2013年8月21日 (水)

ヤバイ

 毎日新聞(8/21)”みんなの広場”欄から、

《千葉県在住の37歳の女性からだが、バス車内で飲んで騒ぐ若い女たちと車掌との間の出来ごとを綴った文章だ。最近の集団で人を殺した事件でも、未成年の当の女たちのことをメディアは、言葉からは似ても似つかない「少女」と書く。以前なら少女の頭に「不良」を付けて「不良少女」と書いたものだ。投書の女たちには人を殺したわけではないが、「不良」の言葉を贈りたい。》

 5歳の子どもと東武動物公園のプールに行った時のこと。園内のバスに20歳ぐらいの5人の女の子たちが缶ビール片手に乗り込んできた。出発後、立ち上がってフラフラしているので年配の運転手さんが座るように注意した。すると彼女たちは「バーカ」「うるせえ」と騒ぎ出した。
 彼女たちもたった一人だったらそんな騒動・暴言はできないだろうに。罵声を浴び続けながらも運転手さんは他のお客のために「ここからトラが見えますよ」などと和やかな声色に落ち着いた運転でした。後のお客が思わず「がんばれ運転手さん」。それでも騒ぎ続ける彼女たち。
 遊園地という子どもとっての夢の世界を壊さないように、という運転手さんの気持ちが伝わってきた。
 プーる到着。飲んだ缶ビールを置いて行こうとする彼女たちに「お客さん、お忘れものですよ」と優しい声。そんな場面で私にできるだろうか。人として親として考えさせられるできごとだった。

《ここから先は、私自身の本日のできごとだ。買い物返りに乗った始発のバスに、特に暑い今夏は込み合う市営のプールに向かう10人ほどの若い女たちが、中には下車すればそのままプールに飛び込めそうな露出した身体の女も混じる姿で、大声で笑い、叫び合いながらガヤガヤと乗り込んできた。塊になって後部座席に陣取り、笑い声混じりのおしゃべりが始まった。投書の中の女たちと同様、バスという乗物が「公共」の場であることが理解できていない。子どものころ母親に連れられてスーパーやコンビニに行き、そこでどんなに騒いでも誰も、親からも注意されないで育ってきたガキどもの成れの果てだ。私は10分ほどの乗車時間ですむのだが、その間、轟くように響く笑い声、何度も何度も耳に飛び込んでくるのが大きな声の「ヤバイ」「ヤバクネ?」だった。テレビでも女たちの集まりで食事していても、一口入れて「ヤバイ」、となりの女が一口入れて「ヤバクネ?」だ。この「ヤバイ」は若者の間では楽しい、おいしい、うれしい、素晴らしいなど、プラスの感情の殆どに使われる言葉だそうだ。立派な日本語があるのに、「若者言葉」と居直って使用するらしい。本当に危険で「ヤバイ」状況のとき、彼、彼女たちは何というのだろう。道理でこの世代、会社に入っても語彙の貧困から、その場その場に使用する言葉を知らず、コミュニケーションに齟齬を来たし、末はみずから墓穴を掘って退社の道をまっしぐらとなることもあるのだ。

 帰宅の後、ひとしきり吐き気を催すほどの車内の空気を妻に打ち明け「睨みつけたけどな」と。「怒鳴りつけなかったでしょうね」と返された。依然だったら大声で叱りつけていたのだ。「お願いだから、年のことを考えてよ、今に殺されるから」と頼まれてから、余計に今日のような女どもには腹が立ってくる。》

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2013年6月29日 (土)

NHK 外国語多すぎ

 毎日新聞(6/26)から、

 NHKの放送番組で外国語が乱用され、内容を理解できずに精神的苦痛を受けたとして「日本語を大切にする会」の世話人、高橋鵬二(71)=岐阜県可児市=がNHKに141万円の慰謝料を求める訴えを名古屋地裁に起こした。提訴は25日付。

 訴状によると、NHKでは報道、娯楽番組を問わず、番組内で「リスク」「トラブル」などの外国語が多用されているだけでなく「BSコンセルジュ」などと番組名にも用いられていると指摘。日本語で容易に表現できる場合でも使われているとし、公共性が強いNHKが日本語を軽視するような姿勢に強い疑問があるとしている。

