地震学
毎日新聞(10/19)”社説”から、
《災害は忘れた頃にやってくるとは言うものの、1995年の阪神大震災、2011年の東日本大震災後、いつ来るか分からない大地震を煽り立てるような報道が明け暮れ続く。私は基本的に現在の科学では地震予測など不可能だと考えている。防災対策は必要だが、現在の報道の仕方には幾分飽き飽きしている。例えば100年以内に発生するかもしれないとは、今日、明日か100年後のひ孫たちの世代かというスパーンをいうことだ。また、学者も明日あさっての問題ととらえているとは思えない。それをメディアはいたずらに人心を惑わすように一々騒ぎ立て、テレビは北の果てから南の果てまで中、小地震のその都度、テロップの花盛りだ。もう少し落ち着いてほしいものだ。》
日本地震学会が学会の改革をめざす「行動計画案」をまとめた。「地震予知」については、現時点で非常に困難であることを改めて認め、「確率的な予測」の意味で「予知」という言葉を使わない方針を決めた。学会内の「地震予知検討委員会」の名称も変更するという。
そのこと自体は当然だが、言葉遣いを変えれば事足りるというものではない。国の地震防災のあり方や、「予測」の位置づけについても、突っ込んだ議論を続けてほしい。
「地震予知」とは、「いつ」「どこで」「どれくらいの規模の」地震が起きるかを事前に把握することをいう。警報などにつながる確度の高い情報を意味し、東海地震を想定して78年に施行された「大規模地震対策特別措置法」(大震法)の根拠ともなっている。
しかし、こうした地震予知が現時点で不可能であることは、95年の阪神大震災ですでに明らかになっている。にも拘わらず、学会に限らず、大学や政府の組織でも「地震予知」という言葉が使われ続けてきた。国全体で見直していくべきだ。
一方の「予測」は、「ある地域で、今後○年以内に、マグニチュード(M)が○クラスの地震が起きる確立は○%」といった確立で示される。阪神大震災の後、政府の地震調査委員会は、こうした「長期予測」に取り組んできた。
しかし、昨年の東日本大震災で、この「長期予測」もあてにならないことが明らかになった。地震調査委は三陸沖〜房総沖を複数の領域に分け、30年以内の地震の規模と確率を公表していた。それでも、多数の領域が連動して起きるM9の巨大地震は予測できなかった。
それを考えれば、今回の教訓は「現時点では、直前予知だけでなく、長期予測も信頼性が低い」ということのはずだ。巨大地震は発生頻度が低く、発生メカニズムも実証されていない部分が多いため、原理的にも予測は難しい。
地震学会が地震予知という言葉の見直しを強調することが、「直前予知は無理でも、長期予測は信頼できる」という誤ったメッセージにつながるようでは困る。地震学会は、「社会に対して、等身大の地震学の現状を伝えていくこと」も改革案に盛り込んだが、これこそが大事なことだ。
原発近くの活断層調査についても地震学の限界は踏まえておかなくてはならない。原子力規制委員会は来月、関西電力大飯原発を現地調査する。他の6原子力施設についても、活断層に関する現地調査が必要かどうかを検討する。その結果が同であれ、地震発生のリスクを読み込んでおくことが欠かせない。
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