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2011年5月31日 (火)

君が代起立命令は合憲

 毎日新聞(5/31)から、
 卒業式の君が代斉唱時の不起立を理由に、東京都教委が定年後の再雇用を拒否したのは「思想や良心の自由」を保障した憲法に違反するなどとして、元都立教諭の申谷(64)が都に賠償を求めた訴訟の判決で、最高裁第2小法廷(須藤裁判長)は30日、「校長の教職員に対する起立斉唱命令は合憲」とする初判断を示した。その上で、申谷の上告を棄却。申谷の敗訴とした2審判決(09年10月)が確定した。

 公立校での君が代斉唱は、最高裁が07年2月、都内の小学校長が音楽教諭にピアノ伴奏を命じた行為を合憲と判断したが、教職員全体が対象となる起立斉唱命令について憲法判断したのは初めて。

 裁判官4人全員一致の判断。小法廷は先ず「起立斉唱行為は卒業式などの式典での慣例上の儀礼的な性質を有し、個人の歴史観や世界観を否定するものではなく特定の思想を強調するものでもない」と指摘。ただし、起立斉唱行為を教員の日常業務に含まれないとした上で「国歌への敬愛表明を含む行為で思想と良心の自由に間接的制約となる面がある」と位置づけ、間接的制約が認められるかどうかは「命令の目的や内容、制約の態様を総合的に考慮し、必要性と合理性があるかどうかで判断すべきだ」との判断基準を示した。

 その上で申谷のケースを検討。
  教育上重要な儀式的行事で円滑な信仰が必要
  法令が国歌を「君が代」と定める
  「全体の奉仕者」たる地方公務員は職務命令に従うべき地位にある
ことを挙げ「間接的制約が許される必要性や合理性がある」と結論づけた。

《裁判長がいう、法令が「君が代」を国歌と定めたのが、1999年8月。申谷の不起立行為があったのは法律施行以後のことだ。》

 申谷は04年3月、当時勤めていた都立高校の卒業式で、校長の命令に反し君が代斉唱時に起立せず、戒告処分になった。07年3月の退職を前に非常勤職員としての再雇用を都教委に申し込んだが、不合格となった。1審・東京地裁判決(09年1月)は校長の起立斉唱命令を合意とする一方、「再雇用拒否は裁量権の乱用」として約210万円の支払いを命じたが、2審・東京高裁は都側の広範な裁量権を認め1審を取り消す逆転判決を言い渡していた。

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2011年5月29日 (日)

定員オーバーでワゴン車転落

 《またまた法律無視か無知なのか、定員が何たるかも知らないバカが運転する車が林道から外れ、下山の苦しさを嫌がる情けない山岳部員を乗せたまま、崖を転がり堕ちて世間を騒がす事故を起こした。運転者は積載重量の限界を超えた加重を掛け、下り坂を引力や慣性、遠心力など運動の法則への配慮もなく、車の制禦能力に無知のまま、危うく多くの命を亡くす寸前だった。》

 毎日新聞(5/29)から、
 定員を超える高校生ら12人を乗せたワゴン車(8人乗り)は、崖下へ約140メートルにわたって転がり続けた。山形県米沢市の天元台高原ロープウエー湯元駅付近の林道で28日起きた転落事故。引率教諭は「10回転くらいした」と恐怖を語り、生徒への謝罪を繰り返した。

 事故現場は、幅約5メートルの急な下り坂がくねくねと続く林道の途中にある。ワゴン車は崖下の林の中に腹を見せて転がっていた。生徒3人がシートにくるまれて横になっているのが見える。県防災ヘリが3人を引き上げた。約50度の急な斜面だが、ワゴン車は木にぶつかりながら落ちたとみられ、死亡者はいなかった。

 県立酒田工高の斉藤校長によると、事故に遭った山岳部員ら12人は来週の山形県高校総体に備え、下見登山合宿に来ていた。ワゴン車を運転していた池田教諭(44)は「生徒たちがアスファルトの下り坂を延々と歩いて下るのをためらったため、車で下りようという話になった。間違った判断をした」と話したという。

《こういうのを『後のまつり』というのだ。命を失うことがなかったからいいようなものだが、44歳という年齢から考えても、山登りの心得すら知らない男に指導されている生徒たちは、「やはり」というべきか、山に登れば必ず、登るより苦しい下山があることすら身につけていないのだ。下山がどれほど苦しいものか、また、登山は下山を全うしてこそ完成することすら学んでいない。これでは流行の山女たちと何ら変わらないハイキングだ。5合目まではバスで行き来できる富士山も車のない時代は、麓からてくてくと歩いて登り、同じように麓まで歩いて下ったのだ。》

《徒然草で兼好法師も書いている。第109段:高名の木登りといひし男、人を掟てて、高き木に登せて、梢を切らせしに、いと危く見えしほどは言ふ事もなくて、降るる時に、軒長(のきたけ)ばかりに成りて、『あやまちすな。心して降りよ』と言葉をかけ侍りしを、『かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ』と申し侍りしかば、『その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず仕る事に候ふ』と言ふ。

あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難き所を蹴出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。 と下りの気のゆるみを戒めているのだ。》

 また池田教諭にも子どもの学校のPTA行事があったため、早く米沢市を出発して酒田市に戻りたい事情があったという。

《ますます池田とは勝手な人物だ。教え子たちを一歩間違えば死に至らしめる所だったのだ。謝って済むことか。》

 斉藤校長は報道陣に「保護者の方々には大変申し訳ない」と語った。同僚教諭によると午後2時20分ごろ。「車が10回転ぐらいした。腰や顎を強打して骨折している生徒がいるようだが、全員意識がある」と連絡してきたという。

 県警米沢署などによると、12人は来週、同高原で開かれる山形高校総体登山競技の下見合宿のため27日午後に酒田市を出発し、同日夜は米沢市の白布峠駐車場でキャンプした。28日早朝に一旦、教諭2人がワゴン車など2台に分乗して湯元駅付近まで下り、林道を通って同日行なう縦走の目的地点の天元台まで登った。2人は天元台にワゴン車を置き、もう1台の車で来た道を引き返した。その後、12人で駐車場から天元台まで縦走。天元台に到着後、本来はワゴン車に荷物だけ積んで、生徒は徒歩で下山するはずだったという。

《「はずだった」と後悔しても役には立たない。若い頃、山登りをしてきた経験からも、立てた計画は最後まで実行することだが、さて、この連中、どんな計画を立てて実行に移したんだろうか,それとも無計画だった?》

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2011年5月28日 (土)

世界記憶遺産

 毎日新聞(5/27)から、
 【世界記録遺産】または「世界の記憶」とは、
 ユネスコが主催する三大遺産事業の一つで、危機に瀕した歴史的記録(世界史にとって重要な個人的記録)遺産を最新のデジタル技術を駆使して保全し、研究者や一般人に広く公開することを目的とした事業。1992年に創設された。以来、フランスの人権宣言やオランダの「アンネの日記」、韓国の「朝鮮王朝実録」「承政院日記」、中国の「古代ナシ族トンパ文字による歴史的文書」や故宮博物院所蔵の「清代歴史文書」など、2006年9月現在で57カ国120点が登録されている。長い間日本からは推薦がなく、国内でも知名度は低かったが、遅ればせながら2012年3月までに日本ユネスコ国内委員会はいくつか推薦する予定のようだ。候補としては「御堂関白記」、「慶長遣欧使節関係資料」(いずれも国宝)とを、日本政府として初めて推薦することを決定。
 また、日本政府とは別に、福岡県田川市と福岡県立大学は共同で2010年3月、炭坑労働を記録した画家・山本作兵衛が描いた筑豊の絵約700点を推薦していたが、2011年5月25日これら697点の作品が国内初の記憶遺産として登録された。

<選定基準>
 1. 影響力
 2. 時間
 3. 場所
 4. 人
 5. 対象主題
 6. 形態及びスタイル
 7. 社会的価値
などの1次的な基準と、
 8. 元の状態での保存
 9. 希少性
など、2次的基準が設けられている。(Wikipedia より)

