2006年10月26日 (木)

読書世論調査から

秋となると例年取り上げられるのが読書に関する読み物のこと。
「秋の夜長」と結びついて‘読書の秋’‘灯火親しむ頃’などと、マスコミが挙って取り上げる。どんな書物が読まれているか、どんな作家に人気があるか、どれくらい読んでいるのか、などで紙面が埋まる。今年もその季節がやって来た。

活字離れが憂慮される昨今だが、調査でみる限り現代っ子も結構書物には接しているようだ。しかし、実際に目を通す書物の数は信じられないほど少ない。集計によると、一ヶ月に読む数は
          今回   昨年
 単行本      0.7   (0.8)
 文庫・新書本   0.7   (0.6)
 週刊誌      1.2   (1.4)
 月刊誌      0.8   (0.7)
 漫画本      1.1   (1.0)
 ビデオ・DVD   1.4   (1.5)
とても我慢できないほど少ない数だ。70歳を過ぎ、視力も衰え、パソコンにも若い頃以上に時間を費やすが、それでも活字に目を通さないと落ち着かない。敗戦後のこと、戦時中声高に生徒たちに戦意高揚を説いたまま罪を償わない無責任な教師たちに嫌気がさしていた。「男とは死ぬことと見つけたり」で育った少年が、見失った常識も知識も、新しい価値観や価値基準を確立するためにも手探りの時代が続いた。子どもの頃からへそ曲がりで通っていた自分には、戦争に負けた途端に始まった男女共学が汚らわしかった。男尊女卑を引きずっていた。教師に失望し、よく授業中教師に喧嘩を売った。全く勉強をしないままに社会に出た。

現在の私があるのはその頃の教師が反面教師になってくれたお陰だと思う。何から何まで逆らった。逆らうことで自分の存在を確立して行った。一度は死を予測した身を経ていた。死と生には執拗な関心があった。
 幼稚園の頃に購入してもらった推薦図書に“キンダーぶっく”というのがあった。キンダーはドイツ語の子どものこととは後に知った。これが人生最初に手にしたものだった。漫画は長兄が買ってもらうものを後から見せてもらっていた。田川水泡ののらくろシリーズ、他には、こぐまのコロちゃん、タンクタンクろう、冒険ダン吉などだが、キーを叩いていて懐かしさが蘇る。少し長じてやはり子どもの頃、作者は失念しているが、日光の鐘楼に左甚五郎が造った鳴き龍(現在のものは戦後の全焼した後に再建した偽物)が出来上がるまでの苦労話で、感激の余り涙を流した一作。

さて、社会に出たのはいいけれど、先ずは自分とは一体何ものか、から始めることになった。‘生と死’は常に頭の中に巣食っていた。そのころ中村真一郎が戦時中から書き溜めていた作品が世に出た。1947(昭和22)年発行の「死の陰の下に」だ。戦時下を生きた一人の知識人の生涯を辿ったものだが、十分に理解したとは言えないでいた。中村絡みでは彼の文学的源泉でもあったフランスの作家マルセルプルーストを手にした。1948年10月に三笠書房から発行された「失われた時をもとめて」第一巻スワンの戀Ⅰ、である。一冊平均240ページ、240円の時代。この後1955年1月の全13巻「見い出された時」Ⅱ、まで続いた。貴重な蔵書は今でも書庫に古びて並んでいる。アンドレ・ジード(当時はジッドとは呼ばなかった)や、実存主義哲学者として知られたサルトルとボーボワールの諸作品も難解ではあったが読みこなした。存在と無、弁証法的理性批判、嘔吐、自由への道(4部作)、戯曲の 蠅、出口なし、悪魔と神や、第二の性など手当たり次第に読んで行った。

後に‘金閣寺’を書いた三島由紀夫が新人作家として生まれでた頃だ。同性愛を扱った「仮面の告白」(1949年)につづく「愛の渇き」を読んだ。(どう生きるかを求めていた若者に不倫の話は醜いだけで、完全に三島への関心を失った)。それ以来私には存在しない程度の作家のまま自衛隊本部での割腹自殺になる。また、ロマン・ローランはベートーヴェンの精神性を教えてくれた。

