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2011年2月27日 (日)

性同一性障害夫婦の子、父子関係認めず 

 毎日新聞(2/27)から、
 非常に小さな記事だが、見落とすわけにはいかない。余りに小さく扱っているので他紙にも目を通してみた。面白いことに朝日では表現が異なり、「性同一性障害夫妻への精子提供容認へ、産科婦人科学会」となってる。そもそも私の立場は性同一性障害者(男女を問わない)が子どもを持つことに根本的に賛成できないとするものだ。障害者とあるように、心だけは男であり、女であろうとしても、動物学的には同性同士の体だ。如何ように努力しようと子どもを産むことは不可能なことだ。それを承知で形の上の夫婦生活を営むだけのことだ。子どもが持てないことを前提としての夫婦生活をすることは勝手だ。子どもを持とうと考えること自体が甘えであり,我が侭でしかない。また、精子、卵子の提供は原則的には男(肉体も)と女(肉体も)の夫婦間での性交障害(インポテンツ)、無精子あるいは精子の活動が弱かったり、女性生殖器の狭窄による精子の通過性に問題がある場合など、不妊に悩む夫婦を救うための手段に用いられるもので、望めば誰でも好きに処置されるべきものであってはならない。特に日本では本来の夫婦間であっても精子、卵子の提供によって生まれた子の出自を知る権利が保障されておらず、ニュースのような条件下で生まれる子の次世代、或いは次々世代での奇形児誕生の危険性も考慮しておかねばならない。

 【記事全文】
 〖日本産科婦人科学会は20日、性同一性障害を理由に性別を男性に変えた人と女性との夫婦が、精子提供を受けて子どもをもうけたいと希望した場合、男性と子どもの間には法的な親子関係がないことを十分に説明し同意を得るよう、会員に通知することを決めた。

 日産婦は性同一性障害の夫婦間にできた子どもの法的地位について法務省に照会。今月18日付きで回答があった。それによると、男性と子どもとの間には法律上の父子関係は認められず、男性は認知もできない。会見した吉村理事長は「法務省の見解が示された以上、実施に際して慎重にならざるを得ない」と話した。〗

《人工授精では精子の提供者は配偶者間人工授精(AIH: Artificial Insemination by Husband)と非配偶者間人工受精(AID: Artificial Insemination by Donor)に区別される。記事の場合は後者のAIDによる人工授精となり、当然、父子関係はあり得ない。》

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2011年2月26日 (土)

幸せの基準とは - 2 -

 続いて、東京大教授:池本幸生(アジア経済論)の論。

 日本はGDP世界第2位の地位を中国に「譲り渡し」た。しかし、購買力平価で測った実質GDPでみれば、01年に日本はすでに中国に「追い越されて」おり、今や日本はインドにも「追い越され」ようとしている。GDPは一国の経済規模を示すのに対し、国民一人一人の「豊かさ」をもっと正確に表す「1人当たりのGDP」では日本の方が中国よりも10倍以上も高い。ところが、その指標では、カタールの方が日本よりも2倍以上も高く、シンガポールも日本を上回っている。この点でも日本はアジアにおいてナンバーワンではなく、世界全体を見渡せば20位程度でしかない。

 「一番になりたがる人々」は、さまざまな指標の中で最も高い順位を示す「GDP第2位」にしがみつこうとする。しかし、中国「奪われた」第2位の地位を取り戻すために、われわれは暮らしを犠牲にしてまでもっと頑張るべきなのだろうか。大事なのはGDPではなく、一人一人の暮らしだ。しかし、GDPを拒否することが、その代わりとして「幸福」を指標として採用すべきだということにはならない。

《GDPと幸福は置き換える指標として元々比べるものではなかろう。また、千差万別にある幸福などつかみ所のないものの指標などつくりようもないだろう。》

 アジア最大の比較世論調査「アジアバロメーター」によれば、日本よりもミャンマーの方が幸せであると答えた人の割合は高く、さらに住居、生活水準、所得,健康、教育,仕事、環境、友情、結婚、家族生活だけでなく、民主主義制度においてすらミャンマーの方が満足度は高い。だからといって、ミャンマーを見習うべきだと思う人はいない。幸せや満足度は「豊かさ」の重要な要素ではあるが、それがすべてではない。

 われわれは、人の暮らしの「豊かさ」をもっと正確に反映する指標を必要としている。国連開発計画の「人間開発指数」は、健康と教育と生活水準の三つの要素から成り、人々の暮らしの「良さ」に焦点を合わせる。それはGDPの呪縛から少しでも逃れることに貢献したが、依然として順位争いの「呪縛」から逃れられない。上位の国は優越感に浸って現実問題から目を背け、下位の国は「遅れた国」というレッテルに悩まされる。その呪縛から逃れる一つの方法は、ブータンの国民総幸福のように自国を上位に位置づける新しい指標を作り出すことだ。世界中の国の数だけ指標をつくれば、すべての国が一番になることもできるだろう。その方が個性的な指標が生まれ、世界はもっと多様な国で満たされるかもしれない。

《もっと言えば、国の数だけでは足りない、この考えを突き詰めれば価値観の極小単位の数が必要ということになるだろう。08年11月の「自分は孤独だ」15歳の幸福度調査でも書いたが、子どもの世代でも、「毎日ご飯が食べられるんだもの、私が世界で一番幸せ」「いや、ゲーム機買ってもらえたんだから俺が一番だ」「ブランドの洋服を着せてもらえないんだもの、私が一番不幸せよ」と。》

 しかし、指標化することの本当の問題は、それによって人々の暮らしを直接見ようとしなくなることだ。人間開発指数の作成に関わったノーベル経済学賞受賞者、アマルティア・センは、三つの指標を一つの指標に統合せずに、それぞれバラバラに眺める方が人々の暮らしを正確に知ることができると主張する。より正確に言えば、暮らしにとって重要な指標を集め、公共的な討議を経て、望ましい社会のあり方を理性的に判断すること。これは彼の正義の考え方でもある。

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2011年2月25日 (金)

幸せの基準とは

 毎日新聞(2/26)から、
 《何とも奇妙なことだが幸せに基準などあるのだろうか。国内総性産(GDP)に代わる指標作りを各国が模索しているという。幸せという価値観の数値化などありようもないが、当然のことながら数値化には批判もある。GDPが幸せの基準であるなどとは、自国の国民生活を考えない数値の高い国の独りよがりでしかないだろう。そもそも人間の欲望には上限が存在しない。どこまでも果てしないのが欲望だ。ある点に到達するとそこが原点になり,更にその上への欲望を持つようになりその繰り返しは果てしなく続くことになるのだ。逆には下を見てそこに蠢く集団を確認し、自身の地に安住する。このようにして自らが格差をつくり、階層が生まれる。このように考えるとき、国民の幸福度など平均して「こうだ」とどうして測れるのだろうか。高級カラーテレビの所有台数か、アルコール消費量か、自動車保有台数か、教育費がゼロだからか、税金や福祉、私有財産の有無なのか、何歳まで生きるのかなど、一体何を指標とするのか。》

参照 国民の「幸福感」って 11/01 (各国比較の表あり)

 3人の大学教授に意見を聞いてみよう。先ず、一橋大大学院教授:斎藤誠(マクロ経済学)。
 
 ♦要約 豊かさの実感には、企業や個人が日本経済が低生産性、高コスト体質で国際競争力に劣る現状を実感し、実力を上げるための地道な努力をしなければならない。同時に、日本全体として時間や資金の配分を企業活動の外側にある個人、家庭、地域などの活動に振り向ける日宇町もある。

 政府の財政状況が先進国中最悪となった今では、公的部門だけで豊かさの実感に必要な教育や福祉などを支え切れない。ボランティアやNPOなどの市民活動にもっと労働者が時間を使え、資金も回るようになれば、国民が豊かさを実感できる場も広がるのではないか。

 ただ、時間や資金を具体的に何に使えば、幸福感が得られるかは人によって異なる。一人一人が「自分にとっての幸福とは何か」えお真剣に考え、自ら実現していかなければ、国民が豊かさを実感するのは難しいだろう。英仏政府などは「幸福度」の新たな指標作りを進めているが、「お上」が幸福の定義を「下々」に押し付けるのはおかしい。

《押し付けるがおかしいといっても、それぞれの国がそれぞれの国だけで適用可能な物差しが見つけられるのであれば、それはそれでいい。しかし、だからといって、それを国際基準に考えることはナンセンスというほかない。》

