2014年1月 8日 (水)

高校日本史必修を検討

 毎日新聞(1/8)から、

《日本とアメリカが戦争をし、その結果日本が無条件降伏をして負けたことを知らない子どもたちがいることを、これまでブログで何度も取りあげ、学校教育の場で日本の近、現代史を教えることの必要性を説いてきたが、憲法を変えてまで戦争ができる国を目指す安倍晋三の今、足元固めには教育こそと、それを行なおうとすることに深く、恐ろしい懸念がよぎる。象徴天皇を元首に戻し、人間天皇が再び神に祭り上げられる恐ろしさが隠されているのではないかと。》

 下村文部科学相は7日の閣議後記者会見で、高校での日本史の必修化について「前向きに検討したい」と述べた。現在、高校の地理歴史では世界史は必修だが、日本史は地理との選択科目となっている。今後、省内で検討を重ねたうえで、今年夏ごろ中央教育審議会に諮問し、早ければ2020年度の全面実施を目指す。

 下村は「英語教育を強化する一方、日本人としてのアイデンティティーを育てるため、日本の歴史や文化に対する教養を備える人材育成を同時に進めることが必要だ」と説明。次の学習指導要領改定で、社会生活に必要な知識や道徳を学ぶ新教科「公共」の創設と並ぶ検討課題とした。

 文科省によると、学習指導要領は約10年ごとに改定される。必須科の全面実施には、新要領を反映した教科書の作成や検定、採択が必要で、要領改定から3年間を要する。現行の高校の指導要領は08年度に改定されたため、次期改定は18年ごろの予定だが、必修科の全面実施を20年の東京五輪・パラリンピックに間に合わせるため、要領改定を1〜2年程度前倒しする可能性が摸索されている。

《確かに、英語は喋ることができても、日本を勉強し、日本語が話せる相手から、日本の歴史や歴史上の出来ごとについて質問を受けても、知りません、わかりません、教えられていませんでは、日本の恥さらしになるだけだと言うことに、遅ればせながら気がついたのだろう。》

 東京都立高校や神奈川県立高校で既に事実上、日本史が必修化されており、文科省はこれらの先行例も参考に検討を進める。

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2013年11月15日 (金)

教基法反したら不合格

 毎日新聞(11/15)から、

《10日に取りあげたが、中学の公民の教科書を選ぶのに、沖縄・竹富町が米軍基地の記述内容に不満があるとして、地区の協議会が決めた出版社から、独自に選定した出版社に変更し、12年度以降使い続けていることで、文科省は国の介入を懸念しながらも、法改正をする姿勢を強めていることを書いた。》

 下村文部科学相は15日の閣議後の記者会見で、教科書の記述に政府見解を反映させるよう、検定基準を見直すことを含む「教科書改革実行プラン」を発表した。2014年度検定の中学用教科書から適用する。主に歴史認識や領土問題などが関係する見通し。教育基本法の理念が反映されていなければ検定不合格とするとしており、従来の検定基準をより厳格化する方針だ。来週開催される教科用図書検定調査審議会で審議を始める。

 プランは,愛国心などを掲げ第1次安倍政権で改正された教育基本法の理念を、教科書に忠実に反映させることが主眼。検定基準については、政府見解や判例がある場合は必ず明記することを基本に、通説などその他の記述も妨げない。特定の見解が強調されないよう、他説も取り入れるなどしてバランスを保つ。教科書の記述を全体的に見て、教育基本方の理念が反映されていないと判断すれば、検定不合格とする。さらに、検定、採択に関する各種資料をホームページなどで積極的に公開し、透明性を図るとしている。

《オブラートに包んだような言い回しをしているが、安倍の右寄りの薄っぺらい歴史認識を反映させられ、無闇に「右向け右」の愛国心を振り回されては堪ったものではないし、昔の「文部省検定」一律の教科書しか使えないような時代になっては困る。》

 《愛国心って》
 参照 自分を見捨てた国 2006/05/

 1_2 アジア諸国に配慮する近隣諸国条項については、政府全体での検討課題として、今回は触れなかった。

 また、沖縄県八重山地方で中学公民教科書の採択権を巡り混乱した問題を受け、来年の通常国会で教科書無償措置法を改正し、採択の一本化ルールを明確化して、再発防止を図る方針も示した。

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2013年9月28日 (土)

