毎日新聞(3/9)から、《》内は私見
寄稿・笠原十九司(都留文科大名誉教授・日中関係史、中国近現代史)
《安倍晋三が、浅薄な歴史認識で言辞を弄して侵略戦争を「おはなし」の世界にし、過去のものとして葬り去ろうとしていることを見ぬく目をしっかりと持つことだ。今朝も若者の選挙への関心が20%を切ったことをテレビが報じたが、先の大戦で亡くなった遺骨の回収も未だに報じられる昨今、今度戦争が始まれば、従来のように軍人は男性だけでなく、女性も兵士として(参照)当然戦闘参加の前線に出ることになるだろうことを若者たちも肝に銘じることだ。》
参照 女性自衛官 前線に配置検討 2013/03
硫黄島 2006/11
恐い内閣誕生 2006/09
自分を見捨てた国 2006/05
愛国心って? 2006/05
「いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、尊い命を捧げられた、あなた方の犠牲のうえに、いま、私たちが教授する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりともわすれません」
これは、2013年8月15日の全国戦没者追悼式における安倍晋三首相の式辞である。そしてこの年の12月26日、安倍首相は靖国神社へ参拝、「愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲のうえに、私たちの平和と繁栄があります」という談話を発表した。
《よくもこれだけ歯の浮くような言葉が口にできるものだ。腹の底では憲法を弄り、再び多くの若者の命を散らし、犠牲を強いるような国にしようと目論みながらだ。》
中曽根康弘首相「公式参拝」に始まり、小泉純一郎首相が繰り返し、安倍首相が受け継いだ。政府指導者による靖国神社参拝の儀式は、侵略戦争に動員され、犠牲にされた兵士と遺族、そして国民対して、天皇と軍部指導者と政府の戦争責任を棚上げにしたまま、国民が将来の戦争にも犠牲になるよう、だまし続けるための、政治的セレモニーであると、私は思う。
安倍首相は、戦死者が家族と故郷と国を守るために命を捧げたという「美しい日本の兵士」像を作りあげるために、戦争「物語化」の言説を折りあるごとに繰り返しながら、マスコミを操作してその浸透をはかろうとしている。それに策応する保守系メディアもあり、現在の日本のマスコミ界において、日本の侵略戦争を批判し、日本軍の加害・虐殺の事実を報道することをタブー視する傾向が強まっている。
《矢を折られたような現在のマスコミ界、権力に楯突いてこそ存在価値はあるマスコミは、しおらしく、おとなしく、まさに軍事下の言論統制さながらの状態に静まり返っている。》
3次にわたる長期の安倍政権下に、愛国心を強調した教育基本法に改正し、それにもとづいて、愛国心教育を柱とするように学習指導要領を改正し、それにそぐわない歴史教科書叙述を排除するように教科書検定基準を改定し、現在は愛国心を教える「道徳」の教科化をはかっている。
安倍政権の戦争「物語化」への世論操作にとっては、日本軍による侵略・加害の事実、とくに残虐事件・虐殺事件の歴史事実は不都合である。とりわけ、歴史教科書に記述され、学校の歴史教育で教えられるのは、不都合きわまりない。安倍氏は、1997年に自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(後に「若手」を削除、教科書議連)を結成して事務局長となり、その時に事務局次長についた下村博文氏が、長期にわたり文科相を務め、教科書から「従軍慰安婦」問題や南京事件をはじめとする侵略・加害の記述を削除、修正させるためにさまざま教科書攻撃をおこなってきた。
安倍首相の戦争「物語化」の言説と策動の目的は、首相が「命を懸けても」と執念を燃やす、日本国憲法を改正し、憲法9条を放棄し、将来の日本の戦争に犠牲になる若者とそれを支持する国民を育成することある。
戦争は国家による「大量殺人」であるから、日本が15年間にわたり中国大陸で行なった戦争において、日本軍は膨大な中国兵と民衆を殺した。日本の歴史書では約1000万人の中国軍民が犠牲になったと記され、中国側の公式見解では約3000万人の中国人が死傷したとされる。
日本政府と国民が、外務省ホームページ(アジア・歴史問題Q&A)にあるように「多大の損害と苦痛を与えたことを率直に認識し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ」、膨大な日本軍が長期にわたり中国戦場においておこなった加害の歴史実態を知ることが、歴史認識をめぐる日中の齟齬(そご)と対立を克服するために不可欠である。
殺し、殺されるのが戦争であるから、日本軍兵士の戦死者も膨大で、日中戦争・アジア太平洋戦争をふくめて日本軍人・軍属の戦没者は230万人と言われる。
藤原彰『飢死した英霊たち』(青木書店)は、これらの戦没者の過半数が戦闘行動による戦死ではなく、食料補給の途絶に由来する飢餓地獄の中で野垂れ死によるものだった実態を告発している。膨大な戦没者への鎮魂とは、われわれ戦後世代の国民が、若き兵士たちが餓死・病死さらに玉砕、自決など無謀な戦死を強制された戦場の実態と戦争の現実を知り、彼らの悔しさ、無念の気持ちに思いをはせ、そのような戦争の愚行を再び許さない国民になることである。
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