 NHKは「訴状の内容を確認していないのでコメントを差し控える」としている。

 高橋は取材に「質問状を提出したのに回答がなかったので、訴訟に踏み切った。NHKだけの問題ではないが、公共放送は特に影響力が強い。年配者にも分かるような放送をしてほしい」と話している。請求額は民事訴訟法で、地裁で扱える額が140万円を越える額と規定されていることに基づき決めたという。

《NHKに限らない、グローバルを叫び国際化を標榜する連中が、わざとのように平明な日本語があるのにカタカナ語で言葉にしたり文字にしたがる。もっと日本語を勉強しろ!と言いたくなるほどだ。》

《話は横道に逸れるようだが、当記事をブログで取りあげようと切り抜いていたところ、翌日27日に13歳の女子中学生の『「オノマトペ」で表現豊かに』の投書が載った。無知のこととて何か文字の入れ替えで単語を作るのか、頭の鍛錬でもすることなのかと読み始めて擬音語、擬態語のことと分かった。それで益々オノマトペが分からなくなった。古い人間は「テニヲハ」は小学生のころ習った記憶があるが、オノマトペは分からない言葉なのでまたまたWikipediaに頼った。》

《オノマトペが日本語でないことが分かった。もとは古代ギリシャ語や英語、フランス語などからオノマトペとなり、文部科学省が版行する「学術用語集」で擬声語としているものだと知った。》

《ついでだが、「テニヲハ」。最近の日本語の乱れで目立つ中に、「が」の使い方がある。 参照 携帯電話が「0円」で売っている 2010/03/ 》
 
《助詞や接続詞の使い方を間違えると文章の意味が変わってしまうことから、話のつじつまがあ合わないこと、文脈が整わないこと、用語の使い方が間違っていることなどを総じて「テニヲハ」が合わないと言う。参照では、携帯電話は売られているものだが、「が」を使うことで携帯電話が何かを売っている立場に変わってしまう。全くつじつまが合わなくなるのだ。この「が」はテレビの中で局の人間や、タレントら多くの人が、また、活字でも何気なく日常頻繁に使っている。》

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2012年10月31日 (水)

ディスレクシアって何?

 毎日新聞(10/30)”なるほドリ”から、

《長く生きて草臥れてきたオツムには、難しい横文字は知らないままで過ごしたいものだが、難しくても「死ぬまで勉強」を標榜する身のつらさだ。こういう時はできるだけそれに代わる易しい日本語はないのか、と探すことにしている。なんのことはない、記事の中にちゃんと日本語で示してあるじゃないか。『読み書き障害』というらしい。日本語で目にするとすっと入ってくる》。

 米国の映画監督スティーブン・スピルバーグ(65)が、子どものころいじめを受けていたと話していた。「ディスクレシア」という障害があったそうだが、どんな障害なんだろう。ギリシャ語の「できない」(dys)と「読む」(lexia)に由来する言葉だ。読み書きの滑らかさと正確さに困難があり、文字を読んで内容を理解するのに時間がかかる。「読み書き障害」と呼ばれ学習障害(LD)の約8割を占めるとされている。スピルバーグも「教室では、皆の前で教科書を読むのがつらかった」と告白している。

 Q 勉強ができなかったの?

 A 知的な遅れではない。語学の教科書が上手に読めなくても、ラジオ講座で難なく語学を習得した人もいる

 Q どれくらいの人がそうした障害を持っているの?

 A 使う言葉によって出現率は異なるという。複数の論文などのデータによると、日本語(漢字)の場合は6・0〜6・9%。ほかに、英語5・3%〜11・8%、タイ語6・3%、オランダ語3・6%、イタリア語1・3%、アラビア語1・0%----となっている

 Q そんなに違うんだ

 A 一説には、言語の「音」と「文字」が一致するかが、障害の出現頻度に影響すると言われる。日本語の場合、ひらがなやカタカナは一つの文字にほぼ一つの音が当てられているが、漢字は異なる。英語のアルファベットは、単語によっては読みが違う

 Q ところで、スピルバーグが診断されたのは5年前ということだ。遅くないか

 A 文字の学習が終わる小学校低学年にならなければ、診断の確定は難しいという現実がある。成人後に診断される人は少なくない

 Q 発見してもらえないと、勉強する時に困るだろうな

 A 早期発見や適切な支援は大切だ。スピルバーグは「一生付き合うものだが、対処の仕方はある」と語っている。日本でも、パソコンによる音声読み上げや、電子メモ帳などで読み書きの部分を補って勉強する支援が進んでいる

