文部科学省の「短期滞在」型 留学制度(案)
毎日新聞(9/14)専門編集委員・玉木研二『火論』から、
しぼむ海外留学人気回復の呼び水に、文部科学省は「短期滞在」制度を来年度から始めたいという。案では、2週間から3カ月の短期に滞在費、航空運賃の支援をする、という。
意見は分かれる。「そんな甘えに税金を使われてたまるか」と言う人もあれば「昨今の若者の『内向き志向』転換のきっかけに大いに投資を」という賛成論もある。
だが、コトはもう少し深刻に考えた方がいい。
海外留学の減少の背景はこう言われている。不景気。就職活動の機会が限られて不利。海外情報などはネットで入手でき、渡航は不要、…………。
要は出不精で「外国の大学は指導も勉強も厳しいらしいから」という敬遠理由もある。これは論外だが、有史以来日本は若者たちが命がけで海外に渡って、新しいものを持ち帰って植え育てた。
東シナ海に多くの命をのまれながら留学生や留学層が文化、技術、政治制度まで母国に移入した古代。井上靖の小説「天平の甍」は、名が記録に残る8世紀の遣唐使で渡海した若じゅ僧らを登場させ、苦闘と葛藤を描いた。
大正末・昭和初めに青春期を過ごした井上やその世代の心情が投影したものだろう。井上は留学はしていないが、学生たちが持った探求心、知的好奇心に変わりはない。
「知るべきことはいっぱいある。読まなければならないものも山ほどある。何もかもこの目で見、この耳で聞く。広い唐土の全部から俺は吸収すべきものは吸収してしまう」。作者は激浪の船中で僧の一人にこう言わせている。
一方で孤独と懐疑との戦いだ。自分は能力があるか。身の栄達か社会の底辺に立つ説法の道か——。そんな苦悩も、時代を超えて向学の若者たちをとらえてきた。そして今、海外留学の熱意の低下の背景に、こうした情熱や気概、渇望感の翳りを心配するのは少々うがち過ぎだろうか。
《ここまで目を通してきて、若者の気概と呼ばれるものには昔日の感がある。しかし、それを玉木のように、鎖国で海外のことを全く知り得なかった時代の若者と、部屋の中に居ながらにしてキーを叩いておれば世界のことがある程度は知るこことができる現代の若者とを比較するのは無謀といえるのではないか。時代をもう少し近づけて、精々100年ほどの昔、努力すれば立身出世が可能であった産業発展期のころの若者には、学問に頼らなくても知恵と体を動かすことで人の上に立つことが可能な道はいくらでもあった。知識は後からつけて膨らませることで間に合った。》
《しかし、それでもなお、時代は不景気といいながら、知る限りにおける現代の若者たちの無気力ぶりでは文科省の考えは、税金の無駄遣いとしかいいようがない。たった2週間から3カ月では物見遊山以上の収穫を期待することは無理だ。男性の育児休業と同じことで、骨休め程度の収穫で終わるだろう。まして自らの強い向学心や、知識欲でもない限り、得るものはなく、反対に国民の血税の浪費で終わる公算が大だ。》
かつて沖縄に「金門クラブ」があった。本土復帰前、選ばれて米国留学した人々の親睦会である。「米留組」と呼ばれ、冷視もあったが戦後沖縄社会の要職に就いた。
船旅でサンフランシスコに入港する時の感慨をクラブ名にこめた。感慨は「勉強ができるよいう喜びだった」と後に元留学生は語っている。未知の世界がそこにあった。元県知事の大田昌秀さんもその一人である。基地問題で米国側へのストレートな主張やワシントンへ直接乗り込む積極性は、留学の体験が生きているといわれた。未知の世界に学び、社会に生かす喜び。「使命感」とは言わない。若者たちよ一歩前へ、である。
参照 「出世したい」日米中韓高校生比較 07/04
新入社員「役職興味なし」 10/03
《高校生、新入社員ともに覇気のないこと著しい。『内向き志向』からの脱却が玉木の願うように、短期留学で身につくきっかけになるものだろうか。やってみなければ分からないことではあるが。》
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