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2011年7月19日 (火)

20年東京五輪立候補

 毎日新聞(7/17)から、要約と、《 》内は私見。
 東京都内で16日、IOC(国際オリンピック委員会)のロゲ会長を招待した、日本オリンピック委員会(JOC)創立100周年記念式典の席で、「復興五輪」を掲げて東京都が20年夏期五輪の開催都市に正式に名乗りを上げた。被害が大きかった3県では歓迎の声が聞かれた一方、「五輪と復興がどう関係するのか」と疑問の声もあった。石原東京都知事にも「前回の経験を生かすためにも、手を挙げ続けるべきだ」との思いがあった。そこに起きたのが東日本大震災と福嶌第1原発事故。都とJOCは「こんな時に」と世論の反発を招かないかを見極めてきたが、「復興五輪」を旗印にしての立候補絵を選択した。

《これこそ鉄面皮な旗印と言える。大震災直後の14日、石原は「津波は天罰」と言い放ったのだ。後に釈明しているが、深層心理には東北の人たちへの蔑みが根付いているのだ。その同じ人間が、今度は同じ口で「復興」を唱える。同胞の多くが日用品の買い占めに血道を上げるなか、世界中の多くの国や人たちが、東北人の整然としたした行動に感嘆し、人材や物資などの協力を尽くしてくれ、震災からの復興を願ってくれている。その世界的な輿論を利用したのが「復興五輪」の旗印だ。石原の頭は、東京目線の「東京」五輪でしかない。》

 『時評・点描』で玉木正之(スポーツライター・音楽評論家)が書いている。
 (前略)
 なんとも情けない話で、いったい何のための五輪招致か!? 1度目は戦災からの復興、2度目は震災からの復興‥‥‥であれば、東京でなく東北の都市が立候補すべきだろう。オリンピックにはさまざまな政治的思惑が働く。とはいえ基本はスポーツ大会。東京五輪招致には、その基本が決定的に欠けている。前回も「エコ五輪」というスローガンを「五輪は国連ではない」と一蹴する委員がいた。

 一方、東京以外の招致国では、著名なサッカー選手らが国際的耳目を集めると同時に、国内的には彼らの所属していたクラブやリーグの会員(市民)を動かした。その結果、前回の東京は都民の支持が55・5%しか集まらなかったが、リオは84・5%、マドリードは84・9%もの支持を集めた。

 リオのバスコ・ダ・ガマ、フルミネンセ、ボタフォゴ、マドリードのレアルやアトレチコといったクラブはサッカーだけでなくバスケットやバレーやハンドボール等のチームを併せ持つ市民参加の総合型スポーツクラブとして機能している。

 FC東京もそんなクラブを目指しているのだろうが未熟で、読売巨人軍は「市民参加総合型」とは無縁のプロ興行組織でしかない。そのため東京の五輪招致は「五輪で日本を元気に」という程度の抽象的な主張しかできず、「税金の無駄遣い反対」の声を説得できないのだ。

 五輪招致運動は、たとえ招致に失敗しても市民のスポーツ環境が整備され、住環境が改善され、幸福な社会の建設につながる‥‥‥。五輪招致推進派は、そんな運動の一環としての五輪招致を考えるべきではないだろうか。

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