 Q そうなの

 A ディスレクシアの教育的支援をしている団体の関係者は「スピルバーグのような才能ある著名人が障害を公表することで、発想が豊かなディスレクシアの人たちへの理解が広がってほしい」と期待している。
 

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2011年9月16日 (金)

10年度国語に関する世論調査

 毎日新聞(9/16)から、要約と《 》内は私見。
 文化庁 10年度国語に関する世論調査
 調査目的・方法等
 調査目的:日本人の国語に関する意識や理解の現状について調査し,国語施策の 立案に資する。
 調査対象:全国16歳以上の男女
 調査時期:平成23年2月
 調査方法:個別面接調査
 回収結果:調査対象総数 3,485 人
     有効回収数(率) 2,104 人(60.4%)

 調査結果の概要
  先ずは、言葉や言葉の使い方について、どの程度関心があるかを尋ねたが、「関心がある」は8割強。経年調査の結果の中でもっとも高い。
Photo 年齢別に見ると、「関心がある(計)」の割合は、全ての年代を通して7割台半ばよりも高くなっている。特に40代では9割弱となっており、他の年代に比べて高い。そのうち、「非常に関心がある」は、16〜19歳で1割に満たないのを除いて、全ての年代で2割前後となっている。「関心がない(計)」は16〜19歳と60歳以上で2割台前半となっている。「全く関心がない」はどの年代でも割合が低く、1割に満たない。

《「関心がある」の40代にとっては切実な問題提起でもある。以前より新入社員のコミュニケーション能力の不足は仕事の遂行に齟齬を生じ、その結果は外国人の優秀な人材を採用しなければならない程、企業内では中間管理層の苦労の種になっているものだ。言葉の重要性に対しての若年層の認識の甘さは、救いようのないところにきているようだ。》

 冷たい外気に触れた際の感覚を表現する言葉「寒っ」について8割以上の人が気にならないと考えていることが15日、分かった。「姑息」は本来と違う意味にとらえる人が多数派を占め、「声を荒(あら)らげる」などの慣用句も誤認が多い。いわゆる「ら抜き言葉」については使う人が増えていた。

 形容詞の語幹を使った言い方「すごっ」「寒っ」などについて、
Photo_3 「寒っ」については、「冬に暖房の効いた建物から気温の低い外に出た」との状況で当てはまる選択肢の回答を求めた。冗談がちまらなかったような状況んついて尋ねたわけではない。同様に形容詞を短縮させる言い方の「すごっ」「短っ」「長っ」「うるさっ」についても6割以上が気にならないとした。

 形容詞「寒い」の語幹である「さむ」の用例は19世紀初頭の江戸時代からあるが、調査結果について、同庁の氏原・主任国語調査官は「使われる形容詞が広がっている。テレビでもよく使われ、抵抗感がなくなっている」と話している。

 言葉の意味では、どちらの意味だと思うか、と「雨模様」「姑息」「号泣する」などを聞いたが、本来とは違う意味で使われることが多いことが分かった。特に「情けは人のためならず」は本来の意味で使う人は半数に満たない現実だ。

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 また、「姑息」を70・9%が「ひきょうな」と選び、本来の意味である「一時しのぎ」は15%だった。「雨模様」にいたっては本来の意味ではない、「小雨が降ったり止んだりしている様子」と答えた人が半数以上だった。慣用句を見ると、「大きな声を出すこと」について、79・9%が「声を荒(あら)げる」と答え、「声を荒(あら)らげる」と正答したのは11・4%に過ぎなかった。

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  <慣用句等の認識と使用>
 二つの言い方のどちらを使うか、五つの例を挙げて尋ねた。辞書等で本来の言い方とされるものに下線を付けた。
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 95年度から5年ごとに調べている「ら抜き言葉」は、「来れますか」を使う人が05年度比7・8ポイント増の43・2%と、「来られますか」の47・9%と拮抗。「どちらも使う」の8・1%合わせると、「来れますか」を使う人が初めて過半数を占めた。「れる」/「られる」と同様に「せる」/「させる」はどちらを使うか聞いた。

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 「れる/られる」は後に続く言い方について尋ねたものだ。なお「食べれない」「来れますか」「考えれない」「見れた」「出れる?」は、これまで、共通語において誤りとされてきており、新聞などでもほとんど用いられていない。

