毎日新聞(4/10)から
ファッションはいつの時代も、世相や人々の気分を映し出す「鏡」という。共立女子大学大学院家政学研究修士課程終了。同短大生活科学科専任講師・渡辺明日香が東京の最新ストリートファッションを分析している。
《女史の分析に移る前に、先ず目に飛び込んできたカラーのスナップ写真がある。昭和一桁にはこのファッション、人間どこまで汚らしく飾り立てられるものかのサンプルのような女性の姿に驚く。写真のタイトルは『ヒラヒラ 自由に七変化』。だがもっと驚いたのは渡辺女史の写真につけたコメントということになる。女史の曰く、「左右非対称の個性的なフリルを着こなす理美容専門学校生(18)。ハンドメードのフリルスカートは、ネットオークションでみつけたという。カットソーや靴下もフリル付き。ウサギの耳付き帽子は手作り」とある。まるで着ている女性も、それを見る女史の側にも美的センスのないことが個性であるような表現だ。新しいファッションは常に古い価値観を覆すところから始まるのは分かる。しかし、余りにも見窄らしい姿格好だ。丁度橋の下や川辺の段ボール小屋で雨露を凌ぎ、ファミレスの残飯を漁って生活する人たちと変らない。ボロボロのレースの上着に幼稚園児のようなフリルだらだら、片脚の膝っ小僧は破れて丸出し、何カ所もほころびたストッキングを履き、片脚は足首、片脚は膝下に不似合いのフリルだ。破れた靴下はただのジーパンの物真似でしかない。いずれにしても軽佻浮薄としか言いようはない。
そのくせ、顔だけは普通に化粧して、普通に靴を履いている。いっそ、靴や顔の化粧も左右非対称なら万全だったろうに。》
女史の曰く、「レースフリルつきのショルダーバッグや靴下、ヘアバンドなど、フリルグッズも広まる一方。かっちりしたトレンチコートやスポーティーなパーカーにまでフリルがのぞいていたりする。眺めていると『なんでもフリル化現象だな』と思う」と。続いて,「こうしたフリルファッションの担い手は、高校生や若いOL風の女性が中心だった。しかし最近は、キャリア女性やミセス層にも広がっている」。
「いや、女性のみではない。男性のフリル姿もちらほら。中性的で細身の美容師風の男の子がフリルシャツにジーンズを合わせていたりすると、女性以上に似合っていて、つい感心してしまう。フリルたっぷりのシャツを胸をはだけて着ている茶髪のホスト系の男性には、ワイルドでかつ甘い魅力が漂う」とおっしゃっている。
《少なくとも、テレビでよく見掛けるホストに男性的な魅力を備えている人間を見たことがない。段ボール生活の仲間のような見るからに不潔そのものの髪、中性風なきざな物腰、中年女性はこのような男性を魅力的と感じるのか。どこにワイルドと表現可能な要素を備えているのだろう。》
《他にも4人の女性のカラースナップが載っているが、大同小異でどれもこれもトータルコーディネートのセンスが全く不足している。何でもかんでも身に纏えば良い、というものではない。自分自身の体型、顔かたち、背丈など全体的なプロポーションが分かっていない。フリルがはやっているからってどんなものでもフリルさえついていれば良いというわけではないだろう。》
渡辺女史は続ける「現在のブームのルーツを辿ると、原宿を中心に90年代後半から目にするようになった“ゴスロリ”(ゴシック・ロリータ)ファッションの影響が大きい」。「フリルをふんだんに使ったゴスロリ好きな若者たち。さらに名古屋発のゴージャスな“名古屋嬢”や最近話題の“姫系”ファッションと、フリルはエスカレートする一方だ」。
「フリルは元々、中世ヨーロッパの王侯貴族の間で発達したもの。襟や袖口にあしらうのが好まれ、女性、男性を問わず、身分の高い人が用いた。当時の手の込んだレースは、なんと宝石と同じ価値の貴重品。フリルは贅沢さの象徴だったのだ」。
《そう言いたいのは分かる。しかし、中世の男女貴族たちがフリルを身にまとっている姿には清潔な一糸乱れない気品がある。勿論残された絵画で推し量るより仕方ないが、今、東京の街を歩いているという写真の女性たちには、汚らしさだけで微塵も清潔さはない。ここでフリルの発祥を説いて聞かせるのは墓穴を掘るようなものだ。》
ここで渡辺女史はふんぞり返る。フリル=可愛らしい女性のもの、というイメージがあるが、「フリルの持つこの甘いイメージにだまされてはいけません! 女性らしい人のみがフリルを身につけていると思ったら大間違い。案外、ちょっと元気の良い女の子たちの方が、積極的に取り入れていたりする。本当は男の子なんか簡単にやり込められるくらい強いのだけれど」、「男性並み(以上?)に働き、自分らしさを求めて社会でバリバリ活躍する女性たちが、フリルでカムフラージュをはかっているのかも。そう考えると、女性のパワーが高まっているからこそ、ブームになっているのかもしれない」と。
《たぶん、渡辺女史、ご自分が全身をフリルで飾り立て、男になんか負けるか! と意気込んだ刺々しい生活をしていらっしゃるのでしょう。奇しくも最後のお話はご自分の告白となったように受け取れる。
ファッションショウが人に見せるためのものであるように、歩道を闊歩する女性たちも、自分が楽しむと同時に、他人(ひと)に見せるためのものでもあるだろう。そうであれば、人が汚らしいと感じるようなものは只の独りよがりに過ぎないもの、“私はフリルなんか必要ないわ”、と自分のスタイルで身を包むことが最大の個性だと思える。女史の言う女らしい茶髪の男のフリル姿など私は見たくもない。》
参照 流行 スパッツ 06/11/
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