 「カンテラを提げ、腰を屈めて坑内をくだる男と女。赤ん坊を負った少年を振り返りつつくだる女坑夫。切羽に挑む男。裸体である。背から両腕へかけての、彫りもの。/ういういしい筆さばき。つややかな意志」
 福岡県.筑豊の炭坑の労働や生活を描いた山本作兵衛(1892〜1984)の絵画や日記697点が、国内から初めてユネスコの世界記憶遺産に登録されることが決まった。

 冒頭は山本と接した作家、森崎和枝が山本の絵を賞賛した文章だ(藤原書店「森崎和江コレクション・精神史の旅 2 地熱」より)。カンテラは照明具、切羽は石炭の採掘現場のこと。確かに山本の絵を見ると、地の底で働いた無数の人々の喜怒哀楽が伝わってくる。

 山本は現在の飯塚市生まれ。子どもの頃から炭坑で働き、63歳まで炭坑夫や鍛冶工として働いた。絵を描き始めたのは夜警をしていた60代半ばになってから。昔のヤマの姿を子孫の語りぐさに残すのも一興と思い、脳裏に浮かぶままに描いたという。

《森崎の書は知らないし、山本の絵に接したこともないが、登録を知らせる報道でその幾カットかをテレビ画面で目にすることができた。その絵が描かれた時代は知らないが、子どものころ(第2次世界大戦中の増産を呼び掛ける戦時体制)の記憶の中で、街なかに貼られた炭鉱内の採掘現場を描いたポスターの絵が瞼に焼き付いて残っている。山本の絵の中にも何枚か目にできたが、上半身裸の男が鶴嘴(ツルハシ)を大きく振りかぶる横で、これも上半身裸で乳房を剥き出しの女が、掘り出した石炭を拾い集める姿を描いたものだ。現在のように、赤児に乳を飲ませるだけでも胸元を隠したがる女には、非常時とはいえとても真似のできない当時の女の姿だ。ただ、現在は唯一、女性が働くことができない職場だが・・・。》

 卓抜な記憶力で甦ったのは、山本の少年・青年期が多い。つまり、日露戦争前後から米騒動の時代になる。舞台は中規模炭坑が主だ。職工(鍛冶)と炭坑夫の両方を体験し、炭坑の全体像を知っていたことから、絵が幅広いものになった。卓抜な記憶力と客観的な描写から、かけがえのない記録が残された。

 題材は激しい労働にとどまらない。災害、宴会、入浴、幽霊、縁起など多岐にわたる。どの絵からも、陽光の射さない暗闇で素っ裸で生きる人たちの生の 熱気が伝わってくる。

 石炭は日本の急速な近代化を促進し、殖産興業を支えた。山本が描いたのは、そんな私たちの歴史の深層にある民族の記憶だ。それが現場にいた労働者自身の手で残されたことになる。登録はまさに相応しいといえるだろう。

 国宝でも文化財でもない山本作品が登録される意味も大きい。実は地元では炭坑遺跡などを世界文化遺産にすることを目指したが、選考に漏れた。その時に関連資料として提出した山本作品が海外の専門家に高く評価された。外国の評価で私たちの文化の価値を改めて示された経緯になった。

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2011年5月27日 (金)

臓器移植 新マニュアル

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 毎日新聞(5/27)から、
 簡単にくっついては簡単に分かれる。そしてまた次の異性とも簡単にくっつく。生さぬ仲の子どもへの虐待は後を絶たないどころか、頻繁に発生して増え続ける様子がニュースの種になる。これほど虐待が多くなると臓器移植の分野でも迂闊には移植の手続きも取れない。

 改正臓器移植法が昨年7月に全面施行されたのを受け、厚生労働省研究班(研究代表者、有賀徹・昭和大教授)は、脳死判定と臓器移植に関わる新たなマニュアルを作成した。改正法の運用指針(ガイドライン)では虐待を受けていた18歳未満からの臓器提供ができない。改正マニュアルでは医療機関に対し、臓器提供に関係なくすべての重症例について虐待の有無を判断するほか、担当医が臓器提供について説明する前に院内の虐待防止委員会の助言を得るなど、虐待例の紛れ込みを防ぐ厳格な体制作りを求めた。

 運用指針では、虐待を受けた小児からの臓器提供を防ぐため、医療機関に虐待防止委員会の設置と虐待の有無をチェックするマニュアルの整備、児童相談所などとの連携を求めているが、具体的な虐待の判別方法は示されていなかった。

 今回作成された新マニュアルでは、患者が虐待を受けていないと判断できるのは、第三者の目撃のある家庭外事故で傷に不審な点がない▽乗物に乗車中の交通事故▽誤って物を飲み込んだことによる窒息事故で第三者の目撃がある▽患者の病気が明確で不審な点がないーーなどの場合と例示。日常的に虐待の有無を判断する体制を整えた施設のみ小児臓器提供の実施を容認する姿勢を明確にした。

 小児の脳死臓器提供は改正法全面施行から9カ月後の4月、国内で初めて実施された。

 また、今回親による児童虐待から子どもを守るため、親権を最長2年間停止できるよう定める改正民法などが27日の参院本会議で全会一致で可決、成立した。

 【親権】
 民法は、未成年の子は父母に親権があると定めており、権利と義務の双方の意味合いがある。子の保護・監督や教育、財産管理などに範囲が及ぶ。離婚の際はどちらか一方が親権者となる。

 期間の定めのない従来の親権喪失制度は親権の回復が難しく「親子関係の修復が不可能になり活用しにくい」と福祉の現場から指摘されていた。より柔軟に運用できる停止制度を創設することで、虐待防止につながることが期待される。1年以内に施行する。

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2011年5月21日 (土)

ハーグ条約閣議了解

         ゼラニユーム
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 毎日新聞(5/20)から、
 政府は20日午後、国際結婚が破綻した夫婦間の16歳未満の子どもの扱いを定めたハーグ条約に加盟する方針を閣議了解した。菅直人首相が26,27日にフランスで開かれる主要8カ国(G8)首脳会議で加盟方針を説明する。配偶者への暴力(ドメスティックバイオレンス=DV)や児童虐待が疑われるケースでは返還を拒否できる規定を法案に盛り込むことも決めた。

《言葉の違い、文化の違い、価値観の違いなどから、家族の問題、習慣の違い、宗教問題、金銭問題、異性問題などで国際結婚が破綻するケースが年々増加している。国際結婚夫婦の離婚率は、2003年には42%(夫が外国人の場合39%、妻が外国人の場合43%)となっていて現在なお増加傾向にある。日本の報道では、DVが大きく取り上げられているが、離婚の原因は国内の日本人夫婦の離婚と同じく、性の問題が最も大きいようだ。最も多い浮気から、性生活の減少、性の不一致など、トップスリーに根本的にはその背景に「価値観の違い」という問題を抱えているとみていい。しかし、DVにしろ浮気にしろ、いずれにしても外国で裁判離婚が成立し、子どもの親権が取れても、子どもを連れて日本に帰国することが認められない場合があるのだ。海外では子どもはその滞在国に住むべきだ、という考え方が主流になっているからだ。そのため、子どもと一緒に生活を続けるためには、離婚後も外国での生活をせざるを得なくなる。こんなことは結婚するにあたっては知っていて当然のことだろう。》

 1月時点の条約加盟国は84カ国。G8では日本とロシアが未加盟で、欧米各国から早期加盟を求められていた。法務省は近く法制審議会(法相の諮問機関)に法整備を諮問し来年の通常国会への条約承認案と関連法案の提出を目指すが、政府内には年内の国会提出を求める意見もある。

【ハーグ条約】
 <国際的な子の奪取の民事面に関する条約(1983年に発効)。離婚などによる国境を越えた移動自体が子の利益に反し、養育する監護権の手続きは異動前の国でおこなわれるべきだとの考えに基づき定められた国際協力のルール。子を連れ出された親が返還を申し立てた場合、相手方の国の政府は元の国に帰す協力をする。>