夏目漱石は日本の作家では日記の類いまで読破したただ一人の作家となった。ドストエフスキーも全集を読み通した。常識や知識を増やし、世界を知りたいと岩波の「世界」や「思想」を毎月読んで行った。勢い安月給の殆どが書物代になった。それでも満足していた。月給35000円の時代、毎月2万円前後が本代で消えた。食うに困ったが心は徐々に満たされて行った。学ぶべき時に学ばなかったツケの代償は高かったが後悔はしなかった。
少しずつ給料が上がるがそれ以上に本代も増えた。

何度か可愛いい本も食うために手放したこともある。身が切られるように辛いが食うためだった。まだLPレコードの一枚も買うこともできないほど生活は苦しかったが、本だけは読むことを止めなかった。心を潤すものはやはり当時は読書しかなかった。

高尚な面ばかりを書き連ねたが、下らない書物も読んでいた。当時エログロナンセンスと言われたカストリ雑誌だ。屁理屈で言い訳すれば、何が、どう下らないか、を知るために、その例には共産党機関紙‘赤旗’や‘共産党宣言’がある。昭和23、4年頃のメーデーで宮城前のGHQ本部近辺で大暴れした労働者のデモが切っ掛けだ。日本人が嫌う“アカ”とは一体なんだ、何故だ、ということを知るために。

新聞記事からちょっと逸れたようだが、敵を知り己を知れば百戦危うからずだ、まずは何にも先んじて敵を、そして己を知ることが何よりも大切なことだと思っている。私の独断も偏見もその上に立っていると考えている。

数多い中でも特に面白く読んで記憶に残るものに、花田清輝の「さちゅりこん」がある。さまざまな芸術ジャンルを論じた評論集だ。このなかでも特に記憶にあるのはスカラベサクレ(糞ころがし)の一編だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月11日 (水)

ココログ出版の本

大ニュースでした。くじ運の無いことで生きて来た私に数少ない10人の1人に選ばれることが決まった。これまでに立ち寄って頂いた方にはお解りのことですが、ブログの副題にも謳っているように、独断と、偏見の語りで終始する毎日です。
「あなたの代わりにココログが本を作りますっ!!!!」と、目に飛び込んで来たのが先月、今までメンテナンス・チェック以外には殆ど入ることのなかったお知らせのページ、何だか興味を惹かれたのが幸いしました。好き勝手を展開して来たこととて、ノミネートされることもあるまい、との思いの申し込みだった。
ところが、であった。やってきました。自分の文が書物になる。

《小言こうべい様

いつもココログをご利用いただきましてありがとうございます。
このたびは、ココログ出版「あなたの代わりにココログが本をつくりま すっ!!!!」キャンペーンにご応募いただきまして誠にありがとうございました。
厳選なる抽選の結果、小言こうべい様が選ばれました。
おめでとうございます!》

昭和一桁の思いをぶつけるのは優しく説いていたのでは現在のような乱れた世相を云々することなど到底できない。憎まれ口を、歯に衣着せぬ独断で、展開することに賭けた。そこで考えたのがブログの名前、“独断(dogma)”と“ピグマリオン”(ギリシャ神話から)でdogmarionとした。本当はギリシャ神話のピグマリオンはpygmalionと綴るからdogmalionが良いのかも知れないが。特に教育心理学のピグマリオン効果を狙った訳ではない。倅からは誰も立ち寄る人はいないよ、ってスタートを切ったのが昨年の5月だった。しかし、最近、少しは父親の心内を理解してくれているようだ。副題の独断と偏見が良く生きてるよ、って。

自分の書いた文章が本になる、一冊は自分、一冊は弟の分際で兄より先に鬼籍に先立った弟に(彼の妻君の岳父の支那事変当時の写真を掲載した)供えよう。彼のことも何度かブログでも触れている。残る一冊は、誰にしようか、手に触れてから考えることにしよう。

