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2011年3月17日 (木)

原発事故から見えるもの

 昨日の停電はおよそ70年近い前、空襲に怯え電灯に黒い布を被せたり、蝋燭の火の下でひっそりと暮らした惨めだった頃のことが思い出された。使用中だった懐中電灯は、食事の準備中には消耗し、灯りの用を足さなくなったが、日頃から電灯はよく使用することから、電池の買い置きはしてあった。また、何年前になるか、随分古いソニーの浴室用ラジオ(6ボルト電池)も消えかかる音量にまで消耗してきたが、買い置きがあることで安心していた。今日になって念のため取り出してみた。使用しないうちに使い物にならないほど消耗していた。そして今日は日中に、2度目の停電が終わった。

 昨日買えなかった(いつも昼はパンなので、朝10時半ごろコンビニに行ったが、早いうちに売り切れていた)今日も10時ごろ食パンを求めに行ったが2店舗ともこれも売り切れ、老人用紙おむつも売り切れ、ティッシュも売り切れ、ヨーグルトもない。アイスだけが売れないで残っていた。

 被爆地でもない地域のコンビニやスーパーから、食料品や、紙製品(老人用、幼児用紙おむつ、トイレットペーパーなど)が姿を消し、ガソリンスタンドには長蛇の列が続く。昭和のオイルショックの時、風評が風評を呼び、トイレットーペーパーや妻の生理用品が手に入らなかったバカ騒ぎを思い出す。銭のある人が自宅の8畳の部屋一杯に、トイレットペーパーを積み上げた話もニュースになった。今度も被災地の人たちのために、二つ欲しいところを一つにして、回してあげようと考えるのが思い遣りなのに、浅ましい人間どもにはそのように考える情けもないようだ。

 海外では被災地の人たちが助け合い、整然と行動し、お互いを思いやる姿を世界一のマナーを備えた日本人として讃え、陸続として援助の輪が広がっているというのに、ぬくぬくと生活し、暖をとり十分に食べ、被害も受けていない人間どもが、競って買い占めに走るとは、見下げ果てた国民性と思い、また、呆れ果てた日本人どもと思う。

 このような情けない実態を見に、蓮舫議員がコンビニを回り、目頭を熱くして買い控えを消費者に訴え呼び掛ける姿をテレビは報道したが、果たして浅ましい日本人に効き目は表れるだろうか。

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