2011年5月14日 (土)

前略。原発翼賛文化人殿

 毎日新聞(5/14)『週刊テレビ評』欄から、
 《今回から当該欄を担当することになった金平茂紀が、私たち戦前・戦中世代が、第二次世界大戦の敗戦直後から、しばらく続いた戦争翼賛文化人の二枚舌に感じたと同じ問題を取り上げている。》

 《日中戦争から第二次世界大戦まで、大日本帝国の国是として「八紘一宇*」が叫ばれたが、大東亜共栄圏を建設するための標語となり、その精神に基づき世界平和の確立を招来する、として先ず、「日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の秩序を建設する(Wikipediaより)」ことと定められた。》

 * ・・ 八紘一宇(はっこういちう)、「八紘」は八つの方位を意味する語であり、転じて「世界」を意味する語となった。「一宇」は「一つ」の「家の屋根」を意味する。

《当時の文化人たちは、この大政翼賛の国是に賛同し、マスメディアを筆頭に、学校教育に、文筆に、絵画に、歌謡に、詩歌に、戦意高揚を高らかに謳ったが、1945年の敗戦を機に「総括」をすることもなく、一転して口を噤(つぐ)むか翼賛の行動、行為を否定した。獄に繋がれても最後まで戦争に反対し、抵抗したのは日本では唯一共産党だけであった。勿論、憲兵の拷問に屈し、転向したものは当然いたのだが。昭和の世代を知るものは、今回の原発の事故に伴う金平の指摘には、金平自身に将来、転向の起らないことを願うばかりだ。》

 今回からテレビ評を担当することになった。だが、僕自身がテレビ報道の伝え手の立場にある。伝え手がテレビを批評するするのには危うい点がつきまとう。つまり、そんなに批評をするのなら自分でお手本を示せばいいじゃないか。あるいは、批評する暇があったらあんたが自分で作れよ、と言う声がすぐにも飛んでくることが予想できるからだ。

《批評することは本来無責任であっていいのだ。
   批評とは「物事の善悪・美醜.是非などについて評価し、論じること」(広辞苑)
       「ある事物・事象についての何らかの思想・主張を持つ者による個人的見解の発露」(hatena)

 などとあるように、個人的見解、別の言い方をすれば評者の個人的価値基準について「だったら、お前、書(描)いてみろ、やってみろ、作ってみろ」などと言うのは飛んでもない的外れであり、また、それらができないことを気にすることの必要なものでもない。批評とは「自己の告白である」といわれるのもそのためだ。》

 けれど敢えて言えば、テレビの現場を知っている人間でなければできない批評というものもある。そしてその作業は自分自身に対する問いかけともなってくる。

 それで一回目に取り上げるのは、原子力発電とテレビの関係というしんどいテーマだ。コラムで扱うには大きすぎるが、今回触れておきたいのは、テレビに登場する著名人、タレント、文化人といった人々が、原子力発電や核廃棄物処理といったコントロバーシャル(論争提起的)なテーマについて、一方の側に立って宣伝=プロパガンダに動員されたケースをどう評価するかについてだ。

 こういうことをテレビで正面から言う人はいない。一種のタブーとなっているのだ。テレビに登場している著名人はそのこと自体である種の影響力がある。

 それを見込んで電力会社や原子力関連事業組織は、それらの人々を使って、原子力発電の推進、原発の安全性に関する広報キャンペーンを数多く行なってきた。そういう「原発翼賛文化時人」のリストが一部週刊誌やネット上で出回ったりしている。それらの人々の中には福島原発の事故を目の当たりにして今、当惑し慌てている人もいるかもしれない。〈ほんのアルバイトのつもりで引き受けただけなのに、もともと原子力については大した知識もないし‥‥〉などと呟きながら。