 次に、明治学院大教授:辻信一(文化人類学)。
 ♦要約 「GNPより、GNHの方が大事だ」とブータン国王(当時)が言ってから30年余り、今ではGNH(国民層幸福)という言葉がブータン国の基準理念として憲法の中に書き込まれている。それは世界中で宗教のように「信仰」されてきた経済至上主義への痛烈な皮肉であり、批判だ。

 「豊かさ」の追究は、貧富の格差、紛争や戦争、環境汚染などの深刻な問題を引き起こし、ついには人類の未来を揺るがすところまできている。日本など先進国の人々には幸せがもたらされたかといえば、必ずしもそうではあるまい。

 05年以来6度に亙って訪れたブータンでは、「スローライフ」が健在で、老若男女を問わず人々の幸福度は高そうに見える。豊かな自然、自給型農業、コミュニティーの助け合い、人々が誇りとし、心のよりどころとする伝統文化…………。人々はよく集い、歌い、踊る。子どもたちの楽しげで生き生きとした様子も印象的だ。同じ国で、「豊か」なはずの首都にむしろ問題が集中していて、暮らしづらそうだ。聞けば大抵の問題にはお金が絡んでいる。お金がないことではなく、お金があることが問題なのだ。ブータンは我々にこの問題を突きつけている。「幸せって、なんだっけ?」。

 現代の経済学は「人間の欲望は夢幻」という思い込みの上に成り立っている。そして、拡大し続ける欲望を満たすことが幸せであり、そのために限りなく物やサービスを西安市、消費し続ける。それが絶えざる経済成長を可能にする、というストーリーだ。

 こういう考えに対しては古今東西の賢人たちが警告を発してきた。「足るを知る」ことの重要性を説き、欲求の暴走を自制することにこそ真の知恵があるとした。

 現代の賢人ヘレナ・ノーバーグ=ホッジが今月来日し、映画「幸せの経済学」で彼女は、世界のあちこちに出現しつつある新しい経済の試みを紹介している。それらの実例は、従来の常識とは反対に、地域(ローカル)化によって経済規模が小さくなるほど、人々の幸せ度が増すことを実証している。ヘレナによれば、それはローカル化が繋がりを深めるからだ。人間同士の相互扶助の関係や、人と自然との根源的な繋がりが、甦るのだ。

 「上る」だけの人生観や歴史観はすでに破綻している。今求められるのは「降りてゆく」知恵だ。本当の豊かさは、「より速く、より大きく、より多く」ではなく、三つの「S」、スロー・スモール・シンプルで形容される生き方の中に見出されるだろう。そのように我々は幸せへと「降りてゆく」のだ。

《経済学に疎い私には、ブータンのGNPよりGNH説は遠い話、辻の論は旅行記に目を通しているような印象だ。ゆとり教育を失敗と断じた日本で、スローライフ運動がどこまで理解されるのか、注目しておこう。》

  3人目、東京大教授:池本幸生(アジア経済論)は、明日につづく。

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2011年2月23日 (水)

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《「頭を雲の上に出し 四方の山を見下ろして 雷さまを下に聞く 富士は日本一の山」今から70年以上も前になる。小学生に上がったころ、声も張り裂けんばかりに皆と並んで大声で歌ったのを思い出す。なぜ今日2月23日が富士山の日なんだろうか。多分、並んだ数字の語呂合わせだろうと思って調べてみた。今からちょうど10年前の2001年12月、山梨県富士河口湖町が条例として制定したのが始まりのようだ。続いて世界遺産登録に落ちて静岡県が、登録に向かって運動を盛り上げようと2009年12月に条例化した。》

 毎日新聞(2/19)から、
 富士山には年間30万人を越える人が登っている。環境省は2005年から四つの登山道に赤外線カウンターを置いて登山者数を調査している。05年に約20万人だった登山者は10年には約32万人に増えた。近年の登山ブームで女性の登山者が増えたことと、外国人にも人気なのが増加の理由と見られている。

 そこで問題になるのが山小屋のトイレから出る屎尿の処理と登山者が捨てるゴミだ。

《日本だけに限らない。観光立国スイスの観光地のトイレの汚さについてはブログでも触れた。地元の人がいくら心掛けても、旅行者の「旅の恥はかき捨て」は世界共通の群集心理のようだ。》

 以前は、夏のシーズン中に貯めた尿をシーズン後に放流しており、使用済みのトイレットパーパーが山肌に白い模様を描くこともあった。今はすべての山小屋のトイレが「バイオトイレ」などと呼ばれ、微生物の力で分解したり、バーナーで燃やしたりして、放流をしないトイレに生まれ変わった。

 富士山麓を清掃して綺麗にしようという「富士山クラブ」を登山家の野口健氏が立ち上げ、富士山の環境保護活動をしているが、毎日新聞も加わって「富士山再生キャンペーン」として10年以上つづいている。

 この5年間、3万3500人が富士山と富士五湖周辺の青木ヶ原樹海に入り、計310トンのゴミを集めている。記者も昨年7月の西湖付近の樹海清掃に参加したが、登山者が捨てたと思われるものはあまりなく、タイヤ、電線、自動車の部品など別の地域から持ち込まれた廃棄物が多くあった。キャンペーンでは、外来植物を取り除く作業も行っているが、昨年は、栽培が禁止されているアメリカ産の「オオキンケイギク」を抜き取っている。

 噴煙を上げていないが、富士山は活火山だ。気象庁は活火山を「過去1万年以内に噴火した火山」か「現在活発な噴気活動のある火山」と定義している。近いところで起きた噴火は1707年で、現在の東京や神奈川県の横浜にも火山灰が降り積もり、富士山周辺の田畑にも焼けた石や灰が降った。

 現在の警戒レベルは5段階のうち最も低い1の「平常」で、心配はいらない。因みに,今盛んに噴火している九州の新燃岳は、「登山禁止」のレベル3だ。

《因みに、世界文化遺産への登録の動きだが、文化庁に提出する推薦書原案の締め切りが7月で、その最終とりまとめの推敲中のようだ。推薦書は文化庁からユネスコに送られ、ユネスコによる現地調査を経て最終審査を通れば、世界文化遺産に認定されることになる。今がちょうど9合目辺りということのようだ。》

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2011年2月21日 (月)

献体って何?

 毎日新聞(2/16)“なるほドリ”から
 人は死ねばその多くは焼却されたあと灰になる。最近は臓器を移植のために提供する人も増えてきたが、1月に亡くなった俳優の細川俊之氏は、自分の遺体を献体したということだ。献体って何をするのだろうか。大学の医学部と歯学部は人体の構造を学ぶため解剖実習を行なっている。実習のために遺体を提出することを献体という。

 Q どこへ申し込むのだろう

 A 篤志解剖全国連合会事務局長の天野修・明海大教授は「生前に医・歯学部のある大学へ申し込んでください」と話している。原則的に居住地近くの大学だが、分からない時は篤志解剖全国連合会か日本篤志献体協会に聞けば、大学の紹介や相談にのってくれる。

 Q 登録手続きについては

 A 登録先で多少違うが、申込書に必要事項を書いて提出する。このとき、配偶者など身近な肉親に同意の印をもらう。提出後、献体する大学名と死亡時の連絡法などを書いた登録証が届く。

 Q 献体は誰でもできるのか

 A 事件や事故で亡くなった人は司法・行政解剖となり献体はできない。また、解剖時に感染の恐れがある病気だった場合、できないことがある。これ以外は、生前に大病をしたり、手術で臓器を摘出しても献体はできる。ただ、臓器提供も同時に希望する場合、献体を受けない大学・団体もある

 Q 遺体は引き取りに来てくれるのか

 A 葬儀後、登録した大学が来る。実習後は大学が火葬し、遺骨は遺族に返す。通常1〜2年かかるが、時に3年以上かかる時もある。搬送や火葬の費用は大学が全額負担する。死後、文部科学相の感謝状が贈られるが無報酬だ

 Q 登録は取り消せるのだろうか

 A 本人の気持ちが変わった時は取り消せる。遺族が献体をやめたいと思った場合もできなくなる。「献体は遺族の理解や協力が不可欠」(天野教授)だからだ

 Q 現在、献体数は十分なのか

 A 日本篤志献体協会によると、1970年4月から23万3443人(09年3月末)が登録し、すでに9万5006人が献体した。天野教授は「今は献体が著しく不足している状況ではない」と説明している。ただ、都市部で登録者を一時的に制限する大学がある一方、地方では登録が少ない大学もあるようだ。こうした大学間の差の解消が今後の課題だという。

