本学長は25日、部員を集めた説明会後、部員の総意として、部の解散願いが提出されたと説明した。副学長をトップとする大学の委員会は6月27日、全部員への聞き取り調査を基に「上級生らによる具体的な飲酒の強要はなかった」との報告書を公表したが、学長は個人的な見解としながらも強要があったとし、「酒をたくさん飲むのが良いという部の雰囲気や伝統は強要にあたる」としたという。小樽商大は、この飲酒事故について8人の無期停学を含む学生計50人の処分を、また学長、副学長の減給処分を発表した。

《花見酒を喰らったというからには、少なくとも全員が成人だろう。『大男、総身に知恵は周りかね』で、急性中毒になろうと、死のうと自己責任の範疇だ。なにも学長や副学長が責任を取ることもない。酒を強要する阿呆に飲む阿呆だ。》

 これらの一連の記事は、飲酒の強制─事故─処分(飲酒規制を含む)という枠内で論じられている。飲酒問題の本質に切り込み、解決を論じるにしては物足りなさを禁じ得ない。第一には事故の詳細が報道で明らかにされていない。急激な飲酒で血中アルコール濃度が1㎗中、400mg以上になると呼吸麻痺や循環器障害によって死に至る。しかし、実際、飲酒が原因の死の多くは嘔吐物の吸引による窒息死である。それなら周囲のものが注意することで事故は防げたかもしれない。アルコールの代謝は個人によって異なる。飲酒量が同じでも、酩酊の重症度は人によって違うという基礎的知識は教えられていたのだろうか。

《酒飲みには何を言っても始まらないが、酒を飲んでも人によって酔い加減が違うことぐらいは、大学生になるまでに、教えられなくても町じゅうの至る所で見聞きしてきたろう。また話しにも聞いたろう。それよりも、日本人にしっかりと刷り込まれているのが「酒は百薬の長」だ。少々のことは「酒の上のこと」で済まされる日本特有の酒文化がある。世間も酒には滅法弱い。》

 さらに「部の雰囲気や伝統」を強要というなら、問題の解決には、飲酒問題にとどまらない広がりと深さが要求されよう。無論、大学だけの対応にすべてを期待するわけにはいかない。「飲酒文化」がないところでは、異常な飲酒に陥りやすい。わが国における伝統的な飲酒文化は家庭で「晩酌」が見られなくなったように、消滅しつつある。新しい健全な飲酒文化を築かなければ、問題の解決にはほど遠いであろう。

 キャンパス内での一方的な飲酒規制や飲酒事故に対する厳罰化は、効果が期待できない。社会運動、教育、それらを支える研究という視点が必要なのだ。この流れを受け、今年3月、アルコール関連問題基本法推進ネットが開設され、アルコール関連問題基本法制定に向け運動が進んでいる。「不適切な飲酒」で生じる諸問題の防止策、アルコール関連傷害に対する相談支援、実態を把握し、より総合的な対策のための調査研究推進などを骨子とした法律である。しかし、メディアの関心は薄い。飲酒の強制─事故─処分という枠から、もう踏み出してはどうだろうか。(北海道支社発行紙面に論評)

《何を言っても、酒が売られている限り、解決の道はないだろう。「ノンアルコール」は本物の酒への予備軍を育てているに過ぎず、「百薬の長」の考えが変わることはないだろう。》

 

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