 僕がとりわけ問題だと思うのは、テレビの報道番組や情報系番組の司会者やキャスターをやっていた人が原発推進キャンペーンに積極的に関与していたケースだ。原発推進に心から賛成している人がいて、それはいわば思想信条の自由の範疇だからと言われれば、それ以上のことをとやかく言うつもりはない。だが福島原発の事故の後になって、そのよな自らの過去の発言や行動を意図的に隠したり、なかったことにしたり、あるいは、自分はもともとは逆の立場だったなどと糊塗(こと)を企てたりしている姿を見ると、僕は何だか情けなさと怒りを感じざるを得ないのだ。

《何時の世にも口先だけの世渡りのうまい輩はいくらでも跋扈(ばっこ)しているものだ。》

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2006年2月 3日 (金)

女優の死

つい先日シェリー・ウインタースの訃報を聞いたばかりだが、今日(2/3)モイラ・シアラー(80歳)の死が報じられた。敗戦後間もない頃に陸続として封切られ、銀幕を飾った女優たちが次々に全うした人生に別れを告げて行く。

シェリー・ウインタースはエリザベス・テーラー、モンゴメリー・クリフトとの競演になるセオドア・ドライザー原作の『陽のあたる場所』(1951年)で貧しく身寄りのない工場作業員を演じた。エリザベス・テーラーの演ずる父の経営する工場を頼って都会へ出て来た甥っ子が、見習いで送り込まれた作業場で親密になる娘だ。父の開いたパーティーで出会ったE・テーラーと甥っ子は一目で惹かれ合う。顧みられなくなった娘の方は既に妊娠していることを明るみに出すと甥っ子に迫る。殺意を抱いた青年は女を湖に誘いボートに乗せて沖に漕ぎ出す。話をするうちに娘のひたむきな思いに殺意を失う男に、底意を感じ取った娘が恐怖で思わずボートから立ち上がる。男は鎮めようとしたが大きく揺れて傾いたボートから娘は湖に投げ出され、浮かび上がることがなかった。しばらくボートの周りを探し廻った男は諦めて岸に泳ぎつく。裁判で男は殺意は認めたが犯行は否認した。男に陪審員の全員が有罪を下し死刑の判決が下りた。刑の執行される日、獄舎に逢いに来た富豪の娘は男に永遠の愛を誓って去った。貧しい身寄りのない女工を演じたウインタースはおどおどして頼りなげだが、一人で強く生きて来た生活感のある女性を見事に演じた。当時20歳で世界一の美女と評判のエリザベステーラーのスクリーン一杯のアップは19歳の私の胸をときめかせた。

モイラ・シアラーはロンドンの入院先のオックスフォード病院で1月31日に亡くなっている。彼女はロンドンのサドラーズ・ウェルズ・バレエ団(現英国ロイヤル・バレエ団)で活躍中に映画界から誘われ、アンデルセン童話に基づく「履いたら死ぬまで踊り続けねばならない魔力を持つ靴」の話、バレエ映画『赤い靴』に出演した。今から58年前、彼女22歳の映画処女出演作である。
敏腕のプロデューサーに見い出された新進作曲家とバレーダンサー、音楽が気に入らないで上演されないままになっていた『赤い靴』に新進作曲家のつけた曲が気に入り、上演を決める。激しい稽古の間に徐々に惹かれあう若い二人。ダンサーの恋愛は芸術に邪魔、と認めないプロデューサーは作曲家を馘にする。踊ることに人生を捧げると云っていたダンサーだったが退団してロンドンに移る男の後を追って結婚する。
舞台を続けなければならないプロデューサーは、以前にも同じことで馘にしたダンサーを呼び寄せて各地で公演を続けていた。たまたまロンドンから一人で叔母のところに来ていたダンサーは、当地での『赤い靴』の上演を知る。社交界のつながりから彼女が来ていることを知ったプロデューサーは再び『赤い靴』の舞台で踊る契約を取り付ける。『赤い靴』再演の夜はロンドンに残した夫が新作オペラの初演を指揮する日でもあった。しかし、夫は妻の『赤い靴』再演で踊ることを止めようとして己の大切な初演を犠牲にして妻の元へ駆けつける。しかし、妻はここまで育ててくれた恩人と、夫との板挟みに苦しむが、すでに『赤い靴』の少女の扮装を終え、赤い靴を履いた彼女は夫を楽屋から追い返す。やがて開幕のベルが鳴り響く。ダンサーは舞台へ進める足を翻して気が狂ったように表へ走り出ると部屋を通り抜け、止めるまもなくベランダから飛び降りた。その時、追い返した夫が乗るはずであった列車が轟音とともに走って来た。乗り損ねた夫が駆けつけ、虫の息の彼女は赤い靴を脱がせるように頼む。舞台ではプロデューサーが‘彼女は今夜もこれからも踊れなくなった、彼女がいないままで幕をあける’と話し、夫の手で靴を脱がされた彼女はそこで息を引き取る。