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2011年2月20日 (日)

南極海での調査捕鯨中止

 毎日新聞(2/19)から、
 日本が南極海で行なってきた調査捕鯨を今期は中途で打ち切ることが決まった(18日)。鹿野農相はその理由として、反捕鯨団体シー・シェパード(SS)による簿外や追尾で、乗組員や調査船の安全確保が難しくなっていることをあげた。

 社説は“根本見直しの契機に”と書き、各方面に広がった不安に識者は合法性を強調し“逃げ帰るな”と強調する。

 調査捕鯨は南極海と北西太平洋で財団法人日本鯨類研究所(鯨研)が行なっている。10年度の南極海での捕獲数は、中止によりミンククジラ170頭(計画は約850頭)、ナガスクジラ2頭(同50頭)止まりで、87年の開始以来最少となった。

 調査捕鯨の費用には鯨肉の販売代金と国からの補助金が充当されている。鯨研は08年度で1億6400万円の赤字に陥っており、中止が財政的に追い打ちをかけることは間違いない。農相は18日、今後について「財政的な困難が予想される」と語った。

 一方で日本人の鯨離れは進んでいる。水産庁の統計では、国内の鯨肉在庫は10年末現在で5093トンと5年前より4割も増加。捕鯨中止ですぐに鯨肉が足りなくなることはない。だが、料理店や捕鯨基地などでは不安や反発の声が上がる。

 東京都千代田区の鯨料理店「くじらのお宿 一乃谷」の店主(55)は「安全を考えれば打ち切りは仕方ないが、他国の食文化を尊重しようとしないSSの行動は理解できない」と話す。

《捕鯨は「日本の食文化」が錦の御旗だが、敗戦直後の食糧難時代、街の荒物屋さんでこれ以上安い惣菜はないほどの「鯨ベーコン」はいつでも購入できた。しかし、半世紀以上が経った今、スーパーにも並ぶのは珍しいほどの珍品に変わった。現在の日本ではすでに食文化と呼ぶに相応しい食べ物ではなくなっている。5年前に「ロンドンのクジラ」を書いてから他国の日本の捕鯨への横槍には我慢ならないものを感じてきたが、反面、調査捕鯨の『調査』の内容に疑問は呈してきた。一体何を調査するために毎年毎年出かけるのか、その調査結果はどのようなものなのか。日本人の多くはその調査内容を知らされているのだろうか。知らないのは私だけなのか。メディアはSSの妨害ばかりは報道するが、調査の内容はどこまで国民に「だから調査が必要なのだ」を知らせているのか、或いは「だから捕鯨は必要なのだ」と。》

 調査捕鯨基地がある山口県下関市。義理の息子が捕鯨船に乗船中という女性(55)は「息子は『薬品や塗料を掛けられ、船体はぼろぼろの状態]と話していた。帰国が決まって安心したが、乗組員としては歯がゆいだろう」と語った。

 元水産庁漁場資源課長で政策研究大学院大学の小松教授は「合法的な捕鯨なのに暴力で邪魔された。逃げ帰っていは行けない。日本は悪いことをしていると国際的に喧伝される。乗り組み員に生命の危険があるなら、海上保安庁に護衛を頼み、居続けることが大切だ」と強調した。

《「売られた喧嘩は買わねばならない」で解決する問題か。現在以上の赤字が増えることが確実な対応になるのに。》

 社説はシーシェパードの言語道断の妨害行為を糾弾しながら、乗組員の安全が危うくなっているとすれば、中断するのもひとつの判断であろう,と書く。問題は次期以降の調査捕鯨をどうするかである。

 水産資源の有効活用は当然でありクジラも例外ではないだろう。クジラの生息数や分布がどうなっているか、科学的調査を行うことを非難されるいわれはない。

《調査結果をもっと国民にオープンに知らせる必要はあろう。生息数や分布もそうだが、泳ぐ勇姿を見る機会はあるが、いったい鯨はどこで一生を終えているのだろうか。あの巨体は海底で他の魚たちや微生物らに食いちぎられるのだろうか。》

 社説も言う、現実問題として食料としてのクジラに対する国内需要は急減している。戦後間もなくの食料不足時代にはクジラは貴重なタンパク源であり、学校給食などにも使われた。団塊世代以上には郷愁を感じさせるクジラ肉だが、近ごろは滅多に食卓にも上らなくなった。このため、クジラ肉の在庫は近年にない水準に積み上がっている。

 今回の調査捕鯨の打ち切りは、直接的にはSSの危険な活動が理由になっているが、中断やむなしとした背景には日本人の食生活の変化があると見ることができる。

 多くの日本人が「外圧」によって調査捕鯨をやめることを不愉快に重い調査捕鯨の継続を指示している。しかし、現実にはクジラ肉を食べなくなっており、調査継続の意義を掘り崩している。SSよりも日本人の食の変化の方が調査捕鯨にとって難問なのである。

 調査捕鯨は今期で6年間にわたる「第2期南極海捕鯨捕獲調査」が終了し、第3期の計画の検討が行われる。大きな節目だ。この際は調査捕鯨を凍結することも含め、一度根本から見直してみてはどうか。国際捕鯨委員会(IWC)では調査捕鯨の大幅縮小、沿岸捕鯨の拡大などが提案されている。

 そして、中長期的には日本の水産物資源の保護の水準を国際的に見劣りしないものに高める必要がある。クジラ問題だけでなく、マグロ問題でも日本に対する風当たりは強まっている。海外からの一方的な言いがかりを許さないように、先ず自分の庭先を綺麗にしよう。

《他国の人には残酷と見られているスペインの闘牛、こちらも、「おらがくにの国民性」としてきたスペイン人も自国民の中から「そろそろやめようよ」の声が上がっているようだし。》

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2011年2月19日 (土)

桐生いじめ訴訟、「自殺の要因さまざま」

 毎日新聞(2/19)から、
 群馬県桐生市で昨年10月に自殺した市立新里東小6年、女子生徒(12)の両親が「担任教師らがいじめを放置したためだ」として、市と県に計3200万円の賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が18日、前橋地裁(西口元裁判長)であった。市と県は「いじめの結果、自殺したとは即断できない」などとして請求棄却を求めた。

《昨年のブログでこの問題を取り上げ、 「群馬小6自殺、両親が県と市を提訴」と題して、本当に訴えなければならないのはいじめた張本人たちと、その両親,保護者たちであることを書いた。》

 市側は答弁書で「自殺にはさまざまな要因があり、原因や経過の究明には相応の時間がかかる」と指摘、いじめと自殺の因果関係を争う姿勢を示した。また、具体的ないじめの内容を明らかにするよう両親側に求めた。

 一方で市側の弁護士は閉廷後、市の第三者委員会が3月末までに出す調査結果で因果関係を認めた場合、訴訟の対応も変わり得ることを示唆した。

《ただ、いじめと自殺に因果関係があったとしても、裁かれなければならないのは市でも県でもない。あくまでも直接的にはいじめ行為を実行した人間たちと、その子どもたちの管理監督責任者の両親、保護者なのだ。この責任の所在を明確化しないと、いつまで経ってもいじめがなくなることは期待できない。》

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2011年2月18日 (金)

国民年金第3号、救済策は不公平

 毎日新聞(2/17)から、
 《私自身の対応については 参照 国民年金第3号被保険者(サラリーマンの妻) 2010/07 に書いた。第3号スタート時から、大学で社会保障、保険関係を教えていた妻の父が、女家族全員を被保険者に届け出、妻は第1回目の月から保険料を納めていた。その後の経過は上の参照に記したが、私の2度目の就職までの空白期間は、自ら国民年金に切り替え、納付期間が欠けないように対処した。再就職で再び厚生年金と妻は第3号被保険者となり、妻も同様納付を途切らせることはしなかった。》

 サラリーマンの妻の専業主婦らが加入する国民年金第3号被保険者制度の切り替え漏れ問題で、救済策に異論が相次いでいる。制度を知らずに切り替え手続きをしなかった人が低年金や無年金に陥るのを防ぐため、条件を満たせば過去の未納分を納付したと見做す措置だが「まじめに払ってきた人からみれば不公平」との指摘が強まっているためだ。16日の総務省年金業務監視委員会でも見直しを求める声が続出した。