さて、
小泉前総理に向かっては毒舌を吐き続けた。安倍新総理は、小泉以上に右寄りのナショナリストと呼べる男だ。今朝の新聞もそうだが、北朝鮮関係の記事で埋め尽くされ、騒然とした世界情勢になっている。つい昨日まで、飲酒運転の記事で埋まっていた紙面構成が、一変して北朝鮮に占領された状態だ。あっちこっちのテレビ局では、軍事評論家なる訳の分からないおっさんを探し出し、短絡した仮定を引き合いに、もしも核弾頭が日本に落とされたら、そして若しもそれが都心だったら、と一気に恐怖に陥れ、話を報復心理へ向けさせるような話に展開する。その結果を待たずとも、テポドン騒ぎから日本国全体は、今一層大きく右傾化しようとしている。空襲の下、山に掘った防空壕に逃げ込んだ経験のある世代としては、日本国民は、彼ら新政府の扇動者の口車に乗って、結果として核爆弾保有まで突き進む愚策には乗らないで欲しい思いで一杯だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月29日 (火)

流行 (髪・眉)

DSCF0016a 夏(朝顔)と冬(山茶花)の競演


DSCF0017a 山茶花



今朝(11/29)、ついに夏の花朝顔に‘いつまで咲くんだ’と言いたげに真っ白な山茶花が一輪、花開いた。さすがに朝顔は連日の寒さに完全に開ききれず、綺麗なブルーの花びらも色付かず、淡いピンクのままのものが目立って来た。ただ蕾が沢山ついているので刈り取るには忍びなくてまだ暫くは見守って行こうと思っている。

退職後は家にいることが圧倒的に多く、音楽、テレビを聴き、見る機会が多くなっている。東京近郊の我が家の地域は宅地が増えるに従って高圧線の鉄塔が増え、周りをぐるりと取り囲まれる状況になっていた。東京タワーから発信される電波は荒れ、受信状態は極端に乱れるようになって行った。FM波は少しの風で古い時代のレコードのスクラッチ・ノイズのように騒ぎだし、テレビの画面は夏でも雪が降るようなスノウ・ノイズが吹き荒れていた。テープ全盛の頃よりライブラリーとして増え続けていたクラシック音楽は、殆どの作曲家を網羅して1000巻を越す量になっていた。モーツアルトだけで100巻になり幼少時代のK.1から生涯の楽曲K.625曲を揃えて、休日には飽きず聴いていた。そこへ電波障害が発生して録音も録画もわざわざ再生して聴いたり、見たりする品質にならない状況が起こった。そんな時1989年、ケーブルテレビ(テプコ)が優先的に導入され、録音・録画を再開した。

生まれ(1931年)からしてどっぷりとアナログ時代の人間である。最近若者にもアナログに興味を持つ人もいるようだが、CDにしろMDにしろ無音からいきなり音が出るディジタルの世界。しかし、人間生活の中でそのような世界は全く存在しない。針が溝をなぞる音(スクラッチ・ノイズ)或いはデシベル値ゼロでない低騒音のある世界、残留雑音のある世界こそアナログの神髄だと思う。私のレコードライブラリーはLPが圧倒的だが、若干のSPも棚に並んでいる。ディジタルに音の劣化はないというが、確実に存在する。MDはCDよりも明らかに音質は悪い。商業ベースでより音質の悪い音の世界が広まっているだけだ。

本論に入ろう。幾つもあったFM誌も最後まで頑張ったFM fanが36年間の歴史に終止符を打ち廃刊。それを惜しんだファンの要望で1989年暮、NHKFMのプログラムを2週分、申し込み者直送のみのシステムによるFM CLUB(music bird,THE CLASSIC付)を発刊。当初30ページからスタートして現在40ページ構成。
テレビの方はまだステレオ放送の開始以前、戦前の名作が毎週のように放映され、まだ小使い銭では多量には購入できなかった高価なテープを少量づつ手にし、新聞の番組欄をチェックしつつライブラリーを揃えて行った。ドイツ映画「制服の処女」「未完成交響楽」「会議は踊る」、フランス映画「パリ祭」「パリの屋根の下」「女だけの都」「自由を我等に」「舞踏会の手帳」戦後になるがイタリア映画「戦果のかなた」「平和に生きる」「靴みがき」「自転車泥棒」戦前のアメリカ映画「駅馬車」「モロッコ」チャップリンの「モダン・タイムス」「黄金狂時代」「街の灯」ソヴィエト映画「戦艦ポチョムキン」「イワン雷帝」など、現在のようにアメリカ一辺倒の戦争映画、CGで誤魔化しただけのはったりものでない、世界各国の優れた作品で溢れ返っていた。現在録画をしようと惹かれるものはこけ脅かしのCGまみれになっていないものか、アカデミー賞でも外国映画賞のような小国の優れた作品や、アメリカ映画なら少なくとも20年から30年以前の作品に限られる。少しは観賞に耐えうるものもあったと記憶する。最近のものでは見るには見ても録画までしたいものは皆無に近い。

