空襲被害者が全国組織
毎日新聞(8/15、16)から、
65回目の終戦記念日となる15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれ、天皇,皇后両陛下や遺族ら約6000人が参列、全国で約310万人の戦没者の冥福を祈った。
一方、前日の14日、空襲を受けた東京や大阪など約25都市の被害者らでつくる全国組織「全国空襲被害者連絡協議会」が発足し、東京都台東区で結成集会が開かれた。各地の遺族会など約20団体が参加し、被害を補償する「空襲被害者等援護法」の制定や被害実態調査の実施を政府や国会議員に働きかけていく。戦時中、全国100以上の都市が米軍の空襲を受け、死者は原爆を含み50万人を超えるとされている。
協議会に参加を表明したのは、東京や大阪のほか、青森、横浜、名古屋,岡山、高知、長崎・佐世保、沖縄などの遺族会や市民団体。和歌山や山口などからは約10人が個人参加した。
この日、集会には計約300人が出席。共同代表5人の一人で、国に損害賠償と謝罪を求める東京大空襲訴訟の弁護団長、中山武敏(66)が「軍人・軍属は救済される一方、民間の空襲被害者を救済する制度はなく、苦しみは今も続く。救済法を実現する必要性をそれぞれが訴えてほしい」と挨拶した。
名古屋空襲で左目を失った全国戦災負傷者連絡会長の杉山千佐子(94)は「40年前から救済法制定を国会に訴えてきたが、叶わなかった。今はほとんど寝たきりだが、法制化されるまで死ねない」と訴えた。
《無差別、非人道的と人類初という話題性の高い原子爆弾による被災者には、「原爆病」として手厚い救済がされているが、空襲とて無差別爆撃という非人道的行為による被災者であることに何ら違いはない。飛行機からの機銃掃射や焼夷弾であろうと、或いは爆弾であろうと、原子爆弾だろうと戦争による被害者であることに違いはない。木造家屋は火がつけばよく燃えるから、と爆撃による延焼を防ぐため、立派に建っている家まで次々に壊されるのを見ているほかなく、爆撃により2重に被害を被った人たちも多くいるのだ。》
空襲の経験はないが、昨年11月に戦争証言集「千葉市大空襲とアジア・太平洋戦争*の記録 100人の証言」を出版した元千葉県職員、伊藤章夫(68)も運営委員として参加。「早速地元の市民に協力を訴え、救済法制定への署名活動を進めたい」と話していた。
* ‥ 従来、「大東亜戦争」や「太平洋戦争」の名で使われていた呼称が、広い範囲をさす「アジア・太平洋戦争」の名で使用されることが定着しつつあるように聞く。
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