蕨高生が「一日レストラン」

 毎日新聞(9/27)から、

《18日にも「秩父の女子高生8人が手打ちうどんに挑戦」を書いて、食品を扱うにしてはあまりにも無神経で不衛生な姿を取りあげた。今回の蕨の女子生徒たちは秩父の生徒たち以上に不衛生極まる姿だ。女子生徒を取りあげる際のメディアは、奇麗ごとの賛美するような取り扱いになる。生徒たちが何をしているのか、何を扱っているのか、写真まで掲載する報道だ。一目見て「わー、この姿で食べ物を触るのか」「食べ物の上に髪や髪の誇りが舞い降りるよ」「一体何の実習の教育だよ」となる。ここには、テーブルを囲む女子生徒たち5人、そのテーブルに飲み物を提供する1人、それを後から眺める2人と半袖の教師らしき男性1人。背景にはカウンター越しの厨房内に確認できる生徒7人、指導者だろうか白衣の男性一人、と胸からベルトを下げているハンチングの男性カメラマン1人、と離れて助手らしき男性1人が写っている。》

《生徒たちはそれぞれに思い思いのかぶり物をしているが、申し訳程度で髪など垂らし放題だ。ちょうど夏場のお化け屋敷に出るお化けそっくりの髪型をした生徒が多い。秩父の時にも指摘したが、地方紙の取材にしても、あまりにも無神経だ。傍で見ている教師らしき男性にしろ、カメラマンにしろ、こんな姿で料理を運んで来られたら、幼い子どもたちはきっと怖がって泣き出すかも知れないことが想像できないのだろうか。》

【閑話休題】
 蕨市のJR蕨駅通りの商店街で10月19日、県立蕨高校料理部が「高校生レストラン」を開店する。商店街活性化のため2年前にオープンしたレストラン「ぷらっと」の店舗を借りた1日限定の営業だが、生徒らは野菜たっぷりの「蕨高オリジナルカレーで、客を呼び込みます」と意気込んでいる。

 同校料理部は部員30人で全員女生徒。校内の調理室で毎週1回、部員たちで決めたレシピで料理を作り、手作りの味を楽しんでいる。ジャンルは、スイーツ、イタリアン、和食などさまざまだ。最近は、ティラミスやモンブランなどのスイーツが人気メニューという。

 料理部はこれまで文化祭で毎年「蕨高クッキー」を販売する以外、イベントなどへの出店経験はないものの、2年前には蕨商工会議所などが中心になって開発したご当地スイーツ「大人のプリン」でアドバイザー役として協力。その縁もあり、今回は同会議所の支援で初めてレストランを開店することに開いた。

 レストランで提供するメニューは当初、ハヤシライスの案もあったが、煮込みに1日かかることから、手軽に作れて人気があるカレーに決めた。具材にニンジン、ジャガイモのほかナスやレンコンなどの野菜をたっぷり使う。中辛の味付けで、擂り下ろしたリンゴでまろやかな味を引き出す。

 学校調理室で何回か試作した後、今月19日には「ぷらっと」の店舗で調理と接客サービスの特訓を行なった。接客では部員9人が、テーブルの配置や客の誘導、配膳の方法などを練習した。1年生部員は、チラシの作製を担当。デザインを決めたり、配布方法などを話し合った。

 メニューはカレーのみで、価格はワンコイン(500円)の予定。80食ほどの完売を目指す。2年生で部長の生徒(17)は「私たちで、レストランが本当にできるか不安があった。でも、「何かしたい』というみんなの思いで出店を決めた。地域の人たちにぜひ食べてもらい、カレーを通じて交流を深めたい」と話している。

《この生徒たちもいずれは家庭の人となるだろう。そのとき、夫や子どもに与える食事には心配りして、埃だらけのものを出さないことを願うばかりだ。》

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2013年8月30日 (金)

2013年度全国学力テスト

 毎日新聞(8/28)から、

 文部科学省は27日、4年ぶりに小学6年、中学3年の全員が参加した今年度の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)結果を発表した。応用問題の正答率は依然低く都道府県別正答率の上位と下位は固定化したままだったが平均を下回った公立校でも、小学算数・国語などで全都道府県の正答率の全国平均との差が5ポイント以内に収まり、一定の底上げがされた。ただ、問題が難しいことを理由に無回答だった中学生の半数と小学生の4割が「問題文の意味が分からない」と答え、読解力の欠除も課題になっていることも分かった。