私がこの映画を観たのは16歳の時、戦時下を潜り抜けたばかりの少年には恋愛沙汰など理解できる筈もない。17歳の若さで「肉体の悪魔」を書いたレイモン・ラディゲの才能もない私には男女の機微も解らず、初めて接するクラシック・バレエの世界が真新しく、トーマスビーチャム指揮によるロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラの紡ぐ「白鳥の湖」「コッペリア」「ジゼル」の響きが、この後観た『哀愁』(ヴィヴィアン・リー、ロバート・テーラー)の「白鳥の湖」とともに印象深い作品の一つだ。私がモイラ・シアラーを見たのははこの一本だけでしなやかで瑞々しい彼女の容姿があるだけだ。天寿を全うした80歳の彼女は思い描けない。 合掌。

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2005年12月22日 (木)

どうでもいい話

年末のNHK紅白歌番組の歌手と歌の発表があった。
元々企画が変だったのか、「スキウタ」100曲から選ばれたのはたったの23曲。久し振りに誰もが聞きたい、世代を越えた歌が選ばれるかと少しは期待したが、結果はやはりと云うべきか殆どが少年少女向けの歌にとどまった。恐らく会場は聞くこともまともにできない黄色い声の歓声で埋まるのだろう。一年に一回のお祭り騒ぎだ、何も目くじら立てることもない。チャンネルは他の局に廻すだけですむ、何処も同じ穴の狢だが。

予定のプログラムを見て驚いた。この人たち皆んな本当に日本の歌手?嘘だろ?耳に聞いたことのある名前もあるが、7,8割は初めて聞く、見る名前、それも日本人じゃない名前。本当に日本の歌手?日本の曲?一人なのかグループなのかも知らない横文字の名前。何故そうなのかも解らない横文字の歌。本当に日本の人?歌?
中には余りの気持ち悪さに名前を目で確認した蚊の泣くような裏声でしか歌えない男性歌手、何でもこの歌手の母親も歌手だそうな。こいつの歌だけは2度と耳にしたくない。寒気がして来る。彼を代表にして日本の現代の男性歌手と呼ばれている連中、やはり何でもないのにやたら裏声を出す。じっとして聴けない、ぶるぶると背中から寒気が襲う。聞きたくないのに、コマーシャルで聞かせられ、チャンネルの合間に飛び込んで来る。

歌手のレベルはどうでもいいレベル、以前、レコード大賞をもらった日本歌謡史でもダントツに下手な若手男性歌手が出た(例のコロッケの得意の物真似の対象になっている)。裏金を山と積んだ事務所のお陰だ、彼はそれを知ってか知らずにか、俺は大物だ!と嘯いて業界から長い間干された。今もちょっと出(で)している惨めなタレントだ。それほど日本の歌手のレベルは低くなっている。歌手になる訓練も碌にしていないから出ない声を裏声でやっと誤魔化す。特に若手の男性に多いが、大人になり切らない声のビジュアルだけでテレビに出て来る。ところがこれが現代の少女には受けているところとなっている。歌はどうでもいい、ただ可愛いければそれで良し、とされる。ますます低いレベルの歌手(到底歌手とは呼べないレベルで)が、トイレで、風呂場で口ずさむ程度の鼻歌を聞かすことになる。女の子だけはキャーキャーと騒ぐ。