《この問題は、上の参照でも触れたが知らなかったことは仕方ないにしても、条件を満たせば「過去の未納分を納付したと見做す」としたことは、いかに弱者救済が大流行りでも、余りにも不公平だ。不満が続出するのは当然のことだ。せめて未納分の完全追納を求めてからにするべきだろう。それが「条件を満たせば」の意味ではないのか。「知らなかった」で済むのなら、あらゆることに「知らなかった」を理由に通せる道を開くことになるのではないか。》

 3号被保険者は、扶養者である配偶者が退職して厚生、共済年金から抜けたり離婚するなどした場合、3号を脱退し国民年金第1号に加入する届けが必要だ。だが、知らなかったなどの理由で未届け出の人が数十万人に上るとみられる。厚生労働省は12月、加入者については過去2年以内の未納保険料を納めれば、それ以前の分も納めたと見做すことを通知。年金機構が1月から運用を始めた。

 16日の年金監視委では郷原信郎委員長らから「(納めた)実態のない人に国民の保険料から払うのはおかしい」「救済措置が始まる前に正直に届けた人は無年金や低年金のままで救済されないのに、届けなかった人が救済される」。「こんな重要事項を法改正でなく課長通知でやるのは法律違反」とした。

 厚労省や機構は「記録を正しくすれば低年金や無年金になる人も生じ、窓口に苦情が殺到する。我々の周知不足も原因で本人だけに責任を求めるのは酷」としたが納得は得られず、監視委で関係者にヒアリングを続け、総務省に意見具申をするかの検討に入った。総務相は行政評価の観点で、各省庁の大臣に勧告を行える。この救済措置は恒久措置ではないとされるが、起源は決まっていない。首都圏の社会保険労務士は「窓口で故意か善意かは問わない。本当の加入期間は1年でも受給資格に満たすまで海外に行ったり、敢えて届け出ないケースも必ず出る」と指摘している。

《公平を図るためには、知らなかったで済ませないためにも未納期間の追納を満たすことこそ求めるべきだ。》

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2011年2月17日 (木)

携帯フィルタリング、覆面調査

 毎日新聞(2/17)から、
 《今月7日のブログで取り上げた。性被害に遭った子どもたち全員の携帯にはフィルタリングの設定がされていなかった。その際も、販売店の説明を兎や角責めるような内容の記事になっていたが、問題の核心を突いていないことを指摘した。今回も同様のことで、警察が姑息にも覆面調査までして販売店を悪く印象づけようとしている。本当に、最もいけないのは、携帯を無分別に使わせている親、保護者の無責任にあることに触れないではこれから先も、子どもたちの性被害が減ることは全く期待できない。ただ、いたずらに無駄なデータ収集を繰り返すだけだろう。》

参照 暖簾に腕押し、糠に釘 2010/05 

 Photo_4 警察庁は17日、有害サイトへのアクセスを制限する「フィルタリング」が適切に推奨されているかを把握するために全国の携帯電話販売店で実施した覆面調査の結果を公表した。店員の説明内容や熱意で改善が必要な点があると評価された店が4割を占めた。また4分の1以上は年齢確認が不十分だった。警察庁は携帯電話事業者などに結果を通知し、フィルタリングの普及への協力を改めて要請する。

《もともと業者の自主規制や販売店のフィルタリング設定が単なる努力義務である間は、「1台でも多く売らんかな」で徹底するものではないことは繰り返し指摘してきた。。》

 《記事は、いつも同じことの繰り返しで、少しでも子どもの性犯罪被害に関心があれば、耳にタコの内容だ。それでも被害者になるのは、親から見放され、「自ら飛び込んで招いた災難」としてもいいほどだ。》

 今回の調査では、加入したばかりのフィルタリングを解除する保護者が少なくないという実態も浮かんだ。「見たいサイトにアクセすできない」という子どもの訴えを聞き入れ、解除の同意書に署名するために保護者が来店するケースが目立ち、「購入客の5割は(後で)フィルタリングを外したいと申告に来る」などという店員の声が報告されている。

《子どもが親に訴えてでも見たいサイトとは何か、フィルタリングを解除する前に親は子どもに何を似たいのかを確認しないのだろうか。販売店の説明不足を言う前に、親自身がフィルタリングとは何かの認識が欠けていることが、子どもが被害者になることに考えが至らないのだ。》

 フィルタリングに加入しても、閲覧制限のかかるサイトが一切見られなくなるわけではない。携帯電話所業者との契約で「カスタマイズ」と呼ばれる機能を設定すれば、個別のサイトの閲覧制限を外せる。学校や塾の掲示板にアクセスしたい時などによく使われるが、必要に応じてフィルタリングの範囲を調節できるのが特徴だ。

 フィルタリングを解除しようとする保護者にカスタマイズを勧めて継続を促すという方法もある。これがどこまで定着しているかを把握する必要がある。「フィルタリング離れ」を水際で食い止める取り組みも普及の底上げには大事だからだ。

 大手のコミュニティーサトでは、成人と子どもとの間のメール交換を防止するため、フィルタリングに加入する携帯電話を識別し、その使用者を未成年と判断して自動的に保護するシステムを取り入れている。警察庁幹部は「フィルタリングはさまざまな場面で苦悩を果たす。だからこそ、100%の普及を目指さなくてはならない」と指摘する。

 警察庁は17日、10年にコミュニティーサイトを利用して犯罪被害に遭った子ども(18歳未満)は1239人で、09年を103人(9・1%)上回ったと発表した。被害者の多い順で7位までは「モバイルコンテンツ審査・運用監視機構」(EMA)の認定サイトだった。警察庁は被害情報をEMAに初めて提供し、認定サイトに対する適切な監視を要請する。

《適切な監視というヤツが、如何に何の歯止めにも役にも立たないことかを認識するべきだろう。》

 警察庁によると、罪種別の内訳は青少年保護育成条例違反(淫行など)の被害者が最多で772人。児童買春の214人が続き、強姦の25人も目立つ。年齢別では14歳以下の定年齢層が362人(29・2%)を占めた。

《これまでと同じ、親が無責任に子どもに携帯を持たせ、何の管理もできないようでは、今後ますます子どもの性被害は増え続けるだろう。》

 

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2011年2月15日 (火)

妊娠の知識、日本最低水準

 毎日新聞(2/15)から、
 《2009年10月の調査ではっきり示されたように、日本女性で子どもが産める世代の半数以上が子どもは要らない、と答えている*ことから推量すれば、妊娠の知識など不要なのだろう。

 * ‥ 2020年、1人暮らし世帯(単独世帯)が34・4%に 09/12

 Photo 事実、ある程度の知識は男よりも必要と思われる女の方が、今回の調査でも下位にあることをみれば女の妊娠に対する無関心さが分かる。婚外子が5割を越えるフランスでさえ意識は女の方が高いのに、日本の女たちは、女性週刊誌、漫画など街に氾濫するレベルの性知識で十分と思ってでもいるのだろうか。》

 日本人の妊娠に対する知識が、国際的にみて低い水準であることが、英カーディフ大などの調査で分かった。「子どもが欲しい」という欲求が低い傾向も明らかになった。調査責任者のジャッキー・ボイバン教授は「知識不足や育児への負担感が、日本の出生率の低さにつながっている可能性がある」と分析している。

 調査は、同大が製薬会社メルクセローノと共同で、欧米,中国など計18カ国の男女1万人(平均年齢31・8歳)を対象にインターネットで実施。日本人は481人が協力した。妊娠や不妊に関する国債調査では最大規模という。

 妊娠に対する知識を○Xで答える質問(13問)んお正答率は、日本人女性が35・8%と、再開のトルコに次ぐ18カ国中17位。男性も37・4%でトルコ、中国に次いで低かった。

 「健康的な生活を送っていれば妊娠できる」という考えが誤りだと正しく答えられた日本人は28・7%で、英国(90・7%)やオーストラリア(89・3%)の3分の1程度にとどまり、喫煙や性感染症への感染、女性の肥満や加齢が妊娠・生殖能力を低下させることなどへの認識も低かった。

 生殖に関する意識を各国で比較したところ、日本人は「子どもを持ちたい」という欲求や必要性が際立って低く、育児への負担感を湯よく感じている傾向が出た。特に女性の負担感が男性を大きく上回った。