 「休まさせていただきます」「帰らさせてください」「伺わさせます」「読まさせていただきます」の四つの言い方は、共通語においては誤りとされており、新聞などでもほとんど用いられていない。ただし、「見せてください/見させてください」は、どちらも文法的には問題のない表現である。「見せてください」は、下二段活用の動詞「見せる」の連用形に接続助詞の「て」と「ください」が付いた形、「見させてください」は、上一段活用の動詞「見る」の未然形に、使役の助動詞「させる」と「て」「ください」が付いた形である。

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2010年3月26日 (金)

携帯電話が「0円」で売っている

 《今日のタイトルを見て、変だと思う人は変なのだろうか? レッキとした毎日新聞の記事だが?
 私には携帯電話が、「何を」0円で売っているのだろうか?としか読み取れないのだが、私の国語力が変なのだろうか? 

  私なら、『携帯電話を「0円」で売っている』
 若しくは、『携帯電話が「0円」で売られている』

 とするのだが。この疑問は下記の4年も前のブログで取り上げている。最近ではテレビでも街なかでも頻繁に耳に聞こえて来るようになっている。スーパーでは「トマトが売っている」のように。》

 毎日新聞(3/26)から、要約と《 》内は私見。
 《古いブログから引っ張り出して来た「(流行(ことば)06年1月」が、ますます言葉の使い方に疑問が続いている。》

 新聞の記事はいつもの「なるほドリ」のタイトルだ。『よく携帯電話が「0円」で売っているけど、ほんとにタダなの?』というものだ。

《少し前まであった携帯会社が助成金を出して、基本料金に乗せていたために0円で売られていた時と、同じ0円でも今回は内容が違うようだ。もともと携帯の本体の価格は以前から5〜8万円程度はしていたものだが。》

 現在「0円」をうたうものでは「頭金0円」「実質0円」が目立っているが、いずれもタダという意味ではない。

 Q どういうことなの

 A まずは「頭金0円」とは。携帯電話が高機能化し高額になったこともあり、最近は分割でで買う人も増えている。「頭金0円」は文字通り分割払いの場合に頭金がゼロという意味だ。店頭では頭金の文字が小さくしか書かれていないため、本当にタダかと思ってしまう。

 Q たいした意味はないんだ

 A 少し前までは意味があった。分割払いの場合、端末価格は頭金と割賦総額の合計で決まる。月々の支払額は携帯電話事業者が端末ごとに設定する。販売店はこれを変えられないので、頭金の額で価格競争をしていた。ところが競争激化で、多くの端末の頭金がゼロになってしまったため、頭金0円にはあまり価値がなくなってしまった。

 Q じゃあ、「実質0円」は?

 A ソフトバンク端末で表示されることが多い。、ソフトバンク独自の割引制度「新スーパーボーナス・月月割」は、適用すると月々の利用料から最大2000円の割引を2年間(24回)受けられ、条件によっては端末購入代金と同じ額の割引が受けられる。それを「実質0円」と表示している。でも、必ずしも端末購入代金と同額の割引を受けられるとは限らない。0円以外でもソフトバンクでは「実質○Χ円」など端末代の代わりに「実質負担額」という表示をしている店舗がほとんどだ。この場合も条件によっては、実質負担額を数万円も上回る負担をしなくてならないケースが出る。

 Q それは、どういうケース?

 A 月月割は基本料を含まない通信料からの割引になるので、通信料が少ないと割引額も小さくなる。購入後3〜26カ月目に割引されるが、その間に機種変更などした場合には割引がストップする。実質○Χ円というのは、あくまでも最大限に割引制度を活用できた場合のことだと理解しておくべきだ。

《その程度のことは常識として知っておくべきことだろう。月月割で割引額と本体価格とがトントンのバランスが取れるのは、2000X24回として4万8000円クラスの機種となる。0円に拘り、まるまる割引の適用を受けたいのなら、メールでもゲームでも、じゃんじゃん携帯を使いまくることだ。》

 Q 「年率0%」は?