紅白がここまで低いレベルで埋まっているとは云わないが、せめて日本語で歌える歌手を選んで欲しい。横文字かぶれの西洋もどきの歌しか歌えない歌手ごときは出なくていい。日本人なら自分の名前ぐらい日本語を名のれ。

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2005年11月 2日 (水)

火垂るの墓

11/1日、タイトルのドラマを観た。日本テレビが文化庁芸術祭参加作品と銘打った「戦後60年特別ドラマ」だそうだ。
最初に結論から述べる。つまらない、同じ戦後60年を節目の他局のドラマ「広島・昭和20年8月6日」以上に今、平成16年の戦争観で作られた作品になっている。自由にものが言える民主主義の中で育ち、好きなように意見を口にすることができる空気の中でこそ吐ける台詞が散らばっている。代表的な台詞。父は海軍中佐で戦場で留守、空襲で母を亡くした中学生の少年とその妹を引き取って、世話をしている叔母(自身夫の戦死に伴い残された四人の子どもを育てている家に増えた従姉の子二人)に向って、母の形見の指輪を提供して仕入れたにも拘わらず、満足に食べさせてくれない不満をぶつけるシーン。少年は云う「父は国を護るために戦っています」に切り返す叔母の台詞「軍人は国なんて護っていません。嫌がる人を無理矢理戦争に行かせて虫けらみたいに殺すだけです」次いでは「日本が負けようが国がどうなろうがお腹はすくでしょう」。

現在だから言える言葉で、その当時大声で啖呵が切れる台詞ではない。死んで帰れ、靖国で逢おう、御国のために、日本中が開戦当初の戦果に酔い、鬼畜米英を合い言葉に心を一つにしていた時代だ。この戦争に反対していたのは日本では共産党一党(その多くは捕えられて獄中におり、拷問で獄死した人さえいる)と、アメリカではモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会でカトリックでもプロテスタントでもない全く独自の教典をもつ異端のキリスト教)だけで世界のキリスト教さえ大いに協力していたのだ。

他にも目立つ台詞に、出征する兄が足の不自由な徴兵を免れている弟(この長髪は虫酸が走る。当時この髪では「非国民」と呼ばれた)に向って云う言葉、「俺の居ない間に久子(ドラマでは主人公の叔母)に惚れるなよ」平成の世相のような性の乱れがないと思い浮かばない台詞だ。或いは若い男と女が道路の中央で立ち話など不可能なこと。或いはB29の空襲に遭遇するシーン、立ちすくむ兄妹の上を飛び去る飛行機が、道路上を移動する影がまるで自動車が移動するようなのろい動きだが、これじゃ飛行機は空を飛ぶことは不可能だ。

全体的には登場人物が清潔過ぎる。あの時代、自宅に風呂場がある家庭は稀にしかない。灯火管制下に置かれた浴場も明かりは点せず惨めな状態にあった。そのために、老も若きも男女の別なく誰もが不潔だった。洗濯さえ不自由であった。髪や衣服にはシラミが巣くい、臭く匂っても普通だった。若い女性も免れることのできない運命に置かれていた。化粧品など殆どない時代、登場人物のような綺麗な化粧など望んでも不可能だった。全員が平成の化粧に包まれているのだ。相変わらずCG頼みで拵える安易な画面、螢の出来などいかにも嘘臭い。旧作のアニメの螢はアニメだから成功しているのだ、おなじように真似しては無策としか言い様がない。それにエピローグの平成の追憶話しなど蛇足としか言い様がない。