 親からの返還申請を受け、子どもの所在調査や裁判所への返還申し立て手続きに当たる「中央当局」は、外務省に設置する。子どもが元の居住国に戻ることで身体的・精神的な害を受ける恐れがあると裁判所が認めれば、返還を拒否できる規定も法案に明記する。

《ただ、これまではDVにしても、日本人妻の一方的な訴えだけで、海の向こうの実際の生活は不明だ。前にも書いたが、女性からのDVの訴えは、痴漢と同じで絶対的な切り札なのだ。男性の肩を持つわけではないが、多くの不自由を乗り越えて一緒になって営んで来た家庭だ。妻の側にもトラブルの起因がなかったとは全く思わない。そうでなければ、ただ外国人との結婚に憧れていただけの衝動的なもので、こんな筈じゃなかったわ、となって最初から結末は見えていたようなものだ。》

 条約は子どもの利益を最優先としており、離婚後も子が父母双方と面会、交流できる権利を保障している。ただ、日本の民法は、離婚後の親権を片方の親のみに認める「単独親権制度」を取っており。親権を持たない親と面会する権利は必ずしも保障されていない。そのため、市民団体などから、共同親権制度に改めるべきだとの声も出ているが、政府は「(共同親権は)条約加盟への必要条件ではない」として、民法改正は見送る。

 また、加盟前の連れ去り行為は対象外となるため、中央当局で面会、交流の実現を斡旋することも検討する、としている。

 これを受けて政府は、必要な国内法整備に着手することになる。外務省によると、外国から子どもを連れ去ったとして日本政府に寄せられた事例は今月現在で米英など4カ国で209件。条約に加盟していない現状では、連れ去った親は元の国に戻れば、誘拐罪などで訴追されるリスクを負うことになる。世界では年約1300件が条約に沿って処理されているといい、国際結婚の増加を背景に、国際ルールへの参加は時代の要請とも言えるだろう。

 だが、日本人母が子を日本に連れ帰るケースが目立ち、中には子どもや母が父から虐待を受ける例も多いという。条約は、子どもを肉体的・精神的危険にさらす場合には返還を拒否できると定めるが、世界的には裁判所による返還拒否決定は20%。拒否決定は限定的だと言わざるをえない。

 こうした事態から「条約加盟は子の利益につながらない」(ある法律家団体*)との声がある。

《*「ある法律家団体」って余りにも裏付けするには弱すぎるだろう。》

 一方で、法務省幹部は「日本だけ例外規定を甘くすれば、国際世論の批判を浴びる」と懸念する。この間にも日米では、離婚後に日本に連れ帰られた子どもを取り戻そうとした米国人夫が日本の警察に逮捕され、逆に米国の裁判所で日本人の元妻に5億円弱の支払いを命じる判決を得た例も出ている。

 今回の加盟方針は、米欧主要国からの「外圧」を受けて、菅首相がG8首脳会議の「手土産」として準備を急がせたとの指摘が政府内で出ている。早期の立法化と条約加盟を楽観する見方もあるが、法整備に当たっては親の切実な声にも耳を傾け、子の利益を真に追究するための十分な検討が必要だ。

《「早期」というが、この問題は早くから起きていることで、遅いくらいだ。子を連れ去って5億円せしめた女もいるが、反対に、ニュースでも報道されたが、連れ去られた子に遭いたくて果たせずに、自殺したフランス人父親もいるのだ。》

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2011年5月20日 (金)

主婦年金 救済案にも拭えぬ不公平感

         ゼラニユーム
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毎日新聞(5/18)から、
 専業主婦ら第3号被保険者(3号)の年金切り替え漏れ問題で、厚生労働相の諮問機関、社会保障審議会の特別部会は17日、新たな救済策に関する報告書案を大筋で合意した。過去にさかのぼって保険料を納められる期限(現行2年)を10年まで延長する「特別追納」を認めることや、追納がなければ既に年金を受給している人に対しても時効にかからない過去5年分の過払い年金の返還請求と、今後の給付減額に踏み切ることが柱だ。

 厚労省は国民年金法改正案に盛り込み、今国会に3年の時限立法で提出する。自民、公明両党は基本的に賛成するとみられ、同法案は成立する見通しだ。

 切り替え漏れ期間について、報告書は年金の加入期間に算入する一方、年金額には反映させない「特別カラ期間」にすべきだとした。追納に関し、同省は当初届け出漏れ時点までさかのぼれる案を示したが、国会で審議中の一般未納者の追納期間を10年に延長する国民年金法改正案との整合性や、自公が同法案修正に合意した点を考慮し、「直近10年」とした。

 一方、年金受給者への対応では、「若年世代の年金不信」を理由に、年金の返還・減額を明記。年齢にかかわらず50〜60歳の間の未納を追納できるが、追納がなければ民主党は「返還・減額の合計を基礎年金受給額の1割程度」とする意向で、厚労省も踏襲する方針。

 3号の人は扶養を外れると、自営業者らの1号被保険者(1号)に切り替える必要がある。厚労省の推計では、切り変え漏れがある人は97万4000人、受給者の切り替え漏れ期間は平均6・8カ月。

 厚生労働相の諮問機関「第3号被保険者不整合記録問題対策特別部会」は「未納者への給付は認めない」という社会保険方式の原則を譲らなかった。同省内に憲法の財産権との関係から難しい」との見方が強かった年金の返還についても、「踏み切らなければ若者の年金不信を招く」として、反対論を押し切った。

 それでも、完全な公平性の追究は難しい。厚労省は今後、配偶者が1号被保険者なのに3号のままの人を抽出し、対象者を探す以降だが、年収が130万円を超え、3号から1号に変わる場合は申告がばければ確認できない。こうして本来より年金が高くなっている人は調べようがない。

 また、ある社会保険労務士は特例追納期間を直近10年の限定したことを疑問視する。98年以降、旧社会保険庁は切り替え漏れを見つけ次第、届け出を求め、05年度からは職権で記録を訂正してきた。従って直近10年よりは、97年以前こそ「切り替え漏れが多い可能性が高い」と言う。なのに、そうした人は「10年の壁」で保険料を追納できず、年金を減らされる。この点を踏まえ、民主党は追納期間を「通算10年」とする案も示したが、厚労省は実務の煩雑化を理由に受け入れない。

 そもそも3号制度自体に、働く女性を中心に不公平感が根強くある。同制度が創設された86年当時、専業主婦世帯は950万世帯で、共働きの720万世帯を上回っていたが、09年は共働き995万世帯に対し、専業主婦は830万世帯と逆転している。3号にとどまるため、年収を130万円未満に抑える人も多く、女性の社会進出を妨げているとの指摘も絶えない。

 報告書は、3号から1号への強制切り替え拡充などの防止策を提案する一方で、将来的な3号制度自体の見直しも求めた。細川厚労相は17日、「税と社会保障の一体改革では3号制度も俎上に上がっている」と述べ、今後、3号制度の廃止議論を加速させる可能性も示唆した。

《未納期間の完全追納を求める個人的見解は既に記した。参照 国民年金第3号、救済策は不公平 2011/02 》

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2011年5月19日 (木)

岡本作品の改変と原発

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 故岡本太郎の壁画「明日の神話」に付け加えられていた原発事故の絵(中央)



 晩年、テレビ画面でギョロリと目を剥いて「芸術は爆発だ」と叫んでいた稀代の画家、岡本太郎の残した壁画に、余計な絵をくっつけた幼稚な美術集団がいた。

 毎日新聞(5/19)から、
 今月初め、東京渋谷駅構内に飾られている芸術家の故岡本太郎の壁画「明日の神話」に福島第1原発事故の絵が付け加えられる騒ぎがあり、東京の若手美術家グループ「Chim个Pom(チンポム)」が18日、自分たちが掲示したことを明らかにした。

 同日、都内のギャラリーで、絵を張り付ける様子を写した映像と原画を公開した。リーダーの卯城竜太(33)は「『明日の神話』は日本の被曝を扱ったクロニクル(年代記)で、原発事故を付け足した。美術家として何かしないといけないと考えた」としている。

