小学校で英語授業
毎日新聞(5/4)から、
4月から小学5、6年生で英語が完全必修化された。国際化時代に対応するためだが、「英語を話せること」と「グローバル化に対応すること」は本質的に別のことだと思うと、記者・斉藤信宏(北米総局)が小学校の英語授業の必修化に異議ありを述べている。
《私も常々同意見を主張してきたが、実施はすでに決定し、使用する教科書(文科省が配布した「英語ノート」)も配布済みになっている。3年前のブログから、参照「小学校英語」09/02 》
まず前提として、英語は意思疎通の手段に過ぎないということを確認すべきだ。英語を使うことで、母国語の異なる人間同士の意思疎通がスムーズになることは間違いない。しかし、それはあくまでも英語を話せるもの同士での事情に過ぎない。「これであなたも国際人」といった英会話学校の広告を見かけるが、英語を話せるだけで国際人になれるのなら、米国民はパスポートを持っていなくても、外国人と話をしたことがなくても国際人ということになる。
(中略)
昨年11月に主要20カ国(G20)首脳会議の取材で訪れた韓国でも、英語を理解できないタクシーの運転手に何度も英語で話しかけ、降りる時には「レシートをくれ」と繰り返した。運転手が韓国語で「領収書のことですか」と答えたのを聞いて、韓国語の「領収書」の発音が日本語にとてもよく似ていることを知り、恥ずかしくなった。(私、斉藤)は英語でこと足りると思い込み、相手がどれだけ理解しているかも顧みずに英語を使い、異文化を理解することを疎かにしていたのだ。
英語を振り回す人間は、時に横暴に見えることことがある。多くの日本人から「そんなことは分かっているよ」と言われそうだが、英語重視を打出す企業経営者や文部科学省の幹部には、改めてこの点をよく考えてもらいたい。
経営者が「英語を社内公用語にする」と宣言する企業も増えてきた。経営者は、英語が意思疎通の手段に過ぎないことは百も承知で、敢えて社員に自覚を促すために公用語化に踏み切ってのだろう。英語なしで国境を越えた商売をするのは難しいし、英語ができるに越したことはない。だが、世界を相手に本気で商売をするのであれば、英語公用語化の前に考えるべきことがあるはずだ、とも思う。
《この問題は、企業人に限ったことではない。政治家であろうと、学者、社会人、留学生であろうと同じことだ。英語は話せるが、漢字が読めないマンガレベルの総理では困るし、英語が話せても、自分の国の歴史も知らない学生では、とても国際人とは呼べないことは何度も取り上げてきた。》
1年3ヶ月前、米国でトヨタ自動車の大規模リコール(回収・無償修理)問題が厳しい批判に曝された。その際、米議会で何人かの議員が、トヨタの意思決定システムを問題にした。世界で年間750万台、米国で日本国内を上回る180万台の車を販売しながら、取締役会メンバーの27人全員が日本人男性だったことに議員らは驚き、「トヨタは本当にブローバル企業なのか」と疑問の声を上げた。
トヨタが、米ケンタッキー州に工場を建てた80年代から、地道に米国に溶け込む努力をしてきたことはよく知っている。「トヨタ方式」を広め米国内の製造業の生産性向上にも貢献してきた。しかし、そんな「世界のトヨタ」ですら、「取締役会のメンバーは日本人の男性ばかり」だったのだ。多様性を認めず、同質性の高い集団で経営方針を決める企業。そんなトヨタのに米議院らは驚いた。
英語が意思疎通の手段であるのは言うまでもない。しかし、英語を学ぶだけでは国際化時代への対応は不十分だ。国際化とは、英語を話せるかどうかという単純な尺度ではなく、人間としてどれだけ多様な人を受け入れられるかという物差しで測るべきではないか。
国際化とは、どこか遠い外国に行って外国人とコミュニケーションすることと思いがちだが、本当はもっと身近なものだ。私の息子が昨年夏まで通った米メリーランド州の公立小学校には、28カ国から来た25カ国語を話すl子どもたちがいた。校長はホームページで、学校の大きな魅力として世界中から来た多様な子どもたちの姿を紹介していた。
日本にも、たくさん の外国人が暮らしている。身近にいるそんな知人や友人が日本社会をどう見ているのか、彼らの食べ物や日常生活は自分とどう違うのか、そして家ではどんな母国語を話しているのか。そんな「内なる国際社会」を子どもに見せ、「自分たちとは違う生活習慣の人が世界中にはたくさんいるんだ」と身を持って体験させることのほうが、英語教育より大切な国際化教育だと思う。必修化された授業時間を、そんなふうに使ってほしい。
日本の小学校が、児童の外国人比率の高さを誇り、豊かな多様性に学べる日が来れば、小学生から英語を習わなくても、十分に国際化に対応した教育だと胸を張れるはずだ。
《だが、もう漕ぎ出した船だ。ゆとり教育のように、何の益もなく失敗だと気づくまで2,30年はやめることはできないだろう。》
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