《働くためには、まだ乳離れもしない乳児を預ける一時預かり所が足りない、放課後面倒見てくれる施設が足りないなど、子育てと仕事を天秤にかけて、働くことを優先させれば必然的に子育ては負担になる。分かり切ったことだ。また、国情の違いを無視して横並びに比較した結果を云々してみても意味はない。》

 不妊女性の意識に詳しい森明子・聖路加看護大教授(母性看護・助産学)は「日本では生殖の仕組みや、女性の加齢に伴う体の変化について、学校でほとんど教えていない。それらの知識は、自分の健康を守り人生を設計していくうえで不可欠。性教育のカリキュラムをしっかり組み、それを担う人材も育成すべきだ」と指摘する。

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2011年2月13日 (日)

子ども手当

 毎日新聞(2/5)社説 から、
 珍しく社説がいろいろと問題があるにしろ、「子ども手当」制度は維持すべきだ、と書いた。民主党の政策には無理なものがたくさんあり、菅内閣が見直しをするのは当然だ。しかし、すべてを否定すべきなのだろうか。政権が代わって光が当たるようになったものもある。国会で相変わらず批判を浴びている子ども手当がその一つだ。

《あまりにも腐敗していたそれまでの自公政権を国民が見限って、「一つやらせてみようか」、と始まった現寄り合い政権だ。選挙に勝つために野党の立場で、ああする、こうする、と景気の良いスローガンをブチ挙げたが、代わってみれば机上の空論が目立った。野に追われた自民党は、その甘さをクソの類いまで拾い上げ、躍起になって責め立て足を引っ張る。確かに現政権が野党であった時代には、政権の中にいなければ見えなかったものが十分には見えず、隠し財源など数字を含めて憶測で作り上げたマニフェストが今になって自分自身を動きにくくしているのが実態だ。しかし、スローガンはあくまでもスローガンで、志が間違ってなければいいものだ。そう、「過ちを改むるに憚ることなかれ」だ。臨機応変、目まぐるしく変わる時代の動きや現実に変化、即応できなければ却って遅れを取ることになろうというものだ。》

 現在は中学生まで一人につき月額1万3000円だが、11年度から3歳までは2万円に増額する。国内居住の子に限定し、施設に入っている子にもすべて支給する。保育料などを滞納する家庭にも支給されることが批判されていたが、11年度から保育料は自治体が強制的に子ども手当から回せるようにし、給食費も親の同意を得た上で充当可能とする。

 当初は中学生まで2万6000円支給で総額5・3兆円になる予定だったが、現在は2・3兆円。11年度からは2・9兆円だ。マニフェストでは高所得者に有利な扶養控除や配偶者控除(計1・4兆円)を排除して子ども手当に回すとしていた。これに自公政権時代の児童手当(1・1兆円)を加えたれば現在と財源規模はあまり変わらない。

 若年世帯は相対的に所得が低く、特に3歳未満の子がいる世帯は貧困層が多い。控除を廃止した財源をそうした世帯に回すのは望ましい政策ではないか。選挙対策で配偶者控除の廃止を見送り、また「全額国庫負担」の約束だったのに児童手当の地方負担分も取り込んだため批判もされる。しかし、現制度の骨格自体が間違っているとは思わない。

 所得制限がないため金持ちの子にも手当が行くことへの批判も根強い。しかし、選別主義的な制度は不正受給が起りやすく、行政不信や市民間の不信が増幅する恐れがある。行政の事務量も増える。それよりも課税の累進制を高めて再分配で公平を図る方が合理的だ。諸外国でも所得制限はほとんどない。少なくとも、「ばらまき」と決めつけるのは妥当ではない。

《何をやっても不満分子は必ずいるものだ。「ばらまき」はそれこそ前政権の得意技だったものだ。》

 子ども手当を貯蓄や遊興費に充てる親が多いともいわれるが、児童手当はどうだったのだろうか。子どもために使うのであれば時期や支出先を限定する必要はない。初めから完璧なものはあり得ない。

 子育てを終えた世代に不人気なのはわかるが、以前より親族間や地域での支え合いは薄れており、経済格差も広がっている。家族を守るためにこそ「一人一人の子の育ちを社会が支援する」との理念は大事だ。その結果、少子化の改善や消費の刺激がもたらされれば言うことはない。

《子どもを「社会が育てる」のような曖昧模糊として、無責任な表現ではなく、「社会が支援する」ならよくわかる。》

 次世代が地盤沈下すれば、今どんなに素晴らしい政策を打ち立てても崩れていく。子ども手当や子育て支援策は政局に巻き込まず、冷静に長期的な視野で考えてほしい。

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2011年2月10日 (木)

(プロの視点欄)WLB

 毎日新聞(2/7)から、
《2月に入って最初に取り上げたのが、今回の記事の前段に当たる「仕事と生活の調和」の行動計画策定を義務付け だった。私はこの記事に対して揶揄的な内容のブログに仕上げた。今回の記事は、トライアンフ代表取締役・樋口弘和氏がの立場から、WLBが簡単に日本企業で浸透するものではないことを説いている。》

 実に不思議なことだが、いわゆる「できる人」でワーク・ライフ・バランス(WLB)を実践している人は例外なく、若手社員にWLBを勧めない。そもそもWLBとは、多忙な欧米ビジネスマンが燃え尽きてしまうのを避けるために、「仕事での役割を果たした上で、できるだけ自分の時間も大事にしよう」という考えが広まったものだ。つまりWLB実現の前提は、仕事ができ、時間管理ができることだ。

 日本では言葉が独り歩きし、労働者の権利としてむやみやたらに主張されているように思う。社会人としての基礎を学ぶ20代に、役割も十分に果たせないままバランスばかり考えていては、学ぶべきことが学べなくなってしまう。

《仕事ができてこそWLBは実現できることで、日本でいうのは本末転倒ではないか、ということだ。》

 これを避けるには、少しでも成長を望む若手社員にWLBの前にまず「時間当りの生産性アップ」を徹底的に教えることだ。つまり、同じ8時間でも平均的な人より2倍の仕事ができるようにするのだ。タイムマネジメントを学ぶには、最初は多くの労働時間を要する。失敗から学びを蓄積し、引き出しを増やすために、PDCA(計画.plan→実行do.→評価.check→改善.action)サイクルをより多く回す必要があるからだ。このスキルが一定に達して、初めてワークとライフのバランスを選択させてはどうか。

《入社してもそそくさと辞めていく人間たちには、このような話を聞かされるだけで恐れをなして「専業主夫がいい」と、寄りつかないだろう。》

 因みに、トライアンフでは、働き盛りの小学校低学年までの子どもを持つ父親は毎週水曜日午後4時に帰社し、子どもと夕食と入浴を共にするルールになっている。その一方で、成長を志向する若手社員にはワーク偏重の生活を促す。役割を果たし、チームワークを維持しながらライフも大切にすることは一朝一夕にはできない。それ相応の経験とスキルが必要なのだ。

《カタカナの横文字になると何でも有り難がる風潮では、理解不足のまま取り入れようとしても、根付くものではない。》

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2011年2月 9日 (水)

「孤育て」とは

 毎日新聞(2/4)から、
 「私の社会保障論」として第一生命経済研究所主任研究員・松田茂樹が“日本が「孤育て」になる原因”なる一文を書いている。先ずその主張を聞いてみよう。

 自分でしてみて「子育てはしんどい」と感じた人は少なくないだろう。どうもわが国は子どもを育てにくい。内閣府の国債意識調査(05年)によると「自分の国は子育てしやすい」と感じる人はスウェーデンではほぼ10割、アメリカやフランスは7割前後だが、日本は5割。2割の韓国には上回ったが、お寒い結果だ。なぜだろう。欧州諸国ほど手厚い子育てへの経済的支援や保育サービス、バリアフリー化された道路がないからか。

《経済の専門家だが、経済基盤の違う国々を比較した数字を並べてまず、日本の国の子育て支援の貧しさを先入観的に読む人の頭に刷り込む。それに奇を衒った「孤育て」などと書くことはないだろう。》

 じつはもっと基本的なところにも理由はある。内閣府は08年に「海外で子育て経験のあるママ・パパ100人に聞きました」というインタビュー調査を実施した。回答者の多くは日本より他の先進諸国の方が子育てしやすいと答えたが、その大きな理由は「外出先で周囲の人が子どもに声をかけてくれる」「ベビーカーで移動するときに周りの人が手伝ってくれる」「子連れが邪魔者扱いされない」ことだった。もちろん、日本の脆弱(ぜいじゃく)な子育て支援制度の問題は挙げられたが、他者の接し方や手助けにも差があったのだ。