 平均正答率は、小学校が国語A(知識を問う問題)62・9% ▽同B(応用問題)49・6% ▽算数A77・3% ▽同B58・6%、中学校が国語A64・3% ▽同B68・0% ▽算数A64・3% ▽同B42・4%――で、前年に続き、応用力を問うB問題に課題が見られた。

 全国平均に比べて公立校の正答率が5ポイントより大きく下回った都道府県は、小学校のすべての問題と中学校の国語Bでゼロになった。平均を大きく下回る都道府県はここ数年、減少傾向にあるが小学校の国語・算数のすべてでゼロになったのは今回が初めて。中学校でもゼロの問題が出たのは初だった。文科省は「各自治体が努力した結果で、全体として底上げされている」と手応えを感じている。

 また、生活習慣などを把握するための質問紙調査では今回初めて、無回答の理由を聞いた。算数・数学では、小学生の73%、中学生の66%が「問題が難しかった」と回答。そのうち、小学生39%と中学生51%が「問題文の意味が分からなかったから」と答えた。中学生では、27%が国語の無回答の理由に「回答を文章で書く問題だったので」と答え、記述式の問題を苦手としていることがわかった。

 自宅での子どもの様子や世帯の経済状況と学力との関係を考察するため「保護者に対する調査」も初めて実施された。こちらは来春に結果公表の予定だ。


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2013年6月 2日 (日)

公立高 「英語の授業はどうあるべきか」-3-

 毎日新聞(5/31)から、

 参照 高校の英語での会話授業、実施率2割足らず 2010/12/
    続・小学校の英語必修化 2010/09/
    
 三人目は『鍛えよう What to say 』の和田 玲・順天高教諭。

 「英知をもって国際社会で活躍できる人間を育成する」。これが私の授業の目的だ。そのために、他者と豊かにかかわり合う力を鍛え、世界のさまざまな問題に関心を抱き、感性を深めて自らの意見をはっきりと言える力を養う必要がある。私の授業は、英語を使い続けるアクティブな展開を意識しつつ、仲間とのかかわり合いを大切にする点を重視する。生徒は授業中、英語を使ってゲームをしたり、英語で意見を発表したり、私立高なので、学習指導要領に縛られないが、狙いは同じだろう。

 授業に参加する生徒の殆どが公立中の出身だから、特色のある英語教育を受けた経験もない。中学時代は穴埋めや英文和訳の問題ばかりしていたという。最初の授業で「英語で自分の夢を語ってごらん」と指示しても「My dream is ……」の後が続かない。しかし、仲間との関わりを深めて、トレーニングを繰り返しているうちに、単語や文法を少し間違えていても、友だちと意思疎通ができることに気がつく。英語で話すことに壁を感じなくなれば、英語力は伸びていく。

 How to say(どのように伝えるか)の素地ができれば、次はWhat to say(何を話すか)に取り組む。英語で意見を述べることに抵抗感を抱かない生徒は、話したいことや話すべきことを見つけて発表する。3年次は環境や格差などの国際問題を授業で取りあげ、英語で意見を出し合わせている。

 実は私も、塾や予備校で教えていた10年ほど前の授業は、教師が主体の講義形式だった。一方的に英語を和訳して、生徒に主語、術語などに線を引かせていた。しかし、今の学校で教えるようになった時、生徒が興味を持たず、それが通用しなかった。英文を和訳させようとしても、授業について来なかった。どうすれば、生徒の英語力を伸ばすことができるのかと悩み、授業のスタイルを改めた。

 学習指導要領についての意見は二分されている。賛成派はトレーニング(技能訓練)重視だった。だが、音読させたり、生徒に英語で話させたりするだけなら、英語で人を育てるという本当の英語教育と言えない。生徒が自ら思考し、表現するようでなければ、授業が無機質になってしまう。

 反対派は教師が教える役割を放棄することになると心配する。確かに「英語で話そう!」と教師が指示し、生徒にトレーニングさせれば、話せるようになるかも知れない。しかし、授業を通して生徒の知的な世界は広がらない。講義形式をとる教師であっても、和訳した内容を深く考えさせて、生徒の知的好奇心をくすぐることができる人もいる。