 A 一括払いで買う場合と同じ金額という意味だ。表示自体は特に注意すべき点はないが、実は一括払いに方がお得な場合が多い。販売店ではポイントサービスで10%ぐらい付くのが普通だが、分割払いはポイントは付かないことが多いからだ《これも一般常識の範疇だ》。タダより高いものはない。「ゼロ」表示にはすべからく注意が肝要だ。

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2008年7月20日 (日)

「俺」と「儂」

毎日新聞(5/13、7/17)から 要約 と 《私見》
漢字使用の目安となる常用漢字表(1945字)の見直しを進めている文化審議会国語分科会の漢字小委員会は12日、見直しの第1次候補素案を公表した。常用漢字表の本表に加える可能性のある候補は「藤」「岡」など220字。小委や分科会は今後も検討を続け、来年2月の文化審議会に試案を提案し、10年2月ごろの答申を目指す。

小委が06年までの3年間の出版物864点について、漢字の使用状況」などを分析し、出版頻度別に             
  S(1500位まで)・・基本的に「新漢字表」に加える方向
  A(2500位まで)・・基本的に加えるが、不要なものは落とす
  B(3500位まで)・・特に必要な漢字だけを拾う
  C(3501位以下)・・     〃      に分類した。
 この中から常用漢字に加える必要性が高いと判断した220字を示したものだ。
一方、既に常用漢字となっている漢字でも現状の出現頻度がBランク以下の漢字は、新たに入れる候補「A」と同じ扱いとし、外すべきかを検討する。

常用漢字表は、戦後導入された当用漢字表を見直し、81年に決まったものだ。パソコンなどの発達ににより、社会生活で目にする漢字が増えたため、伝達を分りやすく効率的にするため新基準を決めることになった。見直しが実現すれば制定以来初めてとなる。

《5月の1次案では「挨拶」のように熟語としてのみ使用頻度が高い漢字54字を含む274字まで絞られた。その他にはパンを数えるのに使う斤、日常的に良く使う嗅ぐ、など論議は揺れていた。中でも特に問題になったのが「俺」だった。日常生活では普通に使用されている言葉だが、委員の間では「相手との距離を測る重要な言葉」「子どもに教えるべきものか」など賛否が分かれた》。

《自分のことになるが、この「俺」という言葉、もうすぐ77歳だが言葉が使えるうようになってこの方、ただの1度として使ったことがない。軍国少年のころには‘貴様と俺とは同期の桜’を口ずさんでいたが、個人的には軍隊用語か大人の世界の言葉として捉えていたように思う。もちろん当時から周りの子どもたちの中には‘おれ’を使うものもいたが、自分には小生意気にしか映っていなかった》。

《長じても、「俺」は相手、或いは他人(ひと)を見下す語としての印象が強く、特に対面する相手に対しては年長者には当然のことながら同級生、同僚、年少、部下、妻、わが子であっても「俺」は使えなかった。それこそ‘『オレ』が使えるほど自分はそんなに偉くない’の心理だった》。

《因に広辞苑・五版を開いてみた、
 俺・・(二人称)相手を卑しめて呼ぶ語
    (一人称)男女ともに、また目上にも目下にも用いたが、現代では主として男が同輩以下の者に対して用いる。荒っぽい言い方。とある》。

7月15日、常用漢字の見直しを進めている文化審議会国語分科会の漢字小委員会は、「藤」「誰」など計188字を新たに常用漢字に追加することを決めた。このうち、「俺」については当初、「公の場で使う言葉ではない」といった反対意見もあったが、この日の小委員会では、「日常生活で広く使われるようになった」「文頭にくる場合、漢字の方が読みやすい」として追加が認められた。

今月31日の国語分科会で正式決定され、来年2月に、読み方と字体を定めた最終案を発表する。2010年2月をめどに文部科学相に答申される予定だ。

《常用漢字に仲間入りしたとしても、私には関係ない。相変わらず「俺」は使う気にはならない。おそらく知っていても生涯使用しなかった言葉となるだろう》。

続いて本日20日の毎日紙、「くらしナビ」欄で興味ある1文が目についた。読者(埼玉県草加市・女性会社員・29歳)からの投稿だが、1歳6カ月を過ぎた兄夫婦の娘の使う言葉について書いてある。
 (前略)『さらに最近では「わ・し」という言葉を覚えたらしい。母いわく、「私」の「た」だけが抜けてしまい、「わ・し」になったのだという。めいは自分の鼻を赤くなるほど指で押しつけて「わ・し」という。「わし、じゃないでしょう。わたし、よ」と母や義姉が何度教えても「わ・し」としか言わないらしい。』(後略)

《“わし”、懐かしい言葉だ。明治生まれの父(九州)が自分のことを指して家族に対して言う言葉だった。因に妻の父親(近畿)も同年輩だったので尋ねてみた。やはり「わし」と言っていたらしい。投書の29歳の女性やその義姉、母上が姪ごさんに、「わたし」と言わせたい理由は単純に現代では女言葉ではない、ということだけかも知れないが、放っておいてもきちんとした言葉は使えるようになる。

