育児放棄死
毎日新聞(8/3)「社説」から、要約と、《 》内は私見。
「ママー、ママー」と泣き叫ぶ声が昼夜を問わず漏れたという。大阪市西区で3歳と1歳の子が裸で寄り添うように死んでいるのが見つかった。3〜4カ月前から近所の住人はその声を聞いていた。冷蔵庫には飲み物もなく、死亡する数日前から何も食べていなかったらしい。風俗店に勤めていた母親(23)は友人宅を転々としていたという。
《子ども2人を引き取り、大阪に出、今年1月、市内ミナミの風俗店で働くようになった前後から、ホストクラブに通い始め複数のホストと交際していたという。死体遺棄容疑で逮捕された母親(下村早苗容疑者、2006年12月結婚〜09年5月離婚)は、大阪府警の取り調べに「ホストクラブで遊ぶのが楽しくて育児が面倒になった。もっと遊びたくて家を出た」と供述している。》
母親の無責任さにはあぜんとするばかりだが、児童相談所は3回通報を受け、5回訪問していた。だが、いずれも呼び鈴に応答がなく、連絡先を書いた不在表を置いて帰ったという。扉の向こう側で2人の子どもが衰弱していたのにである。
《31日、大阪府警の現場検証では、部屋に閉じ込めた子どもたちが出られないように、部屋のドアの縁には粘着テープが貼られた跡があったという。また、テレビでは外から部屋のベランダ部分を撮影しているが、足の踏み場もないほどのゴミが散乱している様子が写し出されている。》
救えた命だったのではないか。次号虐待防止法が10年前にできてから現場の児童福祉司は増員を続け、序同相談所の権限も強化されてきた。しかし、相談件数はそれ以上に増え、難しいケースには複数の職員が24時間の対応を求められるようになった。体制整備が追いつかないのだ。むしろ、体制が弱いまま、権限と責任を委ねても事務量が多くなるばかりで、現場が十分機能できない状況を生み出しているのかもしれない。
07年に児童相談所運営指針が改正され、虐待を疑われる通告には48時以内に目視による安全確認をすることが義務づけられた。迅速な対応を促すためだが、事案の内容を分析する余裕がなく形式的な家庭訪問にとどまっているケースが多いといわれる。07年の児童虐待防止法改正では、児童相談所に強制立ち入り調査(臨検)の権限が付与された。しかし、09年度の相談件数は過去最多の4万4210件に上ったが、臨検はわずか1件だった。親が出頭や任意の立ち入り調査を繰り返し拒否した場合にのみ認められ、親子の氏名や生年月日を記して裁判所に申し立てなければならないからだ。
親子関係の修復が児童虐待対策の最終的な目標とよくいわれるが、困難なケースでも修復に執着するあまり踏み込みが甘くなっている面はないだろうか。制度だけでなく、現場職員の力量を高め、生きた活動を促す研究や取り組みがもっと必要だ。
《作文ではなく、「甘くなっている面」「制度」「現場の力量」「生きた活動」とはそれぞれ、具体的に何がどのように甘く、不足し、足りないのか、どうすれば力量が高められるのか、書くのもジャーナリズムの責任だろう。》
「育児が嫌になった。子どもなんかいなければいいと思うようになった」。2児を部屋に置き去りにした母親はそう供述したという。貧困や孤立と並んで親の未成熟が虐待の主要因に挙げられる。かつては未成熟な親をバックアップする親族や地域社会が存在したが、それらが希薄化している今、里親やファミリーホームなどを整備し、未成熟な親に代わって虐待された子を育てられる場を充実させることが必要だ。民主党政権のいう「社会全体で子どもを育てる」とはそういう意味ではないか。
《「子どもは国の宝」「子に罪はない」とはいえ、己が遊ぶために虐待し、見捨てた母親の子どもまでは、拾い上げ育てる博愛精神も義理も勇気もない。だからこそ、一層可哀そうだが、こんな母親の子に生まれた運命を恨み、成仏するしかないだろう。》
《ここ数日、国や自治体がざわめき始めた100歳を過ぎた老婆、老爺の生きているのか死んだのかも分からないような、崩壊を続ける現在の家族制度の方が、もっと日本の国の将来に暗い影を投げかけているような気がする。》
| 固定リンク
最近のコメント