 コミュニケーションを重視する授業で大学入試に対応できるのかと懸念する声もある。しかし、大学入試の問題は徐々に表現することに力点が置かれるようになっている。英文を読ませた上で、自らの意見を100〜200語程度の英文でまとめさせるような問題が増えている。それは、講義形式の授業を受けた生徒だけでなく、無機的なトレーニングを受けた生徒にとっても高いハードルになるはずだ。しかし、What to say を鍛え上げた生徒はすぐにデータや例を探し出し、文章にまとめられる。トレーニングでコミュニケーション力を伸ばし、生徒の知的な世界を広げるバランスのとれた授業が理想だろう。

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2013年6月 1日 (土)

公立高 「英語の授業はどうあるべきか」-2-

 毎日新聞(5/31)から、

《本題に入る前に、お上がしきりにグローバル化を唱え出して、教育現場に英語導入を考え、先ずは小学校を狙った話題で賑わった7年前を振り返る。》

 参照 小学校の英語必修化 2006/05/

 【閑話休題】『指導できる教員の養成が先決』という、立教大教授・松本 茂
 私が東京教育大付属中に入学し、初めて英語を習った1968年ごろは「使える英語」への社会的ニーズは今ほど高くなかった。それでも、その英語の授業は3年間、ほぼ英語だけで行なわれた。高校もほぼ英語だけで授業をする先生もいらした。大学院で所属した英語クラブの活動は、当然ながらすべて英語だった。

 それから何十年っも経ち、英語を使うことが必要不可欠な急増している今になって「授業は英語で行うことを基本とする」という高校の学習指導よ寮の文言で英語教育界が大騒ぎしているのは、なんとも不思議だ。「大学入試」「生徒の能力」を理由に授業を変えてこなかったことのツケなのだろう。

 入試問題は一部の大学を除き改善されている。大学入試センター試験は「英文和訳」や「和文英訳」が一切、出題されない。断片的な文法知識で解ける問題も出題されていない。「英文で言い換える」「概要をまとめる」「知らない単語の意味を文脈から類推する」といった力を試す良問が出題されている。さらに、大学は今、入試問題を改善するだけでなく、入学者選抜方法を改善。多様化しようとしている。東京大が推薦入試を実施するのもその一例だ。

 近年、学力上位層を中心に海外の大学を目指す高校生が増えている。ところが、殆どの高校は依然として「何が何でも日本の国公立大学へ」という進路指導が中心だ。50分間の授業で半ページほどの英文を和訳して教師が日本語で文法を説明、そして、問題演習をすることに終始していたのがこれまでの標準的な授業だった。このような授業は大学入試にも役立たない。

 英語が使え、英語で指導できる教員を養成、採用、研修するシステムがなかったことが問題だ。悔いん、都道府県、特に大学の教員養成過程の責任は大きい。しかし、このうち少なくとも国は、事態を改善するための方針を打出した。そのひとつが新学習指導要領の内容だ。それだけでなく、英語教育改善のためのサポート事業も展開している。

 メディアは「英語で教えることを基本とする」という使用言語のことばかりを取りあげるが、じつはその文言の前に「英語に関する各科目については、その特質にかんがみ、生徒が英語に触れる機会を充実するとともに授業を実際のコミュニケーションの場面とするため」とある。「教員が説明する授業」から「生徒が主体的に英語を使う(読んで、書いて、話す)授業」に転換することを求めて切るのだ。

 「英語を英語で学ぶ」体験を積んだことのない英語教員が多いことも事実だ。各都道府県は、英語科の教員に他教科の教員よりも時間の余裕を与えた上、これまで以上に英語指導法研修を強化する必要がある。チームティーチングしかできない外国語指導助手(ALT)を増やすのではなく、1人で教えることができる外国人常勤講師を増やすことも肝要だ。

 一定レベル以上の大学は「英語で英語を教える」ことが標準的になりつつある。わたしがいる立教大経営学部のように専門科目を英語で教える大学、学部も増えている。この傾向は今後さらに強まって行く。高校と大学の教育をつなぐ「高大接続」の観点からも、高校の英語教育が急ピッチで改善されることを期待したい。
            ・・・つづく

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2013年5月31日 (金)

