「婚活」症候群
毎日新聞(9/19)から、
結婚のため積極的に活動する「婚活」。社会学者の山田昌弘と少子化ジャーナリストの白川桃子が提唱した言葉だ。二人が2008年に出版した「『婚活』時代」で広く知られるようになったが、婚活が一部「誤解」されているという。二人は再び「『婚活』症候群」を出版。中で提示している婚活成功のキーワードは「脱・昭和結婚」だ。
☻山田昌弘・中央大教授(家族社会学)の話。
「『婚活』時代」で伝えたかったことは二つ。待っていても結婚できないということ。そして、今までの結婚形態。いわゆる「夫に経済的に依存する結婚」(昭和結婚)を目指すのはもう無理。ということ。だから「積極的に出会いを作ろう」「男性の収入に頼らず、女性も自活が必要だ」との提唱をした。
「待っていても結婚できない」という認識は浸透し、婚活する人も増えた。でも、婚活が「少数の高収入男性を早くつかまえるための活動」と誤解されているとも感じている。日本の女性は収入の高い男性としか結婚したがらない。背景には「女性は男性に養われるもの」という従来型の結婚観を追い求めていることがある。
《1980年代のバブル景気が到来する以前、女性の結婚相手の条件にでてきたのが「家付き、カー付き、ばばあ抜き」だった。なによりも嫁になる女性に、徹底的に夫の母との同居が嫌われ、核家族が日本の家族制度の形として形成されて行った。それが落ち着くとバブル全盛期には、次いで女性が男に求めたのが「高学歴。高収入、高身長」、いわゆる「三高」と呼ばれた現象で、中流志向に加えて見た目までもが対象になり、女性は自らの服装や化粧、食生活、身だしなみに贅を尽くす傾向が生まれた。》
「昭和結婚」は最早希少モデルだ。若年層の正社員率は6〜7割で、好きになった男性が非正規雇用の場合も当然ある。つまり女性が「収入が高い男性がいい」と思っても、期待に応えられる男性は現実的に減っている。意識を昭和婚から脱しない限り、婚活はやっても、結婚はどんどん遠のく。
改めて伝えたいのは、女性は仕事を持って自立し、経済的に男性に頼る意識を変えること。男性はたとえ収入面の条件が悪くても、諦めずにどんどん女性に声をかけていくこと。それが結婚への一歩だ。
収入の低い男性ほど、共働き希望で家事育児も手伝う意識のある人が多い。一方、収入が高い男性ほど、家事育児は手伝えていない。意識の有無でなく、男性の育児参加はほぼ労働時間に規定されているからだ。
日本では、就職でも結婚でも何でも、結果が「勝ち組」「負け組」の二極に分かれる。中間的な選択肢が認められないことが「生きづらさ」につながっている。欧米では結婚だけでなく同棲や事実婚も認められ、選択もできる。中間的な選択肢を増やすのは制度の問題で、新たなシステムや家族・結婚の形も多様化すれば社会にも必ずプラスになる。社会制度の変化も求められている。
☻白川桃子の話
「婚活」という言葉が定着する一方、ネットや大勢と出会える婚活ビジネスへの参加が「婚活」と誤解され、経済的、精神的に疲弊してしまう人もでた。今回の本では「昭和結婚」を追放し、年収も夫婦合算の「共働き夫婦」へと意識を変えない限り、結婚は困難だと改めて伝えました。
《中流に慣れ、贅沢に慣れ、結婚しても夫の収入は家族のため、妻の収入は妻だけのもののように、衣服に、化粧品に、或いはへそくりが増え、の使われ方が普通にもなっていった。だが、バブルは一瞬にしてはじけた。》
年収600万円以上の未婚男性は、わずか5・7%、400万円以上でも25・1%しかいない。世の中の世帯年収も下がる中、養えるほどの稼ぎがある男性は限定的。
「もう結婚では食べられない時代」ということを、強く意識してほしい。女性は将来を考える際、一生働くことができるようなスキルや仕事を持つこと。これが結婚や出産への一番の近道で、先のリスク管理の意味でも正しい道。世帯年収を上げるには共働きが不可欠。収入も家事育児も、夫婦で共有してサバイバルする時代です。
しかし共働き家庭では、まだ家事育児の大半は女性に偏り、女性が働き続けることが困難な事態も生じている。女性ん中でもまだ「子育ては母親がするもの」という意識は根強く、有名私立大でも「女性が働くことは当然だ」と考える女子学生はとても少ないのが現状だ。
女性活躍の推進が唱えられているが、女性が労働市場に参入し続けるのはまだ困難。働き方は硬直化し、子どもを持つ女性が働きやすい職場環境整備も不十分。母親の就職率も低い水準だ。これは社会構造の問題。婚活の限界を突破するには、働き方も「脱昭和」が必要。
男性も「一家の大黒柱として自分が家族を養う」と考える人ほど結婚は遅くなる。「二人でやって行こうよ」という女性を見つけたらすぐ結婚する、時には女性に流される勇気を持つ。また、相手を思いやる気持ちを持ち、感謝の言葉を伝えたり、何気ない時に花をプレゼントしたりするなど心配りをすること。家庭でも「夫婦」の役割に縛られるのではなく、互いに向き合いコミュニケーションを取る。男女間にも「脱昭和」が求められている。
《「時には女性に流される勇気を持つ」は、すでに現状がそうなっているように見える。古き良き昭和の時代のように、貧しくても、貧乏でも、手鍋下げて苦労してもあなたと二人で家庭を育てて行きましょう」と言える女性がどれほどいるのか。頑固一徹の親父が幅を利かせた家庭だけが昭和じゃない。裏長屋で細々と生活しながらでも、夫婦、親子水入らずの人生を送った人たちがいたことを忘れないでほしいものだ。》
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