 日本では育児で頼りになるのは家族や親族だ。子育て仲間同士の交流も盛んだ。だが、ひとたび街に出ると、見知らぬ子連れに声をかける者はいない。移動の介助を申し出る人も少ない。飲食店でも子どもが泣けば周囲の目は厳しい。これでは社会でわが子が歓迎されているとは思えない。

《それぞれの国にはそれぞれ異なる長い歴史に培われた国民性というものがある。国によっては子どもに限らず手当り次第に異性に声を掛け、危ない目にあったり実際に危ない目にあった日本人女性の話はいくらも聞く。それに比べて引っ込み思案な日本人は別の言葉では「奥ゆかしい」とも例えられることもある。内閣府のインタビュー調査での例が、海外生活者の全員ではないはずだ。海外紹介のテレビなどで子ども連れの街なかの姿も多く見るが、手を貸す人が多いとは思えない。最近は日本でも銀座などではベビーカーを押す若い夫婦に出会う姿が増えたが、手を貸す必要もない様子も多い。海外経験者が日本の周りを攻撃するほど人情薄いとは思わない。》

《また、松田がいう日本の育児が家族や親族で成り立っているというのは半分はその通りだろうが、後の半分は家族や親族から離れて育っている。生まれると直ぐに預けられる託児所や保育所など他人の手だ。一日の必要な睡眠時間8〜10時間を差し引くと家族や親族が子育てする時間はいかほどになるのか。それに飲食店で泣き騒ぐ子どものことを例に出しているが、周囲の厳しい目は当然で、周囲への迷惑を考えれば公共の場への出入りは、その以前に親の裁量で判断するか,連れ出すかだ。子どもは泣くのが仕事というが、泣ける場所は飲食店でなくてもいくらでもある。無茶を言っているのではない。皆、わが子を育ててきた経験があるからだ。》

 という私もそうだが、と彼は言う。特に都市他者に声を掛けない。子連れ側も「私たちに寄らないで」という雰囲気を醸し出している。私も娘の手を引いて歩いている時に知らない人が近づけば方向転換する。干渉しないのは気楽な面もあるが、それが「子育て」を「孤育て」にしている。子育てに限る話ではない。家族がいない者の孤立が社会問題化しているが、それは家族など近しい人以外の接点が少ない社会のためである。

 社会学では人と人とのつながりや、それによって生み出される信頼や規範を社旗関係資本(ソーシャル・キャピタル)という。これが潤沢な社会では人々の生活はもちろん、政治や経済も円滑に営まれる。戦後日本は道路などのインフラ(社会資本)は整備したが、社会関係資本の整備を疎かにしてきた。孤育ても孤独も生活を支えるこの資本不足が露呈した結果だ。

 日本が子育てしやすい国になるには人と人とのつながりが不可欠だ。せめて街で幼い子連れに遭った時は微笑んだり声をかけたり、電車やバスに乗る際に少し手を貸したりしてはどうだろう。莫大な予算で子育て支援を拡充するのは簡単でなくても、一人一人の声かけや手助けはすぐできるし、大きな支援になる。

《車椅子を押す人を手助けして駅の階段の昇り降りを手伝ったことだってしてきた。お年寄りや体の不自由な人、お腹の大きく膨らんだ妊婦さんたちには席も進んでゆずるが、自分の足で立つことができる子が、座席に座っている私の目の前でいくら泣き叫んでも、私は席を譲ることはしないことをブログでも書いてきた。親も甘えさせるだけが育児ではない。厳しく育てることで他者を労る心も生まれ育っていくのだ。》

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2011年2月 8日 (火)

男性の専業主夫志向が強まっている

 毎日新聞(2/7)から、
 《「専業主夫」への抵抗が若い男性の間で減っているという。その理由は、仕事での激務の果て、家事に活路を見出すという至って単純な後ろ向きの発想からきているようだ。そのことを前提に世帯の経済的基盤を考えてみる時、若い男性が「激務」ととらえる仕事を、主夫に代わった女性が激務と感じないで消化できるのか、ということだ。妻が夫を越えた収入を得ている夫婦には、夫の専業主夫化は可能だろうが、一般的に見た場合、おそらく収入は激減し経済的理由での夫婦喧嘩が絶えなくなるだろう。反対に、今流行の「イクメン」と呼ばれて数日、数週間から数ヶ月の育児のお手伝いで自己満足しているだけの男たちが専業主夫になって、これまで女たちが担ってきた子どもたちが成長するまでの期間の、育児の激務が勤まるのか。激務の果てに逃げ出したように、育児の激務にも耐えられずに逃げ出すのがオチだ。》

 「男は仕事」という役割意識が薄れ、男性の専業主夫志向が強まっている。20代,30代男性の過半数が専業主夫を肯定——という調査結果も。働く妻が増え、主夫になる選択肢もできたためだが、激務の末、家事や子育てに活路を求める男性の増加も示しているようだ。

 東京都に住む専業主夫の宮内氏(31)の毎日は朝五時、床のふき掃除から始まる。その後パン焼き器をセットし朝食の準備。家族を起こして食事をさせ、8時ごろ、3歳と2歳の娘を保育園に送っていく。洗濯や掃除、夕食の支度に続き子どもの迎え、ごはん、寝かしつけとなる。あっという間に夜9時になり、娘たちと一緒に眠ってしまうことも多い。

 結婚当初は研究開発職の妻(31)と共働きで子育てするつもりだった。しかし過労と人間関係の悩みで体調を崩し、退職。短期間と思って始めた主夫業だったが、2人目が生まれると就職活動との両立が難しくなり、1年半前から「主夫1本」で行くことにした。春からは子どもたちを保育園に預かってもらえないかもしれず、更に忙しくなりそうだ。

 戸惑いがなかったわけではない。人生に負けたように感じ、しばらく周囲に隠していた。だが反応は「あっそう」。「何だ、と開き直りました」という。

 宮内氏は主夫の仕事を、会社であらゆる業務を引き受ける総務部に例える。「楽な仕事と見下していたところがあったが、半端な気持ちではできないと痛感しています」と語る。家事の合間に主夫生活を漫画ブログ「カタルエ」で紹介している。

《生活の経済的基盤はどのようになっているのだろうか。》

  神奈川県厚木市の二瓶氏(30)は昨年9月、「全く抵抗なく」専業主夫になった。プログラマーで休日も働く激務だったが、子どもが生まれ、家事の得意な彼が主夫に、収入が高い妻が働くことに決めた。「仕事ばかりの時より充実してます。歯が生えてきたとか寝返りができそうとか、子どもの成長が分かる」という。

 厚生労働省の調査によると、妻に扶養される国民年金第3号被保険者の男性は年々増加し、2010年3月末現在、全国に約11万人いる。

 結婚情報サービス会社オーネットが09年に20〜30代の男性約1100人に実施した調査でも「男が専業主夫でも構わない」と考える割合は20代で62%、30代で69%に上る。総務省の09年の調査では30歳未満の勤労単身世帯で、女性の可処分所得が初めて男性を上回るなど女性の経済力も相対的に上がっている。

《厳しい仕事から逃げ出したいだけの男に代わって、働くこと選び、家を購入、ローンの支払いも含め、経済的基盤を維持していける女性はそうはいまい。》

 こうした状況について中央大の山田昌弘教授は「男性だけでなく若い女性の専業主婦志向も強いが、それは仕事が大変だから。正社員は長時間労働で疲れ切り、非正規は将来が見えない状況が影響している」と分析。「社会の意識の変化はいいことだが、実際に一人の稼ぎで暮らしていくのは難しく、主夫(婦)になれる人は限られる」と現実の厳しさを指摘している。

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2011年2月 7日 (月)