TBSのドラマの時にも指摘したが、ドラマ制作に携わるメンバーの一人でも良い、時代考証に真剣に取り組んで欲しい。当時のニュース映画、ドラマや写真等、数多く見て、その上にも現在も生きて健在の人も多くいる筈、その人たちへの取材、データなどなど、真剣に取り組んだもので参加作品として仕上げて欲しい。こんないい加減な出来で芸術祭への参加などおこがましいと思う。

旧作アニメの良さを再認識しただけだった。

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2005年8月30日 (火)

ドラマ『広島・昭和20年8月6日』を見た

8/29日、タイトルのドラマを見た。つまらない恋愛ドラマに終わった。
堅苦しい反戦映画を期待した訳ではないが、余りにものんびりしたテンポ、生活感のないドラマ作り、三人の女優の時代考証のできていない人物像、と不満だらけだ。
昭和20年代、女性で登場人物のような化粧の女は何処にもいなかった。特に化粧は60年後の現在を映して全く不自然だ。当時ドラマの女性たちのように眉を剃り、釣り上げた化粧など誰一人してはいない。昔、時代劇で(勿論着物の下は腰巻きの時代)女優の後ろ姿にパンティの痕が映り、激怒した監督の話を聞いたことがあるが、そこまですることもないとは言え、60年後の平成の昆虫の触覚を写したような眉化粧では時代錯誤を起こしてしまう。

もう一つ決定的なミスがある。三女が軍事教官の虐めにあっている朝鮮人学友を助け、手を繋いで広島の町を逃げ回るエピソードがあるが、途中サイドカーに乗って追い掛ける軍事教官が大声で叫ぶシーン、『逃げれんぞ』。
昭和20年当時、こんなデタラメな日本語を使う日本人は一人もいない。必ず正しい日本語、『逃げられんぞ』と云った。化粧と云い時代考証と云い、CGを使うのもいいが、綺麗だけのCGではすべてが嘘くさくなって一層生活感が薄れる。ちっとも汚れていない建物、綺麗な石の橋では生活の匂いが全くなく、ドラマが益々作り物じみて生きて来ない。途中頻繁に挟まれるコマーシャルにドラマほどの綺麗さが見られないせいで、こちらの方に生活感が強く見られた。

演技ではひ弱な末弟が光った。黙って三人の姉を観察し、少年兵を志願して軍隊に入る前にそれぞれ一人、一人の姉について言い残す辺り、自分自身が軍事教練で上手く行かず、教官からしごかれた後、独り産業奨励館(現原爆ドーム)の階段手摺りを滑り降りるシーン、拾ってきた子犬に死ぬことの恐怖を語りかけるシーンなどを含め、女優三人を完全に食っていた。姉の口から15歳の弟の命を奪うことになるかも知れない戦争について喋らせるが、弟の15歳という年齢、現在の数え方では13歳と数カ月乃至は14歳、脚本家はこのことを知った上での台詞なのだろうか?疑問が残る。
三人の女優が浮いて見えたのはその弟が入営の日、駅での別れのシーン、婦人会の大勢の見送りの中、三人の女たちは手も振らず、旗も振らず、三人三様の勝手な話を始め、二女に至ってはあの時代あの群集(横に並んだ三人の姉妹の後ろで大人しく並んだだけ)の前で反戦まがいの演説を打つ、あの時代、とても考えられない話。長女はそれを止(や)めさせようとするが事件にはならないで終わる。

長女に思いを寄せる男性の戦地からの手紙、『戦場は地獄のようです』当時軍事郵便でこんな表現が可能であった話など聞いたことはない。軍当局の厳しい検閲があって抹消され、このような泣き言が書かれた封書が内地に届くことはなかったと記憶している。

プロローグで修学旅行らしき学生の前で話をしていた老人はその末弟の60年後の姿。チャップリンがヒットラーをモデルに『独裁者』を作ったのは今から65年前。最後のシーンで平和を訴えた名場面があったが、末弟役西田敏之がチャップリンよろしく学生たちの前で原爆を呪うが何かよそよそしい。

