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2013年6月 2日 (日)

公立高 「英語の授業はどうあるべきか」-3-

 毎日新聞(5/31)から、

 参照 高校の英語での会話授業、実施率2割足らず 2010/12/
    続・小学校の英語必修化 2010/09/
    
 三人目は『鍛えよう What to say 』の和田 玲・順天高教諭。

 「英知をもって国際社会で活躍できる人間を育成する」。これが私の授業の目的だ。そのために、他者と豊かにかかわり合う力を鍛え、世界のさまざまな問題に関心を抱き、感性を深めて自らの意見をはっきりと言える力を養う必要がある。私の授業は、英語を使い続けるアクティブな展開を意識しつつ、仲間とのかかわり合いを大切にする点を重視する。生徒は授業中、英語を使ってゲームをしたり、英語で意見を発表したり、私立高なので、学習指導要領に縛られないが、狙いは同じだろう。

 授業に参加する生徒の殆どが公立中の出身だから、特色のある英語教育を受けた経験もない。中学時代は穴埋めや英文和訳の問題ばかりしていたという。最初の授業で「英語で自分の夢を語ってごらん」と指示しても「My dream is ……」の後が続かない。しかし、仲間との関わりを深めて、トレーニングを繰り返しているうちに、単語や文法を少し間違えていても、友だちと意思疎通ができることに気がつく。英語で話すことに壁を感じなくなれば、英語力は伸びていく。

 How to say(どのように伝えるか)の素地ができれば、次はWhat to say(何を話すか)に取り組む。英語で意見を述べることに抵抗感を抱かない生徒は、話したいことや話すべきことを見つけて発表する。3年次は環境や格差などの国際問題を授業で取りあげ、英語で意見を出し合わせている。

 実は私も、塾や予備校で教えていた10年ほど前の授業は、教師が主体の講義形式だった。一方的に英語を和訳して、生徒に主語、術語などに線を引かせていた。しかし、今の学校で教えるようになった時、生徒が興味を持たず、それが通用しなかった。英文を和訳させようとしても、授業について来なかった。どうすれば、生徒の英語力を伸ばすことができるのかと悩み、授業のスタイルを改めた。

 学習指導要領についての意見は二分されている。賛成派はトレーニング(技能訓練)重視だった。だが、音読させたり、生徒に英語で話させたりするだけなら、英語で人を育てるという本当の英語教育と言えない。生徒が自ら思考し、表現するようでなければ、授業が無機質になってしまう。

 反対派は教師が教える役割を放棄することになると心配する。確かに「英語で話そう!」と教師が指示し、生徒にトレーニングさせれば、話せるようになるかも知れない。しかし、授業を通して生徒の知的な世界は広がらない。講義形式をとる教師であっても、和訳した内容を深く考えさせて、生徒の知的好奇心をくすぐることができる人もいる。

 コミュニケーションを重視する授業で大学入試に対応できるのかと懸念する声もある。しかし、大学入試の問題は徐々に表現することに力点が置かれるようになっている。英文を読ませた上で、自らの意見を100〜200語程度の英文でまとめさせるような問題が増えている。それは、講義形式の授業を受けた生徒だけでなく、無機的なトレーニングを受けた生徒にとっても高いハードルになるはずだ。しかし、What to say を鍛え上げた生徒はすぐにデータや例を探し出し、文章にまとめられる。トレーニングでコミュニケーション力を伸ばし、生徒の知的な世界を広げるバランスのとれた授業が理想だろう。

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