子どもの性被害、フィルタリングを全員が設定せず

 毎日新聞(2/7)から、
 《またまたデータの発表だ。いくら騒いでも親が育児とは何かを理解しないかぎりは決して減らない。期待する訳ではないが、これからも被害者数は増え続けることだろう。データは子どもの「性被害」とあるからには、その被害者は女の子だろう。これまでに何年続いてデータが世に出たか。賢い親なら最初から子どもに携帯など持たせないだろう。犯罪防止を理由に与える携帯が、親の無責任な育児監督、管理で犯罪防止どころか逆に犯罪被害を招く結果になっているのだ。年ごろの、思春期の少女たちが、成長過程で性に目覚め、溢れる情報で異性に興味を持つのは自然なことで健全でさえある。それを横道に逸れないように導いていやるのが親、保護者の責任だ。ところが結果からみても被害者の親たちは、とても責任を果たしているとは思えない。子どもが被害者になることに手助けしているようなものだ。親の保護下にあって社会的には責任を負わない子どもたちが、どんな相手と交信しているのか、どのような頻度で携帯を利用しているのか,チェックしているだろうか。親は子どもが嫌がってもチェックする責任と義務がある。このことは子どもが親の庇護下にある間は決してプライバシーの侵害には当たらない。子どもが被害者になることは、親の無責任、責任放棄が原因だ。原則、子どもに携帯は不必要だが、どうしても持たせるのなら、これまでも繰り返し繰り返し携帯には閲覧制限を施し、使用内容のチェックをしなければ親としての責任が果たせないことを説いてきた。いい加減、親も賢くなってもいい頃だと思えるのだが、少しも学習能力がないようだ。》

 09〜10年に東京都内でインターネットが悪用された児童買春など福祉犯罪に遭った児童・生徒297人について、警視庁が携帯電話を調査したところ、有害サイトへの接続を防ぐフィルタリング(閲覧制限)機能を全員が設定していなかったことが分かった。ほとんどは携帯電話で有害サイトに接続し被害に遭っていた。

 被害児童・生徒の携帯電話の利用実態調査は各都道府県警で初めてで、警視庁は「フィルタリングを設定していれば被害は減った可能性がある」とみている。

 09年4月に施行された有害サイト規制法は、携帯電話会社に対し、18歳未満に販売する際にはフィルタリングを設定する努力義務を求めており、警視庁少年育成課は同年からの被害者を調査した。

 この結果、2年間の都内のネット利用福祉犯罪の全被害者計297人(11〜17歳)のうち285人(約96%)が携帯電話から接続した出会い系サイトやコミュニティーサイトを通じて犯罪に巻き込まれ、いずれもフィルタリングがかけられていなかった。ほかの12人は自身のパソコンなどから有害サイトに接続していたが、携帯電話のフィルタリングは設定されていなかった。

《販売店にフィルタリング設定を求めても、それが努力義務で済むのなら、わざわざ売り上げが落ちる手段を選ぶ店など有るはずはない。「店では閲覧制限の設定は勧めています」といえば済むことだ。》

 家出中の高校1年の女子生徒は、携帯電話のコミュニティーサイトを通じて知り合った少年の紹介で派遣型風俗店で働かされていた(児童福祉法違反事件)。また、掲示板サイトでモデルの求人広告に応募した16歳の少女がアダルトDVDに出演させられたケース(児童買春・ポルノ禁止法違反事件)もあった。

 内閣府が09年に4000人を対象にした調査では、10〜17歳のフィルタリング利用率は48%だった。

 フィルタリングは、保護者が販売店で申請すれば外すことができる。警視庁幹部は「被害者には親に頼んで外してもらったケースもある」と話し、保護者への呼び掛けを強化する方針だ。

《子どもが閲覧規制を嫌がっても、親が毅然とした態度でフィルタリング設定した携帯を持たせること、交信内容をチェックすることが、親の子育て責任の取り方と知るべきだ。それができないなら、これからもデータを採る度にその被害数は増えていくだろう。》

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2011年2月 6日 (日)

親子カフェ、その後

 毎日新聞(2/6)から、
 《今、親子カフェが大繁盛だという。先に 参照 親子カフェとは 07/07 で取り上げたが、都会の主婦の井戸端会議のできるカフェだ。子どもには母の手料理の代わりに黙って座れば「はい、どうぞ」で食事ができ、親は酒が飲める。子どもにとって家庭とは一体何だろう。ひと月ふた月に一度程度の手抜きなら理解もできるが、毎日が外食なら繁盛するのも当然と思える。》

 子どもは遊び、親はゆっくり食事を楽しめる「親子カフェ」「キッズカフェ」と呼ばれるレストランが急増している。安心な食材を使い、遊び場や玩具、絵本で子どもを飽きさせない工夫が、親たちの心を掴んでいるようだ、という。

 東京都大田区の「スキップキッズ」雪谷店。母親と入店した5歳前後の子どもたちは、注文が済むや店内の遊具に群れ集まる。ポールプール、ジャングルジム、2,3歳の子どもたちは買い物ごっこや料理の真似ごと。
 
 2歳の娘を連れ、ママ友ときた女性(33)は「普通のレストランに行っても、親は交代で子守り、冷め切ったご飯しか食べられない。ここでは親も子もゆっくりできるのが嬉しい」と話す。また、幼稚園の母親仲間と訪れた女性(44)はワインを注文。「子どもを預けて飲み会に行くのは難しい。ここはお酒を飲む人も結構いて、気兼ねなく楽しめる」とグラスを傾けていた。

《日中の話なのか、夕刻、夜なのか、分からない。まさか日中から子ども連れで飲む酒ではあるまい。夕方か夜なら幼稚園児や乳幼児に必要な睡眠時間をどのように考えているのだろう。これが毎日ではないだろうが、これで子育てが大変、とは言えないだろう。》

 親子カフェの先駆けといわれるスキップキッズは04年、江戸川区で開業。「乳幼児が思い切り遊べるスペースとその周りで食事ができるスペースが一つになったジャフぇ」を謳う。配膳カウンターを高さ116センチと子どもの手の届かない所にしたり、店内の扉は中心をくりぬいた漢音開きにするなど、子連れ客の安心のため、店内構造や接客に200のルールを設けているという。

 店内では、窯焼きピザや生めんのパスタを提供する。食事代のほか、1〜6歳の子どものみ、利用料として1時間350円、以後30分ごとに150円かかる(食事メニューを注文した子どもは1時間無料)。口コミで人気が集まり、開店4日目から入店待ちの行列ができるほど、都内に四つのチェーン店を開き、後続の業者も時間課金制の営業モデルを取り入れている。各地の親子カフェ情報をネット上で提供する「スマイリーマム」は、10都府県の約60店を掲載中。出店は地方にも急速に広がっているという。

《儲かればそれで良いカフェの料理はピザやパスタだ。そうでなければ回転寿しが今時の乳幼児から子ども向けの食事のメニューなのか。国は食育を叫ぶが、ご飯にみそ汁、漬け物を子どもに食べさせる親は、都会の日本の家庭からは消えたようだ。》

 一方、おふくろの味を心掛けている東京都目黒区の「いいカフェ自由が丘aikata」(アイカタ)は、ブティックの並ぶ駅前商店街にほど近く、隣には保育所を併設、保育所の調理師がシェフを兼ね、日替わりランチは園児の昼食と一緒というユニークなカフェだ(目黒区は自治体として親子カフェを応援し、(アイカタ)は子育てカフェ指定第1号店)。

 取材日のランチは春巻きに五目きんぴら、小松菜と豆もやしのおひたし、きのこと豆腐のみそ汁に白飯。親子が一緒に食事を楽しめる店を目指す。

《本当なら、母親が手作りをしてやるのが一番だが、ピザやパスタよりは余程いい。》
 
 「常連」という40歳の主婦は「献立も店の雰囲気も家庭的で安心。ここは自分もほっこりできる場所」と微笑んだ。2歳の長女と訪れた主婦(41)は「レストランで『動いちゃ駄目、騒いじゃ駄目』と言われるのは子どもも疲れる。ここでは少し動けるスペースがあるだけで、むしろ騒がない」と目を見張る。

《世代の違いなのか「ほっこり」の感情がわからない。それにしても、昔はどこの家庭にもあった「おふくろの味」を死語にする「親子カフェ」に対する認識は、「親子カフェとは」を書いた4年前と何も変わらない。》

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2011年2月 5日 (土)

フェースブックって

 毎日新聞(2/5)から、
 《80歳近くなってくると、新しいカタカナことばを理解するには結構骨が折れる。ましてブログにどっぷりの現在、それ以外のものを使いこなすことなど到底無理な話だが、評判のフェースブックだ、知って置くだけでも悪いことじゃないだろう。》

