毎日新聞(2/19)から、
日本が南極海で行なってきた調査捕鯨を今期は中途で打ち切ることが決まった(18日)。鹿野農相はその理由として、反捕鯨団体シー・シェパード(SS)による簿外や追尾で、乗組員や調査船の安全確保が難しくなっていることをあげた。
社説は“根本見直しの契機に”と書き、各方面に広がった不安に識者は合法性を強調し“逃げ帰るな”と強調する。
調査捕鯨は南極海と北西太平洋で財団法人日本鯨類研究所(鯨研)が行なっている。10年度の南極海での捕獲数は、中止によりミンククジラ170頭(計画は約850頭)、ナガスクジラ2頭(同50頭)止まりで、87年の開始以来最少となった。
調査捕鯨の費用には鯨肉の販売代金と国からの補助金が充当されている。鯨研は08年度で1億6400万円の赤字に陥っており、中止が財政的に追い打ちをかけることは間違いない。農相は18日、今後について「財政的な困難が予想される」と語った。
一方で日本人の鯨離れは進んでいる。水産庁の統計では、国内の鯨肉在庫は10年末現在で5093トンと5年前より4割も増加。捕鯨中止ですぐに鯨肉が足りなくなることはない。だが、料理店や捕鯨基地などでは不安や反発の声が上がる。
東京都千代田区の鯨料理店「くじらのお宿 一乃谷」の店主(55)は「安全を考えれば打ち切りは仕方ないが、他国の食文化を尊重しようとしないSSの行動は理解できない」と話す。
《捕鯨は「日本の食文化」が錦の御旗だが、敗戦直後の食糧難時代、街の荒物屋さんでこれ以上安い惣菜はないほどの「鯨ベーコン」はいつでも購入できた。しかし、半世紀以上が経った今、スーパーにも並ぶのは珍しいほどの珍品に変わった。現在の日本ではすでに食文化と呼ぶに相応しい食べ物ではなくなっている。5年前に「ロンドンのクジラ」を書いてから他国の日本の捕鯨への横槍には我慢ならないものを感じてきたが、反面、調査捕鯨の『調査』の内容に疑問は呈してきた。一体何を調査するために毎年毎年出かけるのか、その調査結果はどのようなものなのか。日本人の多くはその調査内容を知らされているのだろうか。知らないのは私だけなのか。メディアはSSの妨害ばかりは報道するが、調査の内容はどこまで国民に「だから調査が必要なのだ」を知らせているのか、或いは「だから捕鯨は必要なのだ」と。》
調査捕鯨基地がある山口県下関市。義理の息子が捕鯨船に乗船中という女性(55)は「息子は『薬品や塗料を掛けられ、船体はぼろぼろの状態]と話していた。帰国が決まって安心したが、乗組員としては歯がゆいだろう」と語った。
元水産庁漁場資源課長で政策研究大学院大学の小松教授は「合法的な捕鯨なのに暴力で邪魔された。逃げ帰っていは行けない。日本は悪いことをしていると国際的に喧伝される。乗り組み員に生命の危険があるなら、海上保安庁に護衛を頼み、居続けることが大切だ」と強調した。
《「売られた喧嘩は買わねばならない」で解決する問題か。現在以上の赤字が増えることが確実な対応になるのに。》
社説はシーシェパードの言語道断の妨害行為を糾弾しながら、乗組員の安全が危うくなっているとすれば、中断するのもひとつの判断であろう,と書く。問題は次期以降の調査捕鯨をどうするかである。
水産資源の有効活用は当然でありクジラも例外ではないだろう。クジラの生息数や分布がどうなっているか、科学的調査を行うことを非難されるいわれはない。
《調査結果をもっと国民にオープンに知らせる必要はあろう。生息数や分布もそうだが、泳ぐ勇姿を見る機会はあるが、いったい鯨はどこで一生を終えているのだろうか。あの巨体は海底で他の魚たちや微生物らに食いちぎられるのだろうか。》
社説も言う、現実問題として食料としてのクジラに対する国内需要は急減している。戦後間もなくの食料不足時代にはクジラは貴重なタンパク源であり、学校給食などにも使われた。団塊世代以上には郷愁を感じさせるクジラ肉だが、近ごろは滅多に食卓にも上らなくなった。このため、クジラ肉の在庫は近年にない水準に積み上がっている。
今回の調査捕鯨の打ち切りは、直接的にはSSの危険な活動が理由になっているが、中断やむなしとした背景には日本人の食生活の変化があると見ることができる。
多くの日本人が「外圧」によって調査捕鯨をやめることを不愉快に重い調査捕鯨の継続を指示している。しかし、現実にはクジラ肉を食べなくなっており、調査継続の意義を掘り崩している。SSよりも日本人の食の変化の方が調査捕鯨にとって難問なのである。
調査捕鯨は今期で6年間にわたる「第2期南極海捕鯨捕獲調査」が終了し、第3期の計画の検討が行われる。大きな節目だ。この際は調査捕鯨を凍結することも含め、一度根本から見直してみてはどうか。国際捕鯨委員会(IWC)では調査捕鯨の大幅縮小、沿岸捕鯨の拡大などが提案されている。
そして、中長期的には日本の水産物資源の保護の水準を国際的に見劣りしないものに高める必要がある。クジラ問題だけでなく、マグロ問題でも日本に対する風当たりは強まっている。海外からの一方的な言いがかりを許さないように、先ず自分の庭先を綺麗にしよう。
《他国の人には残酷と見られているスペインの闘牛、こちらも、「おらがくにの国民性」としてきたスペイン人も自国民の中から「そろそろやめようよ」の声が上がっているようだし。》
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