 絵は爆発した原子炉建家を縦80センチ、横約2メートルの板に描き、今月1日、壁画の右下に接続する形で、壁面に張り付けていた。警視庁渋谷署に匿名で通報があり、同日撤去された。

《何だか卑猥な響きの集団名を付けて悦に入っている団体のようだ。「何かしなければ」と思ったのなら、80×200センチのちっぽけなものではなく、岡本以上の絵で、8×20メートルくらいのものを描けばいい。第一、他人様の絵に、足りないものを付け加えてやったぞ、とでも言うように張り付けて、元の作者の名誉を毀損したことになることにも思い至らない幼稚さだ。単純にマスメディアの東京電力攻撃の波に悪のりしただけのことだろうか。》

《同じ日の記事に、東電社員の子、小学6年生の男子児童が原発に関するメディアの記事「小学生新聞(Newsの窓)」に子どもなりに疑問を持ち、新聞社に送った投書が載せられている。》

 【抜粋】
 「東電は人々のことを考えているのか」という見出しがありました。メディアの報道のほとんどは真実です。ですが、最後の方に、「危険もある原子力発電や、生活に欠かせない電気の供給をまかせていたことが、本当はとても危険なことだったのかもしれない」と書いてありました。そこが、無責任なのです。

 原子力発電所を造ったのは誰でしょうか。もちろん、東京電力です。では、原子力発電所をつくるきっかけをつくったのは誰でしょう。それは、日本人、いや、世界中の人々です。その中には、僕も、あなたも、入っています。発電所を増やさなければならないのは、日本人が夜遅くまでスーパーを開けたり、ゲームをしたり、無駄に電気を使ったからです。

 <さらに、地球温暖化対策としてクリーンなエネルギーを求め、公害のない燃料も安定して手に入る原子力の導入になったのだが、その地球温暖化を進めたのは世界中の人々だ。>

 そう考えて行くと、原子力発電所を造ったのは、東電も含め、みんなであると言え、また、あの記事が無責任であるとも言えます。さらに、あの記事だけでなく、みんなも無責任であるのです。

 僕は、東電を過保護しすぎるかもしれません。なので、こういう事態こそ、みんなで話し合って決めるべきなのです。そうすれば、なにかいい案が生まれてくるはずです。

<そして、あえてもう一度として、みんなで話し合うことが大切だと言いたい、と結んでいる。>

《現在野党に落ちぶれている前政党のメンバーたち、自分たちのやってきた原発推進の結果であることを忘れたように、協力もせず、民主党政権の足を引っ張るだけの無頼の徒に成り下がった。そして、チンポムの情けない大人たち、改めてこの少年と一緒に原発を考え直そう。その後で、自分たちの思想の結実した絵を他人様の絵の片隅ではなく、堂々と製作して結果を未来に残そうよ。》

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2011年5月16日 (月)

「君が代起立」条例案(大阪府議会)

 毎日新聞(5/16)から、
 本文に入る前に、参照「君が代起立 元教諭が逆転敗訴」 2009/10/

 首長政党「大阪維新の会」の大阪府議団が19日開会の5月定例府議会で、府立学校の入学式や卒業式などで君が代を斉唱する際に教職員の起立を義務付ける条例案の制定を目指していることが14日分かった。自民府議団も日の丸の常時掲揚を義務付ける条例案の提出を予定しており、維新はここに盛り込む形を検討している。君が代を立って歌うよう定める都道府県条例は前例がなく、波紋を広げる可能性がある。

《参照でも触れているが、忌まわしい戦争の記憶に伴う日の丸や君が代は、それに代わる新生日本の国旗,国歌が検討されることもなく、ずるずると使用され続け、戦争を知らない世代からは「大相撲の歌」の認識程度で知られたり、五輪の表彰台では国旗、国歌として扱われたりされながら辛うじて面目を保ってきた。21世紀も近くなった頃から公立学校での日の丸の掲揚と君が代の斉唱が事実上、義務付けられるようになった。この問題に教育現場や文部省(当時)を取り巻く関係者に議論を呼ぶことになり、1999年、広島県立世羅高校の卒業式当日、君が代斉唱、日の丸掲揚に反対する教職員と文部省通達との板挟みになっていた校長が自殺する。これらをきっかけにして法制化*が進められた。》

 * ‥‥ 国旗及び国歌に関する法律(平成11年8月13日法律第127号)
      同日公布・即日施行された。(略して「国旗国歌法」)
    第1条  国旗を日章旗とする
    第2条  国歌を君が代とする

 自民の条例案は、府立高校など府の施設での日の丸の常時掲揚を定めるもの。これに対し、維新は自民側に君が代斉唱時の起立義務化も盛り込むよう修正を求め、条例案の一本化を目指している。

 4月の統一地方選で躍進した維新は、府議会で過半数を占めており、自民との協議が整えば5月議会での条例成立は確実となる。

 橋下知事は14日、記者団に「ルールを作るのは当然。(教職員が)守らない時の処分についても考える」と言及。条例に罰則は盛り込まない見通しだが、違反者を処分する仕組みについて検討する意向を示した。

 府教委は既に、教職員は君が代を立って歌うよう府立学校に文書で指示。先月の入学式で起立しなかったとして府立高校の教諭2人を懲戒処分にした。

 君が代斉唱時の起立を巡り、教員が処分取り消しなどを求める訴訟は全国で相次いでいる。

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2011年5月14日 (土)

前略。原発翼賛文化人殿

 毎日新聞(5/14)『週刊テレビ評』欄から、
 《今回から当該欄を担当することになった金平茂紀が、私たち戦前・戦中世代が、第二次世界大戦の敗戦直後から、しばらく続いた戦争翼賛文化人の二枚舌に感じたと同じ問題を取り上げている。》

 《日中戦争から第二次世界大戦まで、大日本帝国の国是として「八紘一宇*」が叫ばれたが、大東亜共栄圏を建設するための標語となり、その精神に基づき世界平和の確立を招来する、として先ず、「日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の秩序を建設する(Wikipediaより)」ことと定められた。》

 * ・・ 八紘一宇(はっこういちう)、「八紘」は八つの方位を意味する語であり、転じて「世界」を意味する語となった。「一宇」は「一つ」の「家の屋根」を意味する。

《当時の文化人たちは、この大政翼賛の国是に賛同し、マスメディアを筆頭に、学校教育に、文筆に、絵画に、歌謡に、詩歌に、戦意高揚を高らかに謳ったが、1945年の敗戦を機に「総括」をすることもなく、一転して口を噤(つぐ)むか翼賛の行動、行為を否定した。獄に繋がれても最後まで戦争に反対し、抵抗したのは日本では唯一共産党だけであった。勿論、憲兵の拷問に屈し、転向したものは当然いたのだが。昭和の世代を知るものは、今回の原発の事故に伴う金平の指摘には、金平自身に将来、転向の起らないことを願うばかりだ。》

 今回からテレビ評を担当することになった。だが、僕自身がテレビ報道の伝え手の立場にある。伝え手がテレビを批評するするのには危うい点がつきまとう。つまり、そんなに批評をするのなら自分でお手本を示せばいいじゃないか。あるいは、批評する暇があったらあんたが自分で作れよ、と言う声がすぐにも飛んでくることが予想できるからだ。

《批評することは本来無責任であっていいのだ。
   批評とは「物事の善悪・美醜.是非などについて評価し、論じること」(広辞苑)
       「ある事物・事象についての何らかの思想・主張を持つ者による個人的見解の発露」(hatena)

 などとあるように、個人的見解、別の言い方をすれば評者の個人的価値基準について「だったら、お前、書(描)いてみろ、やってみろ、作ってみろ」などと言うのは飛んでもない的外れであり、また、それらができないことを気にすることの必要なものでもない。批評とは「自己の告白である」といわれるのもそのためだ。》

 けれど敢えて言えば、テレビの現場を知っている人間でなければできない批評というものもある。そしてその作業は自分自身に対する問いかけともなってくる。

 それで一回目に取り上げるのは、原子力発電とテレビの関係というしんどいテーマだ。コラムで扱うには大きすぎるが、今回触れておきたいのは、テレビに登場する著名人、タレント、文化人といった人々が、原子力発電や核廃棄物処理といったコントロバーシャル(論争提起的)なテーマについて、一方の側に立って宣伝=プロパガンダに動員されたケースをどう評価するかについてだ。