公立高 「英語の授業はどうあるべきか」

 毎日新聞(5/31)から、

 文部科学省は2009年3月、10年ぶりに高校の学習指導要領を全面的に改定した。英語はコミュニケーション能力を重視する方針が打出されて、授業は「英語で行なうことを基本とする」と明記された。4年間の移行期間を経て、今年4月から1年生を対象に全国の公立高で「英語による授業」を開始。15年4月に全学年に広がる。

 新指導要領の目的は、生徒が英語に触れる機会を増やしコミュニケーションの道具としての英語を意識できるようにすること。「国際化」を意識し、訳読中心の授業から脱却を目指す。指導する単語数も1300語から1800語に増えた。

 政府の再生実行会議も小学校英語の教科化を提言し、英語教育の議論は高まるばかりだ。高校英語の授業はどうあるべきなのか。

《英語に限らず他国語が必要と感ずる人は学べばいい言葉であって、日本人全員が学ぶ必要は全くないといっていい。加えて英語が話せるから国際人とは噴飯ものだ。日本国の大臣から国会議員たちの何割の人間に、その「国際人」に当てはまる人間がいるだろうか。自国の歴史も世界史の中でまともに評価、認識できないで、「国際化」「国際人」は恥ずかしい話だ。》
 
 松本 茂(立教大教授)、寺島隆吉(元 岐阜大教授)、和田 玲(東京・順天高教諭)の3人が賛否それぞれの立場で標題のテーマで語っている。

 先ず取りあげるのは「全員が話せる必要はない」の寺島教授から。
 高校の新学習指導要領はコミュニケーション能力に目標を特化した。生徒が授業で学ぶ英語は会話が中心になる。しかし、日本のような社会環境で英語を使う機会は限られている。どれだけ詰め込んでも忘れてしまう。「ザルに水を入れる作業」と似ている。

 音楽や体育の授業を受けただけでピアノを弾けたり、スポーツ選手になれたりするわけではない。英語だけが「授業だけで話せるようになる」と思われている。不思議でならない。日本人が英語を話せない理由は日常生活に必要ないからだ。私がベトナムに行ったとき、路上生活の子どもたちが英語で土産物を売っていた。生活の必要がそうさせるのだ。

 中学校の英語教育も会話が中心になったため、生徒の語彙は貧弱だ。だから、高校で一文一文の和訳に手こずる生徒もいる。それどころか人称代名詞の「us」を指して、「先生、このウスは何?」と真面目に尋ねる大学生まで現れたと聞く。

 このように、学力低下は深刻なのに「英語で授業」とは信じ難い。日本語でコミュニケーションをとることが難しい荒れた高校もある。「英語で授業」の押しつけは、生徒にとっても教師にとっても不幸だ。日本語を使わない授業が効果的だというならNHKの語学番組はなぜそうしないのか。

 学校教育で重要なのは、社会人になって必要になったときに活用できる基礎力をつけておくことだ。使わなければ忘れてしまう会話ではなく、まず「四m樹値から」をつける。その方が会話に役立つ。速読ができない限り、「速聴」は無理だ。相手の言っていることが分からない限り、会話にならない。読む力は書く力の基礎となり、書く力は、すぐに話す力に転化できる。英語のリズムで音読ができれば発音も良くなる。聴く力も伸びる。だから、日本語で指導しても十分に会話の基礎は育つ。授業方法の問題だ。

 ところが新学習指導要領を真に受けて、「日本語を使った授業になっていないか」だけを点検している教育委員会もあるようだ。理解に苦しむ。新学習指導要領のいう「生徒が主体となって活動する授業」は日本語でも可能であり、大切なのは生徒が自らの成長を実感できる授業だ。日本語ゼロの授業で質問もできず「顔で笑って心で泣いている生徒」を生み出してはならない。

 英語力イコール研究力という考え方も疑問だ。確かに英語の教科書を使わなければ大学や大学院の講義ができない国もある。だが、今の日本はすべて日本語で済む。ノーベル賞受賞者も英語が先にあったわけではない。知りたいことが先にあり、日本語で読み尽くし、知り尽くして初めて英語の必要性が生まれた。

 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた1990年代初期に、私はアメリカの大学で日本語を教えていた。そのころ、企業は社員を英会話学校や海外の大学に送って必要な語学力を身につけさせていた。今、その金が惜しくなったから、責任を学校に転嫁しているだけではないか。

