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2011年8月 3日 (水)

8月15日が近づく

 毎日新聞(8/3)『養老先生のさかさま人間学』から、
 《毎年8月になると、新聞はその季節になったとでもいうように、先の大戦の日本敗北の決定的な日となった広島(6日),長崎(9日)への原爆投下による被害国としての記事で埋まる。しかし、何故そうなったかのことについては、学校教育でも詳しくは教えないわが国の近・現代史の空白に近い時代だ。私は今でも交戦国間の敵国への攻撃手段として、昭和天皇が15日のラジオ放送で流した終戦の詔勅の中で「敵ハ新タニ残虐ナル爆弾ヲ」使用したと言った原爆が投下されたのは、当時の好戦的な日本の軍部を制禦できなかった国政ばかりでなく、開戦当初の戦捷を大々的に国民を煽るように記事にした(事実、国民はバンザイ、バンザイと浮かれ、勝利に酔いしれた)マスメディアを筆頭に、青少年への学校教育でも戦争への参画を呼びかけ、兵士たちの玉砕が続き、沖縄にまで戦火が及んでも、なお最後の一人になるまで戦えと戦争を長引かせ、叫んだ結果だ。原爆投下は、多くの国を巻き込んだ戦禍に明け暮れる世界情勢から判断しても仕方のないことであったと思っている。》

 【閑話休題】
 1945(昭和20)年8月15日、つまり終戦の日、ボクは小学校2年生でした。

 それまで大人たちは一生懸命に敵襲にそなえ、さまざまな訓練をしていました。「鬼畜米英」「本土決戦」「一億玉砕」という言葉がよく聞かれました。

 8月15日がすぎたらすべては一変しました。今度平和憲法」「マッカーサー万歳」です。子どものボクは奇妙な思いでそれを見ていました。世間はこういうふうに突然変わってしまうんだよなあ。

 その気持ちはボクのなかにしまいこまれて、表にでてきたわけではありません。でも長く生きてみると、わかってくることがあります。あのとき以来、ボクは「何を信じたらいいか」、それを自分なりにさがし続けたのです。だって世間はどう極端に変わるか、わかったものじゃないんですから。

 医学を学んでも生きた患者さんをみず、亡くなった患者さんをみるようになりました。だって死んだ人の身体がどうなっていても、それはすべて「私がみる」のです。そこでまちがえても、まちがえたのはボクです。だれのせいでもありません。

 ボクが集団行動が苦手なのもそれです。みんながそうだということが、かならずしもそうではない。それをしっかり学んでしまったからです。

 それがいいことだとは思っていません。でもときに必要なことだと思います。それにボクみたいに思った人たちがほかにもいたにちがいないのです。それは明治維新を、ボクと同様に子どもですごした人たちです。江戸300年の伝統があっという間に消えてしまうのを見てきたにちがいないからです。

 そういうことは、またあるでしょうし、いつでもあるんでしょうね。

《養老孟司は東大名誉教授の解剖学者だ。私より6歳若いが頭脳は月とスッポンの開きで私は劣る。これまでも、敗戦をきっかけに教師の背反をさかいに、軍国少年として「死」ぬことが名誉であると教えられた男の生き方から、疑うことで生きることを学んだ私の生き様を繰り返ししたためてきた。養老は小2ですでに世間を捕らえ、大人の豹変を冷静に観察していたのだ。彼と同様、私も集団行動は大の苦手だ。逆に集団が右に動けば私は左に、集団が賛成することには敢えて反論を、そして、これは明治生まれの父譲りの、長いものには決して巻かれない反骨の気性で生きてきた。損することの多い生き方だが、これも養老のいう自己責任の取り方だ。》

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