 こういうことをテレビで正面から言う人はいない。一種のタブーとなっているのだ。テレビに登場している著名人はそのこと自体である種の影響力がある。

 それを見込んで電力会社や原子力関連事業組織は、それらの人々を使って、原子力発電の推進、原発の安全性に関する広報キャンペーンを数多く行なってきた。そういう「原発翼賛文化時人」のリストが一部週刊誌やネット上で出回ったりしている。それらの人々の中には福島原発の事故を目の当たりにして今、当惑し慌てている人もいるかもしれない。〈ほんのアルバイトのつもりで引き受けただけなのに、もともと原子力については大した知識もないし‥‥〉などと呟きながら。

 僕がとりわけ問題だと思うのは、テレビの報道番組や情報系番組の司会者やキャスターをやっていた人が原発推進キャンペーンに積極的に関与していたケースだ。原発推進に心から賛成している人がいて、それはいわば思想信条の自由の範疇だからと言われれば、それ以上のことをとやかく言うつもりはない。だが福島原発の事故の後になって、そのよな自らの過去の発言や行動を意図的に隠したり、なかったことにしたり、あるいは、自分はもともとは逆の立場だったなどと糊塗(こと)を企てたりしている姿を見ると、僕は何だか情けなさと怒りを感じざるを得ないのだ。

《何時の世にも口先だけの世渡りのうまい輩はいくらでも跋扈(ばっこ)しているものだ。》

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2011年5月13日 (金)

ナチス戦犯裁判

 毎日新聞(5/13)から、
《日本では神として靖国に祀られている戦犯者たちがいる一方で、ドイツでは未だに自国民の手による第二次世界大戦のナチス戦犯追及、刑の執行が続けられている。》

 ドイツのミュンヘン地裁は12日、第二次世界大戦中にナチスの強制収容所で看守を務め、ユダヤ人虐殺に関与したとして、殺人幇助の罪に問われたジョン・デミャニューク被告(91)に禁固5年(求刑・禁固6年)の判決を言い渡した。判決は「少なくとも2万8060人の虐殺に加担した」と認定したが、素手の未決拘束期間が約2年に及び、高齢で逃亡の恐れもないことから即日釈放された。

 ドイツはナチスの戦犯を訴追するため、79年に謀殺(計画的殺人)に関する時効を廃止し、戦犯の追跡を行なってきた。だが関係者も高齢化しており、独メディアは「最後の戦犯裁判の一つ」と報じている。

《仏教国日本と違って、私個人的には羨ましいことだが、ドイツの戦犯追究には恐ろしいほどの執念が感じられる。》

 デミャニューク被告はウクライナ出身。43年、ナチス占領下のポーランドのゾビブル強制収容所で看守を務めたとされる。戦犯の一人として88年にイスラエルの裁判所から一度は死刑判決を受けたが,その後、本来の被告とは別人と判明して無罪となり、米国で暮らしていた。だが09年、収容所で虐殺に関与した疑いがあるとして今度はドイツの裁判所が逮捕状を出し、米国がドイツに身柄を引き渡して、ミュンヘン市内で拘束されていた。

 検察側は当時の収容所の書類などを基に、被告がユダヤ人をガス室に送る手助けをしたと主張。弁護側は、目撃者の証言も曖昧で、証拠も捏造と主張し無罪判決を求めていた。被告は公判中、車椅子で出廷し、殆ど口頭では陳述せず書面で「私はみせしめ裁判の被害者。誇りも人生も奪われた」と述べていた。

《日本でもつい先日、沖縄日本軍の沖縄島民の自決に軍の関与を認める裁判があったが、デミャニューク被告と同じように、守備隊長らは関与を否定していた。》

 ユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・米ロサンゼルス市)の報告書によると、現在も世界各地に住むナチス関係者の追究は続いており、09年4月〜10年3月に世界各国で実施された捜査は852件。このうちドイツ当局は08〜09年の約6倍にあたる177件を捜査した。

 容疑者の高齢化で捜査が困難になる「時間との闘い」の中、ドイツは最近、対象を「(従来のナチス)幹部やドイツ出身者以外にも拡大」(報告書)し、ユダヤ人虐殺の歴史の精査を進めているという。

《何でもなしくずしにして終わらせる日本人の国民性との違いは大きい。》

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2011年5月12日 (木)

行楽景気じんわり回復

 杜若(カキツバタ)
P5090555_2 東日本大震災の発生から2カ月以上が過ぎたが、わが街(人口30万超)には未だに大小とも1本もミネラル水が姿を現さない。埼玉県南部で東京都に近い首都圏だが、カップラーメンも未だに限定数で売られるほど細々としか並ばない。昨日水曜日、珍しい中国産のミネラル水と銘打たれたボトルが、少量並んでいるのを発見した。国産の普通の水のペットボトルもこれまで1本だったものが1本増えて一家族2本限定で並んでいた。水道水しか使用しない、カップラーメンは食さない我が家では関係ないことだが、この狂気の沙汰はいつまで続くのだろうか。
 一方、「被災地のため」との大義名分を頂いて、行楽地に出かける例年の行事は、いずこの地も大賑わいだったようだ。高速道路は数十キロの数珠つなぎ、「被災地のため、被災地のため」になると、大っぴらに出かけられたようだ。新聞は「じんわりと回復」と遠慮がちに書いたが、遊ぶのに都合の良い便利な大義名分ができたものだ。

 毎日新聞(5/12)から、
 東日本大震災や福島第1原発事故の発生から2カ月。被災や風評被害で客数の大幅減に苦しんでいた国内の観光地・観光施設だが、8日で終わったゴルデンウイークの期間中は被災地を除き、首都圏を中心に健闘が目立った。曜日配列の良さに加え、「過度の自粛は震災復興にマイナス」との認識が消費者に浸透、自粛ムードが一服したためとみられる。ただ回復の動きが続くかは不透明で、旅行関連各社は、知恵を絞って需要の掘り起こしに努めている。

《心配は要らない。一度たがが外れれば気の弛みはどんどん加速する。だいたい「義援金」などと“俺たちは、私たちは助けてやってるんだ、施してやってるんだから”の上から目線で遠慮なく遊ぶことになる。》

 ただし、各観光地・施設とも手放しで客足の回復を喜んではいない。風評被害の影響が大きい外国人客の戻りが悪く、「観光バス利用の国内の団体客や外国人客が、全然戻っていない」(日光東照宮社務所)ためだ。個人客は回復傾向が著しいが、「いざ出先で地震などがあってもすぐ戻れるような、近場に人気が集中した」(はとバス)という。「ゴールデンウイークは良くても大変なのはこれから」(大涌谷観光センター)との思いは、観光地共通のようだ。

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2011年5月10日 (火)

「65歳定年」要請へ

P5090558 P5090559_2 ご近所から頂いたが、名前がわからない。

 毎日新聞(5/10)から、
 厚生労働省の「今後の高年齢者雇用に関する研究会」(座長・清家篤慶応義塾塾長)は9日、法改正により定年年齢を今の60歳から65歳へ引き上げることを検討すべきだとする報告書の素案を大筋了承した。65歳までの雇用を確保する「継続雇用制度」を守っていない企業名の公表など、規制強化を求めている。同研究会は6月に報告書をまとめる予定で、同省は報告書を厚労相の諮問機関、労働政策審議会の諮り、高年齢者雇用安定法の改正を目指す。

《【継続雇用制度】
 すべての企業に平成18年4月1日から段階的に65歳までの雇用を確保する義務が課せられる。
 これは、雇用と年金との間に収入の空白期間が生じないよう、企業に定年の段階的「引き上げ」や「定年の廃止」「継続雇用制度」の導入など、いずれかの措置を義務付ける内容となっている。
 【雇用確保義務の年齢】
 平成18年度から   62歳まで
 平成19年度から   63歳まで
 平成22年度から   64歳まで
 平成25年度から   65歳まで
  (2004年6月、「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律の一部を改正する法律」から) 》