 何か一つ外国語を学べば、日本と日本語が見えてくる。「母語を耕し、自分を耕し、自国を耕す」ための外国語だ。日本人全員が英語を話せるようになる必要もないし、義務もない。

 むしろ、英語一辺倒が日本を危うくする。

             ・・・つづく

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2013年4月19日 (金)

道徳に教科書導入へ

 毎日新聞(4/18)から、

《昭和一桁世代には、道徳「ドウトク」の言葉の響きは懐かしい。小学校に入るまでの成長期、両親から小学入学前に教室に入ったら、先生の言うことはしっかりと聞くこととか、おしゃべりはしないこと、歩き回らないことなど厳しく話して聞かされ、どこの家庭でも行儀作法の一通りは身につけて新入生になったものだった。
 そのような家庭内教育の行儀作法の段階から、系統だった道徳を学ぶのに役立ったのが、当時から現在でも広く見られる小学校を入るとすぐに眼につく二宮尊徳(金次郎)の銅像が象徴する修身の授業だった。
 ”芝刈り縄綯(なわな)い 草鞋を作り 親の手助け 弟を世話し、兄弟仲良く 孝行を尽くす 手本は二宮金次郎”と歌われたが、今どきの屁理屈を言う人には、寝る時間もないほど子どもを働かせて黙って見ているのは、親の子への完全ないじめか、虐待ではないか、と問われそうな金次郎の行動だ。
 併せて教育勅語にある、「親ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ・・・」と続くものだった。敗戦後、教育勅語の言う親孝行も、家族や夫婦愛も、隣人愛も、この一旦緩急(国家の一大事)の時には、(天皇のために)命を惜しまず捧げます、という考えが否定され、道徳の根幹を失うこととなった。》

 政府が推進する「道徳の教科化」について、文部科学省の検討案が17日、判明した。来年度は、現在使われている副教材を同省が全面改定し「教材」として利用。文科相の諮問機関〔中央教育審議会」での議論を経て、15年度以降は、民間が参入した検定教科書を作成、学校で使用できるようにする方針だ。特定の教員免許は創設せず、研修を受けた上でどの教員も教えられるようにする。検討案は今後、有識者による懇談会で審議される。下村文科相が社の取材に明らかにした。

 現在、道徳は学習指導要領の中で「総合的な学習の時間」などと同じ「教科外活動」に位置づけられている。小中学校で週に1時間設けられているが、算数など教科の補修時間に充てられることもあり、教える時間が確保されていない点が指摘されている。

 07年の第一次安倍内閣でも、道徳の教科化が打出されたが、中教審の中では慎重な意見が多く、見送られた経緯がある。

 下村文科相によると、新教科「道徳」は現在と同じ週1時間とし、当面は文科省が作成した副教材「心のノート」を全面改定した教材を用いることとするが、地元教委などが作成した副読本の追加利用も認める。2年目以降について下村文科相は「他教科の教科書と同じように民間が参入する検定教科書も考えられる」と述べ、教科書会社に「道徳の教科書」の作成を促した。

 下村文科相は「特定の価値を押しつけるのではなく、学習指導要領のコンセプトに合った偉人伝等を入れて、親も読みたくなるような教材を作り、家庭でも学べる環境を作りたい」とした。

 また、「道徳の教員養成をやるとすると、大学のカリキュラムも必要となり、10年かかる」と道徳の教員免許創設には否定的な見解を示し「(道徳の)免許が亡くても、研修を受ければ教えられるようにしたい」と話した。

《国歌、国旗の受け入れが浸透していない教員の存在もある中、安倍右傾内閣の狙う「国家」像が、どのように理解されるのか、教育現場に注目だ。》

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2012年8月 4日 (土)

柔道必修化、危険な三つの技を除外に

 毎日新聞(8/4)から、

《ロンドン五輪の試合でも、危険技による反則負けがあるように、柔道には危険技が幾つもある。一向に減らないいじめの一手段として危険技が使われることがあっては、成長過程にある体の小さなものや、引っ込みがちのもの、ひ弱なものなど、肩身の狭い思いの授業になるだろう。》

 中学の保健体育で今年度から武道が必修化されたことを受けて、さいたま市教育委員会は特に事故が懸念される柔道の指導手引き書を市独自に作成した。1984年ロサンゼルス五輪(80キロ級)銅メダリストの野瀬埼玉大教育学部教授が監修し、背負い投げなど危険度の高い技は指導内容から外した。桐淵教育長は「手引きを配布し、けがのない安全な柔道の授業を行いたい」としている。