TBSテレビ放送50周年を記念して作ったというが、現在のように人を好きになることも難しい時代のことを、三姉妹の恋愛もので纏めてしまって感動のないつまらない作品になってしまった。最後に流れる歌、“涙そうそう”は余計なもの。

附(8/30):1974年 第一回広島平和音楽祭で 美空ひばり が歌った。

《一本の鉛筆》 松山 善三作詞 左藤 勝作曲

  あなたに 聞いてもらいたい
  あなたに 読んでもらいたい
  あなたに 歌ってもらいたい
  あなたに 信じてもらいたい

  一本の鉛筆が あれば
  私はあなたへの 愛を書く
  一本の鉛筆が あれば
  戦争はいやだと 私は書く

  あなたに 愛をおくりたい
  あなたに 夢をおくりたい
  あなたに 春をおくりたい
  あなたに 世界をおくりたい

  一枚のザラ紙が あれば
  私は子供が 欲しいと書く
  一枚のザラ紙が あれば
  あなたをかえしてと 私は書く

  一本の鉛筆が あれば
  八月六日の 朝と書く
  一本の鉛筆が あれば
  人間のいのちと 私は書く

数千とある歌の中でも私の最も大事に聞く歌である。2時間30分のつまらないドラマよりも、たった4分足らずの歌詞の中に溢れるほどの人間愛を感じる。

参照「1945(昭和20)年 8月」05/08/16

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2005年7月29日 (金)

ビロウ

東京テレビ(7/28)に朝から宣伝されてテレビ画面に出て来た文字ビロウ。私のような旧い時代の人間にはビロウの文字は直感的に下(しも)の話に思いが行く、意味は『汚い様子』で字は尾籠と書く。

勘違いと気付くには暫く時間が必要だった。宣伝のビロウはどうやら違うもので、当日の夜、放映さる2002年アメリカで作られたサスペンス、ホーラー、SFに分類される映画とわかった。
 ‘below’も‘billow’も日本語表記にするとビロウとなるが、アクセントの位置が異なる。
しかし、どっちでもいいことだ。現在は映画の題名に英語の原題をカタカナ表記にするだけのことが圧倒的に多くなっている。映画製作会社、或いは監督やプロデューサーの意志で、日本側の輸入配給会社が勝手に変更できないことが多く、英語に馴染みの薄い、英語は敵国語として排斥した世代にはチンプンカンプンになることがある。

要はアメリカ版“ひゅーどろどろ”【日本の映画では恨みを抱いて殺された多くは女の幽霊が出てくるお化け映画で(サスペンスあり、ホラーあり、SFの世界まである)、これも多くは川端の、或いは墓場の柳の木の下で、脚をなくした死装束姿で両手を前にかざしておどろおどろしく現れるときの表現に使われた】か。

私たち世代に現在のアメリカ映画が魅力がなくなっている要因に、コンピューターグラフィック(以下CGと表記)の無闇矢鱈な多用がある。これ見よがしの技術には面白さの欠片もない。単純に紙芝居を綺麗にして見せただけの価値しかなく、「ああ、これもCGか」「この程度なのか」「やっぱりCGの世界だな」で、金の力でどう複雑に細密に作っても迫力もなく、凝れば凝るほどお笑いになる。良い言葉がある、こう云うのを「噴飯もの」と云う。可笑しさに堪え切れず、食べかけていた飯粒を吹き出す意味で、馬鹿馬鹿しくて思わず吹き出して笑うことだ。映画界テレビ界はCG流行りの世界だが、策に溺れた技術自慢の行き過ぎの感は免れない。

日本のテレビ・コマーシャルでは顔の表情を変えるだけの幼稚な技術から、野生の動物の平原の世界にCGを持ち込み、ライオンとシマウマの抱擁を作って見せた馬鹿もいるが、これこそ哲学を云々する前に典型的なお遊びの噴飯ものの例に過ぎないものだ。

やはりお月さまには兎がいて、餅搗きをしている方が好ましい。

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