 同研究会が定年年齢を65歳に引き上げるよう求めるのは、かつて60歳だった年金支給開始年齢が段階的に65歳へと引き上げられているためだ。男性の場合、13年度から基礎年金に相当する「定額部分」が全面的に65歳となり、「比例報酬部分」の支給開始年も引き上げが始まる。そこで素案では、定年年齢について
  ①13年度に65歳へ引き上げる
  ②年金の報酬比例部分の引き上げに合わせ、13年度から段階的に引き上げる
 の2案を示した。

 一方、素案は経済界などの反発を織り込み、定年延長ができない場合を想定している。現行の継続雇用制度は、再雇用などで希望者全員の65歳までの働く場確保を義務づけているが、労使協議で基準を設け、対象者を絞ることができるなどの「抜け穴」もあるため、基準制度の廃止や違法企業名の公表を検討するよう求めている。

 厚労省の調査(10年6月)では、全企業の96・6%が65歳までの雇用確保策を導入しているが、うち83・3%は継続雇用制度で対応している。

《一方、例年就職シーズンになるとメディアが書き立てて問題になる就職率は、65歳までの雇用確保を義務づけることで労働力の若返りが鈍化し、若年層の採用はますます厳しくなってくることが予想される。》

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2011年5月 9日 (月)

子ども手当 公明案なら減収

   紫蘭(シラン)
 P5090552a_3 10月以降の子ども手当を公明党案に沿って所得制限付きの月1万円とした場合、導入前に比べて年収700万円以上の世帯が減収になることが大和総研の試算で明らかになった。野党がバラマキと批判して撤回などを求めているが、減額で減収となる世帯が反発するのは必至で、10月以降分の制度設計の議論に影響を与えそうだ。

《子ども手当は、もともとは少子化対策として、金を配れば子どもを生産してくれるだろうとの思惑から、借金だらけの国政を顧みず、世界でも屈指の低い税制度で国庫は金詰まりのまま高福祉国を真似てスタートしたものだ。そのうえ今回の国難とも言える大災害の発生だ。いくら金があっても足りない国庫では、紙切れ同然の国債の発行では如何ともできず、あちらから、こちらからと金の出所について知恵を絞る他ない。それが子ども手当になっなるのもやむを得な策だろう。》

 子ども手当は、9月までは昨年度と同様に15歳以下の子ども1人当たり月額13000円を支給するが、10月以降は未定。民主党執行部は月額1万円に引き下げ、所得制限を付けた公明党案で党内をまとめたい考えだ。

 大和総研が小学生の子どもが一人いる世帯で試算したところ、自民・公明政権時の児童手当と同じ所得制限を設けたうえで月1万円を給付した場合、年収500万円世帯までは年8000円の手取り増だった。しかし、所得が増えるほど年少扶養控除廃止による増税額が膨らみ、年収700万円世帯では年1万1700円の手取り減、年収1000万円以上の世帯では所得制限で手当が支給されず、年10万円以上の手取り減となる計算だ。

 一方、現行の月1万3000円給付(所得制限は設けず)のままだと、年収1500万円の世帯では年2400の手取り減となるが、年収1000万円以下では年2万4300〜4万7000円の手取り増となる。

 所得制限付きの月1万円に変更した場合、現行制度に比べて年8839億円の財源が捻出でき、東日本大震災の復興財源に充てることができる。ただ、民主党内には反対意見が強い。減収となる中間層の不満もあいまって党内の議論が混迷する可能性もある。

《いずれにしても、高福祉を期待するのなら国民は高負担を覚悟することが避けられないことだろう。》

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2011年5月 7日 (土)

臓器移植 初の親族優先提供

 毎日新聞(5/7)から、
 日本臓器移植ネットワークは7日、刈谷豊田総合病院(愛知県刈谷市)で脳血管障害のために死亡した40代女性の片方の腎臓が、20代の長女に提供されたと発表した。改正臓器移植法で認められている親族優先の提供を適用した。親族優先をめぐっては角膜移植のみ2件あるが、腎臓は初めてになる。移植は社会保険中京病院(名古屋市)で実施されている。

  おだまき
P5070548_3  移植ネットによると、女性は腎臓のみの臓器提供と親族優先提供の意思を臓器提供意思表示カードに記載した。移植を受ける予定の長女は先天性腎臓病で、生体腎移植を受けた。その後、再度人工透析が必要になり待機患者として登録された。

 提供者の女性は4月下旬に脳死と思われる状態になった。家族が長女への腎移植を希望したため、主治医が親族優先には提供者の意志表示が必要と説明。家族が探し、自宅でカードを見つけた。

 女性は脳死での臓器提供の意志も示していたが、家族の「一緒に過ごす時間をとりたい」との意向を尊重。7日午前1時30分に心停止し、2時18分に提出を始めた。女性の夫は「妻の死を認めることになり葛藤があった」とコメントした。

 女性のもう片方の腎臓は、別の待機患者に移植される予定。厚生労働省は「生前の意思が尊重される仕組みができた」と述べた。

 《生前の意思表示は本人の遺言と同じで、そこには遺産分配のように公正性が伴わなくても仕方なく、早い者勝ちの論理は通用しない。死に直面することであっても、遅かれ早かれ死は誰にでも訪れる。そこに肉親の情が介入してくることの方が当然だ。》

 新聞の解説は、今後も議論と検証を、と書く。
【解説】
 愛知県内の病院で親族優先で提供された初の腎臓移植が実施された。親族への優先提供は、改正臓器移植法の柱の一つで、全面施行前の10年1月に一部施行という形で認められた。海外と比較して少ない臓器提供者の数を増やし、家族の心情をくむことが目的だ。

《数の多少を単純に比較するのはおかしなことで、それぞれの国にはその国の文化的、宗教的背景や、歴史、生命倫理の違いが存在する。長い間培われてきた日本人の家を中心とした家族愛は、最近でこそその柱を失ったようだが、まだまだ他人では入り込めない肉親愛として深く根付いているのだ。》

 改正法施行後、親族優先提供は角膜で2例あった。しかし、角膜とその他の臓器の提供は事情が異なる。角膜は、提供者が病気などで自分の死期を見込んで意思表示できるが、その他の臓器は何時訪れるか分からない死が前提となる。親族優先の規定は自殺による提供を認めていない。今回、母親の意思を反映し、長女に腎臓が提供されたが、今後も希有な事例となるだろう。

 一方で、親族優先の規定は、移植医療の根幹である公平性が損なわれるといった指摘がある。韓国で提供者の親族を優先順位の1位にするという規定があるのみだ。

《韓国は、日本以上に祖先、家、家族の繋がりを大事に守ってきた民族だ。親族優先が1位に規定されるのは当然のことだと思う。古い人間の私の世代は、この韓国の親族優先の位置づけには全面的に文句なしの支持をする。》

 国内での臓器提供数は、年間7000〜8000件行なわれるような米国などと比べて少ない。過去最高となった昨年でも113件(脳死後32件、心停止後81件)。これに対し、腎移植を希望して日本臓器移植ネットワークに登録している患者は3月31日現在で1万2201人いる。

 親族優先提供は数多くいる待機患者を飛び越しての移植となる。家族の意思を叶え、制度を定着させるためには、今後も議論と検証が必要だ。

《国外の数と比較して、だからどうを云々する問題ではない。ただ、それが現実である、というだけのことだ。》

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2011年5月 6日 (金)

O111

 毎日新聞(5/6)から、
 焼き肉チェーン店「焼き肉酒家えびす」の集団食中毒で富山、福井両県警の合同捜査本部は6日午後、チェーン店を経営する「フーズ・フォーラス」の金沢市の本社や、東京都板橋区の肉の卸売業者などを業務上過失致死傷容疑で家宅捜索した。一方、陶山県は5日、県内の70代女性が死亡したと発表。同チェーン店で食事をした死者は4人に上った。患者数は食中毒の疑いも含めて富山,福井、神奈川3県で計79人。合同捜査本部は、食事を提供した同社や、流通過程の衛生管理などに重大な過失がなかったかなど全容解明に乗り出す。

