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2015年3月 3日 (火)

救えなかった命

 毎日新聞(3/1、3)“社説と私はこう見る”から《》内は私見。

《川崎市の中学一年生、上村遼太くんが無残な遺体で発見された事件で、神奈川県警は少年3人を殺人容疑で逮捕、解明を進めている。社説は「大人たちが問われる」と書き、「私はこう見る」(日本子どもの安全教育研究所理事長・宮田美恵子)は、「大人 あてにされず残念」と書く。どちらも「大人」を強調するように書くが、日本中に心底あてにされる大人がどれだけいるのだろうか。》

《18歳の加害者の父親にしても、夜中に出歩くこどもの監督責任をどう考えているのだろうか。また、遺体となった遼太くんの母親にしても、「仕事があるから」夜中に家を出る子どもに対して育児監督責任がとれなくてもやむを得ない、ような発言だ。目にクマを作り、顔面が膨れ上がるほどの暴力の痕が残るほどの異常に気づかなかったとしても、マスコミはそれを止むを得ないことのように表現する。しかし、未成年、まして13歳の子どもの監督責任は、周りの大人ではなく第1義的に親、保護者にあるのだ。また、学校や教師が気づくべきだとの説もあるが、もともと学校は教育の場であって、いじめや夜遊びを監視監督する機関ではない。》

《何か事が起るとメディアを始め、一家言ある人たちは異口同音、一斉に「大人が、大人が」を叫び始めるが、「大人」を口にした途端、責任の所在は曖昧になり始める、夜遊びにしても、「LINE」にしても親、保護者は携帯を買い与えるだけでは無責任に過ぎる。親は庇護監督下にある子どもの交友関係を確認する義務があるのだ。こどもの了解など得る必要はない。それを親の育児監督責任というのだ。》

 宮田の「私はこう見る」を見てみよう。
 大人が子どもからあてにされなかったことが残念でならない。傍観者になりすぎていたと感じる。学校も警察も地域も事件が起きる前になぜあと一歩踏み込めなかったのか。それは日頃から、大人と子どもの社会が分離してしまい、交流がなかったからだと思う。世代や組織の枠組みを超えてつながれる地域にするための特効薬はないが、時間をかけ、子どもも大人も心にゆとりが生まれるような社会の仕組みを作っていくしかない。

 大人に必要なことは無料通信アプリ「LINE(ライン)」などで狭いグループで完結してしまいがちな子ども側に、「ここに来れば安心だ」という強いメッセージを送り続けること。頼られることを待っていてはいけない。

 人間の成長を受けとめるのは家庭だけではない。大切な子どもは地域全体で育てるという意識を忘れてはならない。上村さんの無邪気な笑顔と事件の残虐性の悲しいギャップに、改めて私たちは気づかされたのではないか。

《現実には受け皿が存在していないのだ。具体的提案もない、十年一日、無い物ねだりの願望を口にするだけだ。》

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