続・絆
毎日新聞(3/11)から、
昨夜の東京都内では、そのまわりの照明が消された暗闇の中、東京タワーに寒々と文字が浮かんだ。「KIZUNA」 だ。一体誰に向けての文字だろうか。日本人相手ならカナか、ひら仮名か漢字で書いてほしいものだ。この1年、海外からの励ましも多くあったが、その彼らに感謝のメッセージなのか。こんなことだから口先だけの「絆」に成り下がり、被災地に溢れる瓦礫を受け入れる自治体すら未だに東京の他には1、2県にとどまっているのだ。
今日も、被災から1年が経過したことで、各テレビ局はお祭りごとのように東北にご出張、全く能のない話で1年前の出来ごとの恐怖体験を思い出させ、白々しくも被災者を逆なでするようなレポートを流すだけだ。折角、機材や人材を現地に集め集中的に報道するのなら、なぜ2200万トンの瓦礫が山となっている姿を全国の自治体や国民に見せつけることをしないのか。この瓦礫の処理が進まない限り復興などありえないだろう。何かと理由をつけて受け入れを拒否する自治体だけではない、絆を口にする人たちも、各自治体に強権を使ってでも瓦礫の受け入れを進めるよう、国に求めてもいいのではないか。
「絆」を教えられたり真似たりして口にすることは、オウムでも九官鳥でもできる。その言葉が本物かどうかが今、問われているのだ。
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