今、必要にかられて購入するテレビの番組誌、一週間なり一ヶ月の内容になっているが、家へ帰り着くなり番組だけを残して汚らしい表紙から数ページを真っ先に切り裂く。チェックする度に目につけば吐き気を催すから。これから書くのが『流行 (髪・眉)』。これらの雑誌が、テレビと同じく少年少女向けに作られていることは判っていても、大人が見る番組もある。表紙に掲載されるタレントの幼稚じみて汚らしい流行の写真が我慢ならないから。
  髪の色は西洋風 男も女も赤茶かブラウン(例外には婆さんの紫色、銀色があるが印刷されることはない)
  髪のスタイルは 男はヤマアラシかハリネズミ風のざんばら髪に加えてみっともない揃わない長髪
          女は乱れるだけ乱れた長髪を汚らしく首に巻いたり、不揃いに垂らす
       眉は 男も女も同様に細く釣り上げて剃り、気色悪い蛾か虫の触覚そっくり

男の眉の化粧は前に書いた。札幌オリンピックのジャンプ選手、舟木が剃って一躍有名になった。髪は数年前からだが、こんなのわざわざ美容院に行く必要はない。生活が苦しいなら高い金額を支出することもない。アルコールでもぶっ掛けて、一ヶ月、二ヶ月洗わなきゃ容易く仕上がるし、その後自分であちこち摘んで鋏を使えばもっと綺麗に仕上がる。そのうちにはシラミも湧いてくれるだろう。それほど『美』とはかけ離れたスタイルだ。これらが皆、人気タレントがやっているから誰もが我も我もと真似をする。カリスマとは名ばかりのセンスのない連中が、顔かたちがどうであれ、似合おうが似合わなかろうが髪を染め、眉毛を釣り上げ、ざんばら髪に仕上げる。自分の顔を鏡で見て驚かないのだろうか、この人誰?この人間は?と。一時渋谷を闊歩した顔グロと何も変わらない。タレントの物まねが激しいから移り移って今ではテレビ局の女子アナウンサーまでが(タレント化していても、さすが金髪はいないが)眉毛を逆立て、ざんばら髪を垂らし、カメラにはその髪が首に、肩に汚らしく乱れて写る。男の局員までが真似をして髪逆立てて出始めた。まるでハリネズミだ。

敗戦後の世相を知るものには、ガード下に、或いは地下道に巣くった浮浪児が瞼に焼きついている。男の子も女の子も男も女も髪は手入れもできず、汚れ放題、伸び放題、シラミがたかり、そばを通れば特有の饐えた匂いが鼻を衝いた。テレビ番組のガイド雑誌を見るとその頃見た浮浪児そっくりの髪型のタレントたちが、来る週も来る週も表紙に載る。見ていると臭って来る。買って直ぐに切り裂く理由には当時の哀れな浮浪者たちがダブるからだ。

なぜこうも同じタレントばかりが表紙を汚す。昔は男はよほどのことでない限り表紙には現れなかった。今はどうだろう、ちょっと見ただけではその表紙が男か女か判断出来ないときがある。それほど若い男の女性化は酷い。エージェントの力関係か同じ男タレントがひっきりなしに使われる。日本はそんなにも貧しいタレント層しかないのか。女子バレーの応援にジャリタレが騒ぐ、髪はぼさぼさ、色さまざま。あんな奴らが応援するから勝てないんだ。(言い過ぎだね)