《詳しくは知らないが、柔道は先ず受け身から学ぶ、と聞いている。危険な技があることを前提としたスポーツだ。最初からそれを避けては、体を寄せ合ったスロースロークイッククイックのダンスと変らないものになるのではないか。》

 文部科学省の学習指導要領では1〜2年時に「小内刈り」、3年は「大内刈り」「背負い投げ」を指導例に掲載している。《参照 中学校武道の必修化 2012/02 》だが、市教委は技をかけた人間の体重がかかる分、頭などを打つ危険性が高く、初心者には負担が重いと、これらの三つの技を取り扱わないこととした。

 このほか、手引きでは学年ごとに応じた技の取り扱い方を説明。写真を使い、怪我や事故につながる恐れのある動きは「危険ポイント」、習熟の目安を「見極めポイント」として盛り込んだ。

 市教委によると、今年度柔道を履修する中学は36校で、剣道は47校、相撲が1校。市が合併した01年以降、部活動を含めた学校での柔道指導中に重篤な事故は起きていない。日本スポーツ振興センターのまとめでは、83〜09年度に柔道に関する事故で死亡した中学生は全国で41人。このうち授業では2人だった。障害の残る怪我をしたのは120人で、うち授業では35人だった。

《授業や部活以外の死亡や障害事故とは何、学校以外の道場や、友達同士の遊びの中でのできごとか。》

 手引き書の作成委員長を務めた市立柏陽中(岩槻区)の今溝校長は「礼儀など武道を通じて教わることは多く必修はいいこと。不安な教員も多いだろうから手引きを読み込むことで、安心感や自信につながれば」と話す。

《武道に頼らなければ礼儀も、自信も身につかないことなのか。柔術が柔道に、剣術が剣道に、「じゅつ」が「みち」になったことで精神的に格上げされた思い込みがあるようだ。》

 市教委が7月26日に開いた実技講習会には市内全域から63人の体育教諭が参加した。手引き書に基づき講師たちが「技がかかりやすいので注意するように」「危険と思ったらすぐに止めて」などと指導方法を教員たちに伝授した。市立宮原中(北区)の秋山教諭(28)は「最も大切なのは安全。怪我なく柔道を指導できるようにしたい」と話した。

《中途半端な柔道が選択でなくて必修になった真の目的は何だろう。》

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2012年4月23日 (月)

キレる子対策 乳幼児から

 毎日新聞(4/23)から、
 「キレる子ども」やいじめ、学級崩壊など「子どもの心の問題」が社会的に注目されるなか、文部科学省は近く、乳幼児期の教育などから対処法を考える有識者会議を発足させる。子どもの情動の原型が乳幼児期までに形成されるとした報告などを踏まえ、会議には保育園関係者らも参加。文科省は来年3月までに報告書をまとめ、保育環境に対する指針作りなどに活用したい考えだ。

《何を今更の感が強い。いじめやキレる子の問題が注目されたのは6年も7年もいや、もっと前からの話だ。今日まで何を考えていたんだ。学級崩壊などは、子どもを顧みない躾けもしない親の責任以外に何があるのか。育児の問題は、その都度取り上げ、乳幼児の育児責任よりも働くことこそ「善」とする社会風潮にあることを批判してきた。その結果は育児保護責任を託児所や保育園、さらには学校に任せきりにし、身はモンスターになる機会を窺う。》

 参照 教育再生2次報告 2011/05
    親にキレる日本のこどもたち 2008/01
    土曜授業は是か非か 2011/05

 子どもの心の問題を巡っては、従来の経験則に基づいた指導では「効果が上がらない」という声が現場から上がっている。文科省の「情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会」が05年にまとめた報告書は、情動について「五歳くらいまでにその原型が形成される」と指摘。「乳幼児期の適切な環境とコミュニケーションが大切」としている。

 今回は報告書の内容を踏まえ、保育や教育の現場での子どもの指導にどうフィードバックさせるかを議論する。また、05年の検討会では、子どもの情動と脳の働きに関する科学的研究の進み具合についても議論されており、文科省は「子どもの脳に関する研究成果を現場で応用できるようにしたい」(児童生徒課)と話している。