《こちらも広辞苑を開いてみた、
 わし、は(儂、私)と書き「わたし」の約。近世主として女性が用いた。現在では目下に対して年輩の男性が用いる、とある》。

《さすれば上の姪ごさん、知らずして近世の女性言葉を胎教で学んでこの世に生まれ出たのかも。いずれにしても、「俺」も「儂」も文化審議会の委員がいう「相手との距離を測る重要な言葉」であることには間違いない。そして、「俺」も「わし」も時代とともに意味まで変るものかも知れない。》

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2008年2月 9日 (土)

「羊水腐る」

口は災いのもと、「別にぃー」に続くバカ女のバカ発言で騒がしい。昭和一桁の男でも、羊水が加齢によって腐らないことぐらい知っている。もしも腐るようなことでもあれば、高年齢のお母さんから生まれた子は、10月10日の間腐った肥溜めの中で成長したことになる。

この日よりも数日前になる、何かのインタビューに答えるマイクを持った彼女の姿を初めて見た。滑舌の悪い下品な話し方をする女と映っていた。街の頭の悪い不良もどきのしゃべりだったことが強烈に印象づけられた。あの女なら「羊水腐る」なんて言葉を口にするのは普通のことだと思える。

抗議を受けて関係者は驚いたのだろうが、本人も謝罪をした。「すごく軽率というか、軽はずみな言動をしてしまって、傷ついた方たちにとにかく謝りたい」と大粒の涙をポロポロ落としながら反省の弁を述べたらしい。反省の大きさは涙の粒で図るものではない。

誰かが言った、「涙は女の武器だからな」。翌日の「とくだね!」が取り上げた。番組はインタビューで話した女の謝罪を抜粋して流した。番組進行を務める笠井アナ、桜美林大教授の諸星裕が「・・少し発言には気をつけて・・」と話を続けようとしたが、横から仕切りやの小倉が「何を詫びているのかちゃんと伝わりました」と言ってから「それだったら政治家の発言はどうなのよ」と、まるでとんちんかんな話に外し、座を白けさせてしまった。この小倉という男、口癖は「じゃなですか」だ。だれに了解を求めるのか、自分の発言に不安が付きまとうのか、常に誰かに相づちを求める話口なのだ。じゃないですかー、じゃーないですかーと。誰が政治家の話をしているのだ。番組はバカ女の話の場だろ。

この女「エロ格好いい」とファンから呼ばれて有頂天になっていたのだろうが、歌には厳しい妻は「引退すればいい、2度と聴きたくない歌手の一人」と切って捨てる。

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2007年12月 3日 (月)

おかあちゃん

今朝、長い間目を楽しませてくれたヘヴンリーブルー(朝顔の名前)も、寒さに凍り付き、つけた蕾も開ききれず、凍える姿が可哀相で、一生を終えたと判断して刈り込むことにした。手入れを終えていつもの癖でアクセス解析を眺めていたら、私がブログを立ち上げる切っ掛けになり、最初に書いた一文に目を通して下さった方がいらっしゃった。2005年5月16日付けの「おかあさん」だ。世代がら、アメリカかぶれの「ママ」に馴染めず(未だに耳にすると背筋が凍る思いだが)おかあさんの響きを懐かしむ内容になった。

妻の育った大阪が取り上げられてから毎朝の習慣のように、おつき合いで見る羽目になったNHKの連蔵ドラマ。今回の「ちりとてちん」はその地に縁戚がいるからとてまたまたおつき合いさされ眺めている。‘とてちりちん’は意味も分らない子どものころから口を突いて出ていた語呂の良い響きのものであったが、現在放映中の語呂はむつかしい。と思っていたら、妻は落語の話のネタであることを知っていて、教えてくれた。

最初にブログを立ち上げる切っ掛けの話をしたが、「ちりとてちん」のドラマは日本海に面した福井県小浜から始まった。《NHKらしい、と言えばここ小浜は五木ひろしの出身地だ。案の定、高校を卒業して主人公の女性が故郷を離れ、大阪に出る別離のシーンに、彼の持ち歌「ふるさと」が挿入される逸話がつくられた》。ドラマの彼女の家では老いも若きも、誰も彼も「おかあちゃん、おかあちゃん」父親は「おとうちゃん」で会話が飛び交う。子どもが母親を呼ぶのにおかあちゃんは普通だが、高校生の娘を持つ50代の父親が、妻におかあちゃん、となる。