戦争に負けた国の情けない流行が続いている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月24日 (月)

今は昔

或雑誌の最近の特集記事、代表的なタイトルを列記してみよう。読者以外にすぐにその雑誌名が当てられるか。

もう一度夫婦
 HIV感染の彼との人生を選んで悔いなし
 定年夫というストレスにどう向き合う
 (読者体験手記)
    すれ違う快楽 男盛りにして不能・・主婦43歳
    こうして元のサヤへ 目には目を、浮気には浮気を!
もう10歳若くなる10の秘訣
 (女が年下の男に恋するとき)
   ときめきは老いの恐怖を乗り越えさせる特効薬
女を癒すセックスとは?
  その一瞬を、壮大な宇宙にまで広げる喜び*
  「セクシー」を忘れたあなたなんて
  〈李朝風水による“潤い”指南〉
     性的コミュニケーション充実で、運気をアップ
  日本初のセックススクールに潜入してみれば
  (困惑ルポ、妻だって悩んでいます)
     “勃たない男”との優しい夜を探して
     「感じる」身体は骨盤エクササイズから
  (家庭内の難問、奇問・母ちゃん、セックスって気持ちいいの?)
    性に目覚めたわが子とどう向き合うか
  (読者体験手記)
    下半身が痒い—それでも求められる身の哀しさよ(56歳)
 浮気の末、私たちを捨てた夫よ**

 * ・・・ 恋多き女と云われる女優、彼女の長男よりも若い26歳年下の男を恋人にする秋吉久美子
 ** ・・  水戸黄門・初代「格さん」の妻が告発 

もうお判りだろう、今日にもテレビが食いついて芸能ネタとして取り上げたことで世間に広まるタレントのクソのような話題だ。一昔前キャバレーの姉さんたちが好んで読んでいた「実話ナニナニ」週刊誌の掃きだめに捨てられているような話題だ。どこの誰が離婚しようと、くっつこうと、何が面白い。このような話題を取り上げた雑誌こそその名も高い『婦人公論』なのだ。

20年近く前になるが、隣家のエリート社員の奥様が旦那に合わせるように毎号愉しみで愛読しておられた。その頃の事、親しくしていた妻が聞き込んできた。‘最近のこの本、読むのが恥ずかしい’と。聞いてみると当時すでにセックス記事が取り入れられ、徐々にページ数を増やす傾向にあったらしいのだ。その頃、総合誌の雄として「世界」「中央公論」そして「婦人公論」があった。どれもA5サイズの大きさで白い表紙に黒のインクで書名が活字で大書されただけのものだった。

しばらく前「婦人公論」を探してみた。どうしても見つからない。知らなかった、ファッション誌と変わらない綺麗な女性がモデル然として写っていた。私たちが学んだ時代の教科書が古色蒼然としたものに見えるのと同じ、時代の変遷をはっきりと思い知ることになった。この表紙じゃあお固い記事は書けまい、女性週刊誌に毛の生えた程度になるのはやむを得ないことか。勢いセックス記事も満載になる。いかに女性は昔から虐げられて来たか、これからはどう主張していけばいいか、あからさまにセックスが表面に出て来る。

“女性の微妙なところの痒みに”“大きな折り返しがついて夜も安心”“窮屈にならないブラジャー”カーテンで隠し、女の子だけを集めて教えた生理の話、堕胎の話などなどの枠を取り払った学校教育。思春期の男の子たちにもはっきりと女体の場所が特定できるコマーシャルが流れる。婚前交渉など何の抵抗もなく入ることができる下地が存在し、妊娠?ああ、堕ろせばいい、薬だってある。と現在の若者たちの罪の意識は薄く、性道徳という言葉すら無意味な状態に置かれているのが実情だろう。これで低年齢化する性犯罪を兎や角云っても始まらない。

そう、そう、ミー・ハーはここでも活躍していた。今をときめく韓流ブーム、題して“韓流美男”シリーズ、が最近号で15人目を取り上げている。

若者たち、これからの日本をどうするつもりだ? やはり“大人が悪い”だけなのか? 明日は君たちも大人になる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)