 <要約>
 子どもの意思を尊重する「見守る保育」や、年齢の異なる児童を同じクラスにする「縦割り保育」を導入し、子どもの自主性を育てることを目指す保育園がある。身につけさせたいのは「生きる力」。全国で約300の保育園が、こうした取り組みを実践している。

 さいたま市桜区の「浦和ひなどり保育園」。1日は園児たちのそれぞれが認識できる顔写真のついたマグネットを、ホワイトボードの遊技別に分けられた中から好みの場所に貼付けることから始まる。「どんぐりやま」を選んだ園児たちは、裏山の竹やぶに向かうが、保育士は「子どもの意思」を尊重すると言うことで、園児たちの後を歩く。到着すると早速遊び始めるが危険なことをしない限り、園児に任せる。

 「園庭」班は砂場に出る。砂場に入り込んだ1歳児の世話は、数人の年長児が寄り添って行なう。保育士は数歩離れた場所から見ている。

 給食の時間になると、園児は「つづきカード」を置いて遊んでいた場所から離れる。後で続きをやれると分かっていれば、中断されることにもぐすらないという。

 同保育所は0〜1歳、2歳児、3〜5歳児と分けた縦割り保育を実施。給食時にエプロンがうまく着られない子や、0、1歳児のお昼寝は年長児の手助けが行なわれる。

 「当初、現場は混乱の連続だった」。浦和ひなどり保育園の梅原主任保育士(60)が振り返る。ピアノに乗るなどのいたずらを繰り返す子を大声で叱ったり、園児同士のけんかを慌てて仲裁する保育士もいた。。だが、今では「ピアノは乗るもの?」「お友だちに言いたいことがあるの?」などと話しかけ、子どもの反応を確かめる。手を出しやすい子がけんかを始めると、手を振り上げた瞬間にサッと止めに入れるよう、そばで聞き耳をたてる。けんかをした園児同士で解決できるように話し合いの場をつくってやる。

 なぜ、今「見守る保育」なのか。
 新宿せいが保育園の藤森園長*は「自分で決められない、人間関係をうまく結べない人が増えたと感じる。幼児期の過ごし方に起因するのでは。『3歳までは親の手で』という考えがあるが、兄弟が多く、地域社会との関係が密だった時代ならともかく、少子化や核家族が進んだ現代では難しい」と指摘する。

 * 藤森正司 ・・ 幼保一元化対応ソフト「見守るほいく」を開発
 私は異議ありの立ち場で書いた。 子育てビジョン 2010/02

《育児書には『3歳までは親の手で』を前世紀の遺物のように書くことがあるが、時代が変わっても変わることのない育児の神髄だ。藤森の言う「兄弟が多いこと、少子化や核家族が進んだ」ことが3歳までは親の手で、を否定することの因果関係が理解できないし、「地域社会との関係が密であった時代」を何時の時代でその社会構造の比較は何を指すのか理解できない。これまでにも随所に書いてきたが、生まれるとすぐに預けられたりする3歳までの、特に母親の愛情に欠けた子たちの情操面の貧しさが、キレる子だったり、落ち着きのない子になり学級崩壊のもとになる。》

 「見守る保育」では、子ども同士の縦の人間関係をつくり、保育士は必要以上に子どもを管理しない。年齢の違う園児が一緒にいることで、年長児は自然と年少児らに手を貸し、手本を示そうとする。

 「擬(ぎ)きょうだい」の必要性を提唱している日本発達心理学会理事長の子安‥京都大大学院教授は「役割が人間を育てる。『世話される側」から『する側』になろうと、子ども自身が変っていく」と意義を語る。

 だが、課題も少なくない。子安教授は「保育士の力量が問われる。子ども発達の一歩先を行く選択肢を、いかに提示できるかがカギになる」と指摘している。
 
《「子どもの意思を尊重して」で思いつくのは失敗と位置づけられた感のある「ゆとり教育」だろう。今度の土曜授業の復活に反対する意見の中には「絵を描きたい子に授業を強要させるのは」などと、人間の成長にとって学ばなければならない「制約」や「強制」を身につけさせられず、社会に出し、就職しても3年と我慢できない軟弱な精神の持ち主を作ってきたのだ。世の中は、自分の思うがままに成長し、生活できる甘っちょろい世界ではないことを学ばなければ大人にはなれないことを教えるべきだ。》

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