毎日新聞(4/23)から、
「キレる子ども」やいじめ、学級崩壊など「子どもの心の問題」が社会的に注目されるなか、文部科学省は近く、乳幼児期の教育などから対処法を考える有識者会議を発足させる。子どもの情動の原型が乳幼児期までに形成されるとした報告などを踏まえ、会議には保育園関係者らも参加。文科省は来年3月までに報告書をまとめ、保育環境に対する指針作りなどに活用したい考えだ。
《何を今更の感が強い。いじめやキレる子の問題が注目されたのは6年も7年もいや、もっと前からの話だ。今日まで何を考えていたんだ。学級崩壊などは、子どもを顧みない躾けもしない親の責任以外に何があるのか。育児の問題は、その都度取り上げ、乳幼児の育児責任よりも働くことこそ「善」とする社会風潮にあることを批判してきた。その結果は育児保護責任を託児所や保育園、さらには学校に任せきりにし、身はモンスターになる機会を窺う。》
参照 教育再生2次報告 2011/05
親にキレる日本のこどもたち 2008/01
土曜授業は是か非か 2011/05
子どもの心の問題を巡っては、従来の経験則に基づいた指導では「効果が上がらない」という声が現場から上がっている。文科省の「情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会」が05年にまとめた報告書は、情動について「五歳くらいまでにその原型が形成される」と指摘。「乳幼児期の適切な環境とコミュニケーションが大切」としている。
今回は報告書の内容を踏まえ、保育や教育の現場での子どもの指導にどうフィードバックさせるかを議論する。また、05年の検討会では、子どもの情動と脳の働きに関する科学的研究の進み具合についても議論されており、文科省は「子どもの脳に関する研究成果を現場で応用できるようにしたい」(児童生徒課)と話している。
<要約>
子どもの意思を尊重する「見守る保育」や、年齢の異なる児童を同じクラスにする「縦割り保育」を導入し、子どもの自主性を育てることを目指す保育園がある。身につけさせたいのは「生きる力」。全国で約300の保育園が、こうした取り組みを実践している。
さいたま市桜区の「浦和ひなどり保育園」。1日は園児たちのそれぞれが認識できる顔写真のついたマグネットを、ホワイトボードの遊技別に分けられた中から好みの場所に貼付けることから始まる。「どんぐりやま」を選んだ園児たちは、裏山の竹やぶに向かうが、保育士は「子どもの意思」を尊重すると言うことで、園児たちの後を歩く。到着すると早速遊び始めるが危険なことをしない限り、園児に任せる。
「園庭」班は砂場に出る。砂場に入り込んだ1歳児の世話は、数人の年長児が寄り添って行なう。保育士は数歩離れた場所から見ている。
給食の時間になると、園児は「つづきカード」を置いて遊んでいた場所から離れる。後で続きをやれると分かっていれば、中断されることにもぐすらないという。
同保育所は0〜1歳、2歳児、3〜5歳児と分けた縦割り保育を実施。給食時にエプロンがうまく着られない子や、0、1歳児のお昼寝は年長児の手助けが行なわれる。
「当初、現場は混乱の連続だった」。浦和ひなどり保育園の梅原主任保育士(60)が振り返る。ピアノに乗るなどのいたずらを繰り返す子を大声で叱ったり、園児同士のけんかを慌てて仲裁する保育士もいた。。だが、今では「ピアノは乗るもの?」「お友だちに言いたいことがあるの?」などと話しかけ、子どもの反応を確かめる。手を出しやすい子がけんかを始めると、手を振り上げた瞬間にサッと止めに入れるよう、そばで聞き耳をたてる。けんかをした園児同士で解決できるように話し合いの場をつくってやる。
なぜ、今「見守る保育」なのか。
新宿せいが保育園の藤森園長*は「自分で決められない、人間関係をうまく結べない人が増えたと感じる。幼児期の過ごし方に起因するのでは。『3歳までは親の手で』という考えがあるが、兄弟が多く、地域社会との関係が密だった時代ならともかく、少子化や核家族が進んだ現代では難しい」と指摘する。
* 藤森正司 ・・ 幼保一元化対応ソフト「見守るほいく」を開発
私は異議ありの立ち場で書いた。 子育てビジョン 2010/02
《育児書には『3歳までは親の手で』を前世紀の遺物のように書くことがあるが、時代が変わっても変わることのない育児の神髄だ。藤森の言う「兄弟が多いこと、少子化や核家族が進んだ」ことが3歳までは親の手で、を否定することの因果関係が理解できないし、「地域社会との関係が密であった時代」を何時の時代でその社会構造の比較は何を指すのか理解できない。これまでにも随所に書いてきたが、生まれるとすぐに預けられたりする3歳までの、特に母親の愛情に欠けた子たちの情操面の貧しさが、キレる子だったり、落ち着きのない子になり学級崩壊のもとになる。》
「見守る保育」では、子ども同士の縦の人間関係をつくり、保育士は必要以上に子どもを管理しない。年齢の違う園児が一緒にいることで、年長児は自然と年少児らに手を貸し、手本を示そうとする。
「擬(ぎ)きょうだい」の必要性を提唱している日本発達心理学会理事長の子安‥京都大大学院教授は「役割が人間を育てる。『世話される側」から『する側』になろうと、子ども自身が変っていく」と意義を語る。
だが、課題も少なくない。子安教授は「保育士の力量が問われる。子ども発達の一歩先を行く選択肢を、いかに提示できるかがカギになる」と指摘している。
《「子どもの意思を尊重して」で思いつくのは失敗と位置づけられた感のある「ゆとり教育」だろう。今度の土曜授業の復活に反対する意見の中には「絵を描きたい子に授業を強要させるのは」などと、人間の成長にとって学ばなければならない「制約」や「強制」を身につけさせられず、社会に出し、就職しても3年と我慢できない軟弱な精神の持ち主を作ってきたのだ。世の中は、自分の思うがままに成長し、生活できる甘っちょろい世界ではないことを学ばなければ大人にはなれないことを教えるべきだ。》
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