無性に懐かしさを覚える。そういう私の家庭も瀬戸内海に面した姫路から、父の仕事につれて私が小学一年の一学期を終えるのを待ち、日本海に面した当時は軍港の町、舞鶴に移り住んでいた。私も5番目に産まれ落ち(上に2人の姉が死産している)たが、最初に発するのはおかあちゃん、おとうちゃんであったし、後に産まれた4人の弟や妹もおかあちゃん、おとうちゃんで育った。それにドラマでもそうだが、両親同士もおとうちゃん、おかあちゃんであった。これもまたドラマと同じだが、私が家庭を持ち、父親になってからも、両親が生きていた間は会えば60歳近い私の口からはやはり、おかあちゃん、おとうちゃんであった。どうしても05年のブログで取り上げた女の子のように「おかあさん」「おとうさん」とは他人行儀に思えて呼べなかった。

もちろん、学者を父に持つ妻の家庭では、「おかあさん」に「おとうさん」だった。その妻からは、その年になっておかあちゃん、おとうちゃんはおかしい、止めた方がいい、と言われたが、やはり最後までそう呼んだ。私たちにも男児が産まれた。妻とも合意で子どもには「おとうさん、おかあさん」で呼ばせた。周りご近所は洩れなくパパに、ママだ。子どもはどこのグループに混じって遊んでいても、間違わずにおかあさん、おとうさんでちゃんと話すことができた。嬉しいことに今までただの一度もパパ、ママとよんだことはない。この子も、もうそろそろ40歳になる。

12月3日、東京都は初乗り710円に、など幾つかの他県でも今日からタクシーの値上げがスタートした。大いに結構だ。元々タクシーは公共の乗り物ではない。乗れなければ乗らないでよい乗り物だ。東京には地下も含めて公共の交通網は縦横無尽に走っている。自家用車も備品として多く行き渡っている。大学と同じでタクシー会社は多すぎる。過当競争の結果が招いたことだが交通網の発達や自家用の増加や人口減は自然にタクシー利用者の数を減らしてきた。今回の値上げは現時点ではタクシー運転手の労働・生活改善が狙いだが、予算不足の度に国の税率上げと同じような対策の、運賃値上げをするだけでは、これから先いつまでも吸収できるものではない。業会全体で対応を講じなければいずれは破綻するところも出るだろう。

おかあちゃんと、おとうちゃんが生前、揃って上京したことがあった。今は亡い姉の、初孫を祝いに上京してきた。母は鹿児島から父の元に嫁入りしてから一度も東京を知らなかった。親不孝を重ねてきた私が姉から一日両親を借り受けて、精一杯の親孝行をしたのが日光への案内だった。私はまだ独身だった。いろは坂をタクシーに乗せた。乗り物酔いの激しい母だった。途中何度か坂の途中にタクシーを止めてもらっては気分を和らげながら社寺を案内し、一日遊んでもらった。

いくら投資しても、タクシーは必要な時、必要な人が利用すればよい乗り物だと言う考えは今も変わらない。

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2007年8月 2日 (木)

阿久悠 で思い出すこと

1984(昭和59)年、昼間社用でタクシーを利用した日のことだった。流行歌好きの運転手だったのだろう、車内のラジオはちょうど先の歌手の曲が終わって次の歌を紹介していた。前奏に続いて男性歌手の声が聞こえて来た。いつ耳にしてもこちらが息苦しくなる独特のつぶれた声の森進一が歌い始めた。(漢字は歌詞カードより)

一) 山が泣く風がなく
   少し遅れて雪が泣く
  女いつ泣く灯影が揺れて
   白い躰がとける頃

つぶれた声にしては一言一言が明瞭に耳に届く

  もしも私が死んだなら

何故か全神経を彼のうたう言葉の続きを聞き漏らすまいとしていた。
 
  胸の乳房をつき破り
   赤い螢が翔ぶでしょう

全身の毛穴が開き総毛立つ悪寒に似たものが走った。かつて日本の歌謡曲に、これほど激しい表現があっただろうか。小さい子どもの頃から流行歌は聞いて口ずさんで育った。支那の夜、白蘭の歌、蘇州夜曲、赤い睡蓮、赤城の子守唄の時代からたくさんの曲を耳にしていた。

