「やるべきことやった」
毎日新聞(8/27)から、要約と《 》内は私見。
菅直人首相は26日、退陣条件としていた再生可能エネルギー固定価格買い取り法と特例公債法が成立したことを受け、民主党両院議員総会で「本日で代表を辞任し、新代表選任後、内閣総辞職の段取りを取りたい」と退陣表明した。《退陣時期に付いてはいろいろと取り沙汰されてきたが、見事な粘り腰であった。》
参照 国会70日延長議決へ 11/06
《首相に就いてから、退陣まで、特に大震災後の総理の去就について、メディアは好き放題の論陣を展開してきた。それが適正であったかどうかについて、山田奨治・国際日本文化研究センター教授(情報学)が『メディア時評』で菅総理の政治「姿勢」を取り上げることに汲々とし、肝心の「政策」チェックを怠ったのではないかと指摘した。》
メディアはこのところ、菅直人首相への批判の方向性を見失っていた。政策を検証する大切な役目を放棄していたと言ってよい。それは菅首相の方針が、国民の少なからぬ意見を反映していたからだ。脱原発はいうまでもない。消費税率の引き上げにしても、それが避けて通れそうもないことを、国民の多くが感じ取っている。
菅首相の政治感覚は、市民運動家という異色の経歴を通して鍛え上げられたものだ。サイレント・マジョリティー《もの言わぬ多数派》の声を拾う力は、最近のどの首相よりも優れていた。彼の政策は、国民の感覚に近いがために、それを批判することは政官財の旧態にすり寄ることになってしまう。そこで多くのメディアは、菅首相の政策そのものではなく、政治姿勢や人格に批判を集中させた。辞任表明しながらいつまでも辞めない、事前の調整もせずに思いつきで方針を乱発する、などなどだ。
菅よりも前に首相を務めた3人の世襲議員のことを、「政権投げ出し」と多くのメディアは厳しく批判した。それならば、政権に執着し、驚異的な粘り腰を見せた菅首相のことを、評価しなくては矛盾する。
宰相の役割は、国民のための政治の大方針を打出すことだ。思い切った方針を発表する前に、官僚や既得権益者に配慮した「事前の調整」が必須だというのならば、報道姿勢そのものが疑われる。新しい方針を次々と出すことが、首相の政治への「積極性」ではなく、「乱発」と負の評価をすることの正当性も、メディアの多くは説明していない。
8月2日から毎日新聞で「菅流事典」が連載された。絶妙なネーミングが示す通り、菅首相の政治姿勢に焦点を当てた企画だ。記事は首相の特徴的な行動を淡々とまとめたものだが、見出しは「名誉欲・歴史にこだわる」「四面楚歌・安易な接近で墓穴」と、首相の政治姿勢への批判が強調されていた。
メディアが嵌り込んでいた状況が、ここによく表れていた。すなわち、政策ではなく政治姿勢に注目し、それに負のレッテルを貼ることによってしか、「権力の監視役」のポーズを見せられなかったことだ。
菅首相の政策は、妥当なものだったのだろうか、メディアが彼の政治姿勢に気を取られ、政策チエックがおろそかになっている間に、いくつかの重要な法案が通った。それはまさに、メディアが菅首相の術中にはめられたとは言えないか。
《山田のメディア時評は、メディアの世論操作の常套手段を衝いたものだ。》
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