《元々肉を食べる習慣は、綱吉の生類憐れみの令が公布されて禁止されてから、ここ300年のあいだは日本人は動物の肉(鯨は別にして)を食する習慣は一般的ではなかった。ごく最近、1980年ごろのマンガ「美味しんぼ」で火がついたように、30年そこそこで日本人の舌を肉食人種に変貌させて行った。私の子どもの頃には年に1度の甘い味付けのすき焼きで、一つの鍋を囲んで家族団欒のそれ以上ない贅沢をむさぼった記憶があるくらいだ。貧乏人の家庭では、野菜と魚が主な惣菜の献立で、現在のように豊富に肉料理が存在しても、どうしても肉食人種の仲間入りができない。まして生の臓物などを食べることは私には決してできないことだ。》

《急激な食文化の変化は、特に生食用食肉についての加工手順や食品衛生法での整備がされておらず、悲しいことだが今回の死亡事故が、遅ればせながらその基準を整備するきっかけとならざるを得ないのだ。》

【O111】 
 O157と同じ病原性大腸菌の一種で、毒性の強いベロ毒素を出す。感染後平均4〜8日で血便と激しい腹痛(出血性大腸炎)を起こし、貧血や急性腎不全などを伴う溶血性尿毒症症候群(HUS)を併発、市に至る場合もある。牛の腸などから検出され、精肉加工工程で付着する可能性もある。75度で1分間加熱すれば死滅する。

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2011年5月 5日 (木)

小学校で英語授業

 毎日新聞(5/4)から、
 4月から小学5、6年生で英語が完全必修化された。国際化時代に対応するためだが、「英語を話せること」と「グローバル化に対応すること」は本質的に別のことだと思うと、記者・斉藤信宏(北米総局)が小学校の英語授業の必修化に異議ありを述べている。

《私も常々同意見を主張してきたが、実施はすでに決定し、使用する教科書(文科省が配布した「英語ノート」)も配布済みになっている。3年前のブログから、参照「小学校英語」09/02

 まず前提として、英語は意思疎通の手段に過ぎないということを確認すべきだ。英語を使うことで、母国語の異なる人間同士の意思疎通がスムーズになることは間違いない。しかし、それはあくまでも英語を話せるもの同士での事情に過ぎない。「これであなたも国際人」といった英会話学校の広告を見かけるが、英語を話せるだけで国際人になれるのなら、米国民はパスポートを持っていなくても、外国人と話をしたことがなくても国際人ということになる。

 (中略)

 昨年11月に主要20カ国(G20)首脳会議の取材で訪れた韓国でも、英語を理解できないタクシーの運転手に何度も英語で話しかけ、降りる時には「レシートをくれ」と繰り返した。運転手が韓国語で「領収書のことですか」と答えたのを聞いて、韓国語の「領収書」の発音が日本語にとてもよく似ていることを知り、恥ずかしくなった。(私、斉藤)は英語でこと足りると思い込み、相手がどれだけ理解しているかも顧みずに英語を使い、異文化を理解することを疎かにしていたのだ。

 英語を振り回す人間は、時に横暴に見えることことがある。多くの日本人から「そんなことは分かっているよ」と言われそうだが、英語重視を打出す企業経営者や文部科学省の幹部には、改めてこの点をよく考えてもらいたい。

 経営者が「英語を社内公用語にする」と宣言する企業も増えてきた。経営者は、英語が意思疎通の手段に過ぎないことは百も承知で、敢えて社員に自覚を促すために公用語化に踏み切ってのだろう。英語なしで国境を越えた商売をするのは難しいし、英語ができるに越したことはない。だが、世界を相手に本気で商売をするのであれば、英語公用語化の前に考えるべきことがあるはずだ、とも思う。

《この問題は、企業人に限ったことではない。政治家であろうと、学者、社会人、留学生であろうと同じことだ。英語は話せるが、漢字が読めないマンガレベルの総理では困るし、英語が話せても、自分の国の歴史も知らない学生では、とても国際人とは呼べないことは何度も取り上げてきた。》

 1年3ヶ月前、米国でトヨタ自動車の大規模リコール(回収・無償修理)問題が厳しい批判に曝された。その際、米議会で何人かの議員が、トヨタの意思決定システムを問題にした。世界で年間750万台、米国で日本国内を上回る180万台の車を販売しながら、取締役会メンバーの27人全員が日本人男性だったことに議員らは驚き、「トヨタは本当にブローバル企業なのか」と疑問の声を上げた。

 トヨタが、米ケンタッキー州に工場を建てた80年代から、地道に米国に溶け込む努力をしてきたことはよく知っている。「トヨタ方式」を広め米国内の製造業の生産性向上にも貢献してきた。しかし、そんな「世界のトヨタ」ですら、「取締役会のメンバーは日本人の男性ばかり」だったのだ。多様性を認めず、同質性の高い集団で経営方針を決める企業。そんなトヨタのに米議院らは驚いた。

 英語が意思疎通の手段であるのは言うまでもない。しかし、英語を学ぶだけでは国際化時代への対応は不十分だ。国際化とは、英語を話せるかどうかという単純な尺度ではなく、人間としてどれだけ多様な人を受け入れられるかという物差しで測るべきではないか。

 国際化とは、どこか遠い外国に行って外国人とコミュニケーションすることと思いがちだが、本当はもっと身近なものだ。私の息子が昨年夏まで通った米メリーランド州の公立小学校には、28カ国から来た25カ国語を話すl子どもたちがいた。校長はホームページで、学校の大きな魅力として世界中から来た多様な子どもたちの姿を紹介していた。

 日本にも、たくさん の外国人が暮らしている。身近にいるそんな知人や友人が日本社会をどう見ているのか、彼らの食べ物や日常生活は自分とどう違うのか、そして家ではどんな母国語を話しているのか。そんな「内なる国際社会」を子どもに見せ、「自分たちとは違う生活習慣の人が世界中にはたくさんいるんだ」と身を持って体験させることのほうが、英語教育より大切な国際化教育だと思う。必修化された授業時間を、そんなふうに使ってほしい。

 日本の小学校が、児童の外国人比率の高さを誇り、豊かな多様性に学べる日が来れば、小学生から英語を習わなくても、十分に国際化に対応した教育だと胸を張れるはずだ。

《だが、もう漕ぎ出した船だ。ゆとり教育のように、何の益もなく失敗だと気づくまで2,30年はやめることはできないだろう。》

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2011年5月 4日 (水)

続 土曜授業は是か非か

  ラナンキュラス
P4280541_2  玉木 子どもたちに学ぶ喜びを教えるためには、時間が必要と言うことでしょうか。

 寺脇 面白算数、大賛成。詰め込み型でたくさんの知識を覚えさせる場合に限らず、そうやって丁寧に教えようとすれば、確かに平日の授業だけでは時間が足りなくなる。ただ、では足りない分をどうするのか、土日に延ばすしかないのか、そうではなく生涯にわたって延ばすという考え方もあるのでは、というのが自分が言ってきたこと。学校を出た途端に学習は終わり、という考え方ではなく、生涯学習という考え方に頭を切り替えることができるかどうか。何もかも学校で学ぶ必要はない。

《詰め込み授業であろうと、ゆとり授業であろうと、学ぶことが喜びであり,楽しいと感じる子は、一握りのよくできる子たちだけだ。大部分の子どもたちには決して楽しいものではない。かくいう私がそうであった。算数の時間は数字を見るだけで頭が痛くなり、算数の教科書は頭痛の書でしかなかった。長じてあれこれ理屈をひねる幾何学は好きになることができたが、それでも自身は芸術派を任じていた。》