  ホーホー螢翔んで行け
   恋しい男の胸へ行け
  ホーホー螢翔んで行け
   怨みを忘れて燃えて行け

森進一の声が詠われている女の胸を抉る悲しみを存分に表現していた。それまでの歌謡曲にあった恋、泪、酒、などの世界から一線を劃して言葉が使われていた。

二、 雪が舞う鳥が舞う
    一つはぐれて夢が舞う
   女いつ舞う思いをとげて
    赤いいのちがつきる時
   たとえ遠くにはなれても
    肌の匂いを追いながら
   恋の螢が翔ぶでしょう

そして、ホーホー螢翔んで行け のフレーズが続く。赤い螢など世の中に棲息しているはずはない。だが、この歌詞では赤くなければならない、恋い焦がれた男のもとに行くことができるには女は死なねばならなかった。思い入れで表現すれば乳房を突き破って翔び出す赤い螢は、女が添えなかった男のために生きて来た証の血ということになろう。その年の暮れの日本レコード大賞作詞部門でこの作詞が大賞をもらった。

曲のヒットから舞台を北(北海道)に設定して同名の映画が作られた。時代を明治において北海道開拓に使役として働く国事犯の囚人と元祇園の芸妓の間の実らない悲劇として描いた。後に知ることになったが「螢」には隠された意味があるようだ。ほたるが夜になって現れるところから、江戸時代、京都祇園辺りで通行人の袖をひいた(春をひさいだ)下級の遊女(菰被り=今でいえば、売春婦)または、その茶屋をいうようだ。阿久悠がその意味で螢を使ったかどうか解らないが、少なくとも映画を作った五社英雄監督には頭にイメージするものがあったのだろう。

『北』の文字をタイトルに入れた曲に、螢の9年前「北の宿」がある。これも阿久悠の歌詞だが、以上2曲の大当たりでそれ以後、あらゆるものに見苦しいほど「北」を冠した2番3番煎じが続いた。

歌は阿久悠作詞の「北の螢」だ。彼の死(享年70)が今日報じられた、合掌。

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2007年7月18日 (水)

いい名前考えて(エコノミークラス症候群)

Dscfmiss アカシアの種
 9日経過したが
 発芽せず
 失敗に終わる

 来年もう一度やってみよう

エコノミークラスの名前で呼ばれている症候群がある。いかにもイメージの悪い名がついたものだ。差別に対する考えが浸透してくる頃、昔あった1等、2等、3等などと呼ばれていた客室、船室が3等の廃止から始まって2等区分制になり、列車の場合は1969年5月1日のモノクラス制移行にともない旧1等は‘グリーン’に旧2等は‘普通’と呼ばれるようになった。飛行機の場合、ファーストクラスがあり、英単語の上では2等と呼ばれるエコノミークラスがあってその中間にビジネスクラス(インターメディエイトクラス=中間クラス)がある。カタカナに紛らわされているが、何のことはないその昔の1等、3等、2等だ(列記順)。

医者が困って便利に名付ける症候群、これもそうだ。特に海外旅行で長々と体を横たわることのできるファーストクラスと違い、3等クラスの窮屈な飛行機の座席で同じ姿勢を続けていると、下肢や上腕その他の静脈に血栓が生じる疾患だ。しかし、必ずしも飛行機内で長時間座ることだけが原因ではない。脱水や、感染、長期の臥床などでも発症する。エコノミークラスの特有のものではないのだ。正式病名は「静脈血栓塞栓症」とある。

発症すれば死亡することもある怖い疾患だ。3年前の中越地震では、死者が3人も出た。それから3年後の今月16日、前回に近い上中越沖を震源地とする地震に見舞われ、17日はほぼ1万2000人が避難先で夜を過ごした。避難生活が長引けば静脈血栓塞栓症を発症する危険性がある。この人たちに海外旅行など物見遊山に関係のある飛行機の3等クラスの名を冠した病名で呼ぶことは相応しくない。

新潟県災害対策本部は余震による2次災害や出火、漏電などに注意するなどを呼び掛けている。また、中越地震で1500人以上の被災者を調査した新潟大医学部の榛沢和彦医師は「被災によるストレスや避難所での生活も要因となるので適度に体を動かしたり散歩するなどして血行を保ってほしい」と指摘している。

狭い体育館など碌に睡眠も取れない環境の中で、疲労困憊している被災者に呑気に散歩を呼び掛けるなどいかにも学者の仰ることだ。被災地の人たちのためにも何かいい名前が考えられないのだろうか。


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