世話せず多頭飼育 虐待に
毎日新聞(2/26)から、
《虐待、いじめが流行語のように流行る昨今だが、動物への「虐待」には異見がある。人間が可愛がっているようでも、動物から見て、果たして必ずしも喜んでいるとは思えない風景をしばしば目にする。元々、私の育った環境も、犬に囲まれた家庭で、家族の皆も犬好きであった。散歩や遊びにはいつも犬はそばにいた。現在と異なり、家の近くには野原や空き地も多く、犬に限らず動物との触れ合いの場に困ることもなかった。当時は密集する家屋も少なく、鳴き声などで隣近所への配慮にあまり困ることもなかった。犬種も家庭内での飼育には昔ながらの狆が記憶にある程度で小型犬の数はそんなに多くなかったように思う。》
《さて、記事に言う虐待の例だが、多い数と言っても普通じゃない数の犬を飼育する人を取りあげているものだが、・・・・》
【閑話休題】
動物好きの人なら一度は「たくさんの犬や猫に囲まれて暮らしたい」と夢見たことがあるかもしれない。でも、適切な飼育ができなければ動物にストレスを与え、虐待につながる危険もある。
「動物を殺傷することも、適切に世話をしないネグレクト(飼育放棄)も虐待。世話が行き届かないのに、何十匹もの動物を飼う多頭飼育も虐待です」。こう話すのは、NPO法人「KAVA神奈川動物ボランティア連絡会」代表の矢吹氏。横浜市を中心に飼い主のいない犬や猫の保護活動をしており、動物虐待についての相談が持ち込まれることも多い。
3年前矢吹の元に「市内の民家で50匹以上の犬が飼育されている」という情報が寄せられた。飼い主の男性は、子犬が他の犬に踏まれて怪我をしても治療せず、中には噛み殺される子犬もいた。「多頭飼育は虐待だと説得しても、なかなか理解してもらえなかった」と振り返る。飼われていた犬は避妊去勢手術がされていず、次々に子犬を出産していたという。
だが、男性の体調不良がきっかけで、状況が変化した。男性の妻から「これ以上、犬が死んでいくのを見たくない」と言われた矢吹は、ボランティア仲間と協力して犬の保護に務め、1年以上かけて、30匹の犬に新しい飼い主を見つけた。矢吹は「多頭飼育をしている人の中には、動物を『可愛がっているつもり』の人が多い。理解してもらうのは難しいが、ゆっくりと時間をかけて話し合い、解決していうしかない」と話す。
数十匹の犬や猫を一度に保護しても、問題は収容先だ。日本動物福祉教会の山口獣医師は「多頭飼育の現場から動物を保護する時には、行政や獣医師、愛護団体などのネットワークが重要だ」と話す。自治体の保健所や動物愛護センター、動物病院などの収容スペースには限りがあるため、個人で動物を預かってくれるボランティアの存在は欠かせない。山口は「動物を助けたいという思いは行政も愛護団体もボランティアも同じ。協力し合うことが必要です」と話す。
環境省動物愛護管理室は11年3月、安易な多頭飼育に警鐘を鳴らすパンフレット「もっと飼いたい? 犬や猫の複数頭・多頭飼育を始める前に」を作った。
動物が複数になれば、餌代や医療費などの金銭的負担が増える。動物同士が喧嘩しないように関係性に気を配らなければいけないし。食事や健康管理は複雑になる。また、鳴き声や臭いなど隣近所への配慮も必要だ、
同室によると、多頭飼育が破綻する徴候は
①犬や猫が清潔でなく、手入れが十分ではない
②犬や猫が健康でない
③家の中や外が散らかっている
④近隣との良好なコミュニケーションがない⎯⎯⎯⎯⎯など。「多頭飼育の危険信号に気がついたら、保健所や動物愛護センターに相談を」と呼びかけている。
《さて、冒頭に書いた「虐待」への異論だが、特に愛犬家と呼ばれる人たちについてのことになる。日本の家屋では、狂犬病予防のため一般的には紐や鎖に繋いで飼うように定められていることは、置いておく。》
《普通に蹴ったり殴ったり、蹴飛ばしたりすることは誰が見ても虐待と受け止めるが、逆に、飼い主は可愛がっていると錯覚しているのが、飼い主の自己満足でしかない虐待だ。犬に限って話を進めるが、例えば格好よく見せるために耳を切る、反対に、犬の都合も確かめられないままに毛を刈る、刈り込む、人間の好みに合わせて毛並みをデザインしてしまう。動物本来の生命力を無視して雨が降ればカッパを着せる。飼い主の自己満足のためだけに帽子をかぶらせる、胴衣を巻き付け、靴を履かせる。果ては人間さまの都合の金儲けに増産や珍種生産のために、やたらに交尾させる。自慢したいのは飼い主だけの品評会を設ける。犬たちには嬉しくも楽しくもない格好をさせられて、街なかを引き回される。金儲けになるからと、ブランドメーカーまでもが犬でなくて、人間さまの自慢の手伝いにあれこれの付属品を創り出す。私に言わせれば、浅ましい愚の骨頂の多すぎる虐待だ。》
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