《自身ブログを設けてから、随所に「死ぬまで勉強」と記してきたが、これは学校生活で、教師からは「お前たち勉強しろよ」と五月蝿く言われていたが、聞く耳持たす、学生生活を終えてからその時間が取り返しのつかない空白であることに気がついた反省からだった。敗戦で見えなくなっていた価値観、価値基準、どう生きるのかを見つけねばならなかった。社会に出てから教師の声が耳から,頭から離れなくなってきた。しかし疑問に答えてくれる教師は周りにはもういなかった。それからだった、収入の殆どを書籍の購入に消費する生活が始まった。もともと活字は好きだった、手当り次第に硬軟取り混ぜて読み漁った。哲学、社会心理学、物理学、病理学、経済学、評論集、内外の文学、雑誌類では「世界」や「思想」など。それに戦後のカストリ雑誌もあった。映画も好きだった。キネマ旬報は戦後の再刊第1号から欠かさず何十年も読むことになる。そして次第に購入する書籍の分野、自分を見出す道が見えてきた。失った教師の代わりは読書でしか得る方法がなかった。そして自分なりに考える力を身につけてきた。》

《読書をするほどに社会の矛盾が目についてきた。どんどん左翼への傾斜が始まっていた。前にも書いたが中学時代、京大哲学科出の若い教師が「20歳までにアカにかぶれない奴はバカだ、しかし、40歳過ぎてもかぶれている奴はもっとバカだ」と話した言葉が耳にあった。現在、わたしは半年後には80歳だ。疑うことで生きてきた人生は、赤くはないが、ピンクが染みているだろう。》

 玉木 土曜授業には反対か

 寺脇 土曜授業は構わないが、平日に無味乾燥な授業をして知識を詰め込んでおいて、同じやり方でさらに詰め込むというのならば反対だ。残念ながら文科省は世の中の圧力に押されて、新学習指導要領に合わせて分厚い教科書を作ってしまった。その教科書を前にして、平日だけだと6割しか教えられないが、土曜にも授業をすれば8割まで教えられるようになるという発想では、授業の深みは増すことはない。
 深みを増すためにも、仮に土曜日を使うのならば公開にして、保護者や地域の方々にも見てほしいと思っている。単なる平日の延長ではなく、こんな面白い授業をするために土曜日も活用しているのかとなれば、地域の大人たちも「先生、私も助手をしましょうか」などと申し出てくれるだろう。そうなれば、土曜日に授業することにも意義があるだろう。

《すでに書いたが、土曜日に平日の延長そのままの授業をして何も不都合はない。それに保護者が授業参観にくることを期待するのは無理だ。現在の日本のように家庭内のことまで学校に押し付け、「仕事が忙しい、忙しい」の保護者に期待するのは無い物ねだりに近いことだろう。》

 玉木 教師の力によるところが大きい。

 有田 子どもたちが自分で考え、おもしろいと思えるような授業をするためには教師が自学自習して力量を高めないとならない。そのための時間と場所を教師に欲しい。

 寺脇 全く同感だ。教師には時間や余裕、ゆとりが必要だが、実際はそれに逆行している。教師が背負い込んできたものを地域や家庭が分け合って背負っていければ、余裕が生まれるはずだ。

《「はず」ではただの空論だ。》 おわり。

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2011年5月 3日 (火)

土曜授業は是か非か

            フリージア
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 今年は既に3分の1が過去になった。また、東北・東日本大震災も1週間もすれば2カ月が経過する。時間はすべてを飲み込んで過ぎてゆく。

 選挙で大敗した民主党は、自民党政権下で推進され、拡大してきた原子力発電の事故で、前政権の尻拭いのために針の筵に座らされているようだ。野に下った前政権の面々は、己たちの撒いて来た悪政を尻目に、現政権の体たらくを口を極めて罵り、取って変われば日本は良くなるとでもいうような、軽々しい論調に終始している。国民は前政権に愛想を尽かして現政権を選んだ。ここでもう一度自民党の政権を望んでいる国民がいるとでも思っているのだろうか。そのように考えているのならトンでもない勘違いだ。無所属(党名を「無所属」と名乗るのならまだしも)という日和見集団が増えたこともある。

 毎日新聞(4/30)『ニュース,争論』から、
 争論は、土曜授業は是か非かについて、「ゆとり教育」の旗ふり役だった元文部官僚の寺脇研と、現役小学校教師、有田八州穂が論じ合った。立会人は玉木研二専門編集委員。

 ゆとり教育
 小学校  1980年度から2010年度まで
 中学校  1981年度から2011年度まで

 玉木 東京都教育委員会は、公開を前提に月に2度までなら土曜日に授業してもよいと市区町村教委に通知しており、すでに多くの公立小中学校が行なっている。

 有田 37年間教師をしているが、現実問題週5日制になってから、時間が足りない。子どもたちの拘束時間が長くなり、小学校でも授業が毎日6時間ある。一方で教師は授業の後四時から職員会議など常に勤務時間を超えて働いているのが実情だ。子どもたちに丁寧に教えるには土曜日に授業することも必要だ。

 寺脇 都のケースを土曜授業の復活ととらえることに問題があると思っている。都は学校のコミュニティースクール化だ。保護者や地域住民が、子どもたちの学校での学びに関与して行こうとすると平日だけでは難しいので、土曜日を活用しようということだ。
 土曜日に例えば正規の数学の授業をしたらどうなるか。その日、本当は絵を描きたいと思っていた子どもも、学校に行って数学を学ばざるを得ない。それが学校教育の仕組みだ。普段、学校が教えない学習を土曜日に学ぶ。ゆとり教育は、そうした選択肢を広げる教育だ。そこに地域や保護者も参加してほしいと思う。
 週5日制にした趣旨も授業時間が減るからではなく、子どものしつけからご飯の食べ方まで、社会全体が学校に過度に依存している状況を変えて行くためだ。それは今も変わっておらず、新学習指導要領があたかも後戻りしたかのように言われるのは、文科省も本意ではだろう。今回の大震災は、学校と地域の連携の重要性を改めて痛感させる。

《1980年度以前、特に昭和一桁にとって土曜日に授業があることは別段取り上げて議論しなければならないほどの重要な問題ではない程のことだ。昔の子どもは土曜日も授業があることは当たり前のことで、ただ、その日は弁当が要らない午前中だけの授業時間だったが・・・。土曜日に絵を描きたい子どもが数学を学ばされてどこがいけないことなのか。学校は子どもが趣味で好きなことをしてもいいところでいいのか。制約や強制を学ばなくては大人にはなれない。野方図なゆとり教育で育ってきた若者たちが就職してもすぐに退職したり、やる気のない世代を形づくっており、国内企業でも問題になって、海外の若者たちを優先採用しなければならないような実態まで招いているのだ。一方、たしかに保護者の無責任性は「いただきます」も言えない子を平気で学校に送り込み、「それを教えるのは学校であろ」と育児、監督責任を学校や教師任せにして恥じない。》
 
 有田 コミュニティーと言うが、これだけプライベート化している中で、自分の子ども以外の学力、すなわちパブリックな学力をつけることに地域や保護者がどこまで関わろうとするだろうか。在勤の学校でも月に1回は土曜日に公開授業を行なっている。道徳公開講座や学力に関するシンポジウムも開いているが、殆ど参加者がいない。「公開」すれば教師はどうしても外部向けの授業になる。折角土曜日に授業をするのなら、公開ではなく子どもたちのための時間にするべきだ。私立の学校は大半が土曜日にも授業をしており、公立に通わせている保護者の中には受験で不利になるという不安がある。都が土曜授業を容認した背景には受験対策もあるんではないか。

 玉木 保護者からの重圧は感じるか。
 
 有田 子どもたちにしっかりした学力、自力で学習できる学力をつけさせてほしいという期待は感じる。そのための教師の努力は必要だ。子どもたちが自力で解いたり、理解できた感覚が分かる授業、子どもたちの「なぜ?」に答える授業をしないと、能動的な学習にはならない。自分は算数を担当しているが、「面白算数」といって、自分で考えさせる授業にすることを工夫している。
 自分は土曜日に授業をすれば学力がつくと思っているわけではない。月曜から金曜の授業の充実なくして土曜日の授業なんてありえない。授業の質を高めることが根本になる。新学習指導要領では算数的活動の充実をうたっており、その点を評価している。ただしこれにはものすごい手間がかかり、誰にでもできるものではない。

             ーー つづく ーー

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