 エジプトの反体制運動の参加者が「フェースブック」で連絡を取り合っていたそうだ。フェースブックはソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)と呼ばれる会員制の交流サイトだ。実名や顔写真、プロフィルを書き込むことで、知り合いは勿論、同じテーマに関心を持つ会員を簡単に探すことができる。お互いの了解があれば「友だち」に要録でき、相手の掲載した近況報告や、写真、動画を見られるようになる。友だちの載せた情報にコメントできるほか、「いいね!」ボタンを押して手軽に共感を伝えられるのも特徴だ。チュニジア、エジプトでは、簡易ブログ「ツイッター」とフェースブックを通じて、政権打倒を訴えるメッセージが瞬く間に広がった

 Q だれが作ったのか

 A 米ハーバード大生だったマーク・ザッカーバーグ(26)が04年2月4日、同大の学生名鑑を学内限定サイトに掲載したのが始まりだ。その後、コロンビア大、エール大などの名門大や有力企業などに対象を広げ、06年9月、一般ユーザーに公開した。利用者の増加とともに広告収入も急増し、10年の売上高は前年比倍増以上の20億ドル(約1630億円)に達する見通しだ。ザッカーバーグは米紙「フォーブス」の10年版長者番付でアップル最高経営責任者(CEO)スティーブ・ジョブズを上回る35位に入った。

 Q なぜぞれほどの人気なんだろう

 A 実名制なので情報の信頼性が高く、人脈作りにも直結することが理由とみられている。登録情報に基づき「知り合いかもしれない」人の名前と写真を表示してくれるので音信不通になった旧友と再び連絡を取り合うきっかけになることも評価されている。

Facebook_2 Q 日本でも普及しているか?

 A 利用者は200万〜300万人といわれる。国内SNS最大手のミクシィの会員数が約2200万人だから、浸透しているとはいえない。実名をネットに登録することへの抵抗が根強いことも、ニックネームで登録できるミクシィに水をあけられている一因のようだ。一方、就職活動中の大学生がフェースブックで志望企業に勤める卒業生を捜し、訪問するという使い方もされている。若い世代を中心に、日本でも広がる可能性はあるだろう。

《魚心有れば水心のような心理でSNSを利用し、匿名でなければものもいえなくて、一種犯罪の温床にもなるような使われ方の日本では、いっときの学生運動や、労働運動が起きた時代の社会的背景は乏しく、日本の若者たちが実名を登録してまで活発な連帯を必要とはしていないだろう。》

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2011年2月 4日 (金)

IPアドレス枯渇

 毎日新聞(2/4)から、
 インターネット上の「住所」を示すIPアドレスの国債管理団体ICANN(アイキャン)は3日、現行のアドレスの最終在庫を世界の5地域管理団体に分配し、中央分の在庫がなくなったと発表した。これに伴って、日本が所属するアジア太平洋地域の在庫は5〜8月に切れる見通しになった。

 【IPアドレス】
 インターネットに接続するパソコンや携帯電話などを機器ごとに識別する番号。管理団体から配分されたアドレスを、ネット接続業者が利用者に割り振る。現行の「IPv4」は、米国の政府機関向けに1981年に規格化された。0から255までの数字4組で表し、約43億個ある。次世代の「IPv6」は340兆個の1兆倍のさらに1兆倍あり、枯渇の恐れは事実上なくなる。

 アドレスの在庫が完全に枯渇しても、現行のアドレスはそのまま使え、既存の機器が直ちにネットにつながらなくなる恐れはないが、管理団体は、アドレス数が桁違いに多い次世代規格「IPv6」への移行を呼び掛けている。

 日本国内の接続事業者などは新規アドレスが取得できなくなるのを避けるため、既にIPv6への移行などに着手。総務省は利用者にとって大きな混乱は起きないとみている。

 IPアドレスの在庫がなくなったのは、中国など新興国の経済成長や、ネット対応の携帯電話の普及によって世界のネット利用者が急増したことが原因。

《19世紀初め、世界人口は10億人だった。それが2010年には約69億人(2010年版「世界人口白書」)だ。それにしても43億個という数字がいかに小さいものであるかが改めて理解できる。》

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2011年2月 3日 (木)

「仕事と生活の調和」の行動計画策定を義務付け

 毎日新聞(1/31)から、
 「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス・WLB)」の行動計画
 05年4月に全面施行した次世代育成支援対策推進法(次世代法)に基づき、現在301人以上の社員を雇用する会社は、仕事と子育ての両立を目指す行動計画策定が義務付けられている。101人以上300人以下の会社は現在は努力義務だが、今年4月からは義務化される。各企業は例えば14年までに、父親の休暇取得を推進するなど具体的な計画を策定して社員に通知、公表しなければならない。労働局にも提出しなければならないが、罰則規定はない。
 
 Mlb 食品包装資材メーカー、吉村紙業(東京都品川区)は05年から、WLBを推進イSている。従業員は約220人。次世代法が今年4月から300人以下の中小企業にも適用され、労働時間短縮など行動計画の策定が義務付けられる。

 中小企業は大企業に比べ労働時間が比較的長く、担当業務も固定されがちだ。人数に余裕がないため、出産や結婚などで社員が一人でも欠けると仕事が回らなくなるケースも多い。同社でも、出産などで退職する社員が目立った。「仕事の中心になるべき優秀な人材を育てても辞めていった」と橋本久美子社長は振り返る。そこで、社員の意識改革に乗り出した。

《社員220人もいれば、同じ中小企業とはいえ50人100人の企業に比べれば大企業だ。行動指針の策定などちょっと工夫すれば可能だろう。50人程度の会社では、社員は単一作業をやっていれば済むような単純な職場ではない。一人が複合的に動き回らなければ一つのものでも完成させることなどできないのだ。記事のような担当業務に固定されがちなのは、仕事が細分化される大企業ほど存在する。複合業務を持つ中小企業の社員には、記事にあるように簡単に休暇など取れるものではない。いずれ策定が義務となれば、机上の計画書を作ることになるだろうが、実践することは難しかろう。》

 まず、社員の労働時間を調べると、一部の社員に極端な負担がかかっていたことが判明。これを是正するため、班分けして仕事を分担した。専門部署も設け、問題が浮上する度に協議、新制度の導入につながった。例えば、出産で一度退職した社員を再雇用する「もどっておいで(MO)制度」や、つわりがひどい時に有給で休暇を取れる「つわり休暇制度」を導入した。社内報では、部署ごとに業務の忙しさを公開して全社員が共有し、「社員の士気や生産性も上昇」。リーマン・ショックの影響もうけず、5年前と比較して売上高は一割の増となった。

 日本経団連は、経営労働政策委員会報告で、「働きがいの向上で生活全般の満足度が高まり、新しい発想や視点を持つ契機となりうる」とWLBの推進を求めている。だが、中小企業の取り組みは一部にとどまっている。

《中小企業の遅れは、理屈では分かっていても、手が付けられない現実があるのだ。》

 WLB実現のため実施している施策を聞いた昨年の調査では、介護のための短時間勤務制度を導入しているのは、社員数500人以上の企業で78・8%に上ったのに対し、500人未満では51・2%。中小が出遅れている。

《大企業の人数のだぶついている(としかみえない)現場では、短時間勤務が作業の進行に与える影響は、極めて小さくて済むが、やりくりで現場が動いている中小企業では、時短など夢でしかない。「出遅れている」とは勝手に過ぎる表現だ。》

 また、厚生労働省によると、行動計画の提出状況は昨年9月時点で、300人超の企業が91・4%だったのに対し、300人以下は10・9%。「中小は代替要員も少なく、法律で義務化された育児休暇の取得さえままならない企業も少なくない」(職業家庭両立課)ためだ。

《WLB、厚労省、とデータの出どころに違いはあるが、「中小」を片や500人、片や300人として比較に恣意的な曖昧さを見せる。》

 東レ経営研究所の渥美研究部長は「中小の要員不足の問題は深刻だが、複数の仕事をこなせる多能職の人材を増やせば対応できる。WLBの導入で労働と生活の質が高まり、業績を急回復させる企業も多い」と強調する。経営者が従来の発想を思い切って転換できるかが浸透の鍵になりそうだ。

《経営が厳しくなって人員整理が可能だということは、多少であれ、大企業は過剰人員を抱えていることの証左でもある。だが、中小の社員は今でも複合的な仕事をしているのが大半だ。それに多能職の人材を増やして業績を回復させた多くの企業とはどこだろうか。また、そこに「転換するだけの知恵が回らなかった中小の経営者」とは思い切った指摘だ。 私には、記事を書いた宮崎泰宏より、中小経営者は数段社員の多能職化には努力してきていると思うのだが。》

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