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2011年5月13日 (金)

ナチス戦犯裁判

 毎日新聞(5/13)から、
《日本では神として靖国に祀られている戦犯者たちがいる一方で、ドイツでは未だに自国民の手による第二次世界大戦のナチス戦犯追及、刑の執行が続けられている。》

 ドイツのミュンヘン地裁は12日、第二次世界大戦中にナチスの強制収容所で看守を務め、ユダヤ人虐殺に関与したとして、殺人幇助の罪に問われたジョン・デミャニューク被告(91)に禁固5年(求刑・禁固6年)の判決を言い渡した。判決は「少なくとも2万8060人の虐殺に加担した」と認定したが、素手の未決拘束期間が約2年に及び、高齢で逃亡の恐れもないことから即日釈放された。

 ドイツはナチスの戦犯を訴追するため、79年に謀殺(計画的殺人)に関する時効を廃止し、戦犯の追跡を行なってきた。だが関係者も高齢化しており、独メディアは「最後の戦犯裁判の一つ」と報じている。

《仏教国日本と違って、私個人的には羨ましいことだが、ドイツの戦犯追究には恐ろしいほどの執念が感じられる。》

 デミャニューク被告はウクライナ出身。43年、ナチス占領下のポーランドのゾビブル強制収容所で看守を務めたとされる。戦犯の一人として88年にイスラエルの裁判所から一度は死刑判決を受けたが,その後、本来の被告とは別人と判明して無罪となり、米国で暮らしていた。だが09年、収容所で虐殺に関与した疑いがあるとして今度はドイツの裁判所が逮捕状を出し、米国がドイツに身柄を引き渡して、ミュンヘン市内で拘束されていた。

 検察側は当時の収容所の書類などを基に、被告がユダヤ人をガス室に送る手助けをしたと主張。弁護側は、目撃者の証言も曖昧で、証拠も捏造と主張し無罪判決を求めていた。被告は公判中、車椅子で出廷し、殆ど口頭では陳述せず書面で「私はみせしめ裁判の被害者。誇りも人生も奪われた」と述べていた。

《日本でもつい先日、沖縄日本軍の沖縄島民の自決に軍の関与を認める裁判があったが、デミャニューク被告と同じように、守備隊長らは関与を否定していた。》

 ユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・米ロサンゼルス市)の報告書によると、現在も世界各地に住むナチス関係者の追究は続いており、09年4月〜10年3月に世界各国で実施された捜査は852件。このうちドイツ当局は08〜09年の約6倍にあたる177件を捜査した。

 容疑者の高齢化で捜査が困難になる「時間との闘い」の中、ドイツは最近、対象を「(従来のナチス)幹部やドイツ出身者以外にも拡大」(報告書)し、ユダヤ人虐殺の歴史の精査を進めているという。

《何でもなしくずしにして終わらせる日本人の国民性との違いは大きい。》

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