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2010年5月27日 (木)

私たちは「鳩山」を嗤えるのか?

 27日、鳩山総理が全国知事会議に出席して、米軍基地の沖縄からの分散受け入れを探った。これ以上の重大テーマはないはずだが、計18名もの知事が欠席した。宮崎県の東国原知事は喫緊の口蹄疫対策で離れられないのを差し引いても、他は一様に「もの言えば唇寒し」、か「触らぬ神に祟りなし」、を決め込んだ。出席した知事の中ではただ1人、大阪府知事橋下氏だけは「大阪や関西は、沖縄や他の基地のある県の安全に『タダ乗り』で生活している。国から提案があれば出来る限りのことはしたい」旨のことを表明した。会議のあと、橋下知事は「もう、知事会は駄目だね。誰でも言えることしか言わないんだもの。責任ある発言がないんだから」と漏らした。

 また、毎日新聞記者・古賀 攻(政治部)は26日の「記者の目」で次のように大上段から鉄槌を下すがごとき記事を書いた。『普天間問題について、鳩山首相は「政府案発表と同時に辞任せよ」と。本来その地位の人物に備わるべき威厳と、現実とのアンバランスがこれほど拡大した例があっただろうか。「最低でも県外」の公約実現に「命がけで」「職を賭す」はずの鳩山由紀夫首相が、「やっぱり県内」にひょいと乗り移って、「沖縄の理解を得たい」という。もはや国民の代表を名乗る資格はない。(後略)

 《以上をふまえて、同紙5月12日の標題の次の長文の寄稿⦅北海道大教授、国境研究=岩下明裕⦆を読んでほしい。》

 このところ、テレビや新聞で沖縄・米軍普天間基地問題の混迷をめぐるニュースを見ない日はない。そして、連日、識者や市民の誰もが鳩山由紀夫首相の「無責任」と存在の「軽さ」を批判する。沖縄、徳之島、いや日本中の「民意」が鳩山首相に怒りをぶつけ、一刻も早く退陣してほしいと願っている。だが、鳩山首相の「不手際」や「迷走」のみを取り上げて問題が解決するのだろうか?

《これまで私は新政権誕生について前の“ばかなるもの”の小泉、福田、安倍や麻生らの時のように、慌てて取り上げなかった。それまでのどうにもならない連中らになかった、何かを期待する多少の新鮮さを期待したからだった。前のどうにもならなかった連中の落として行ったクソの後片付けをするのが大変なことがわかっていたからだ。》

 私は北海道で内外の国境地域の問題を分析することを生業(なりわい)としており、ニュースを見ながら、北方領土のことを思い浮かべた。内地に住む方々は驚かれるかもしれないが、両者には共通点がある。第1に、どちらもあなたにとっては人ごとだ。「根室も沖縄も大変ですな」。現地の実態を知らないばかりか、日頃は関心さえない。第2に、どちらも第二次大戦の敗戦プロセスで「捨て石」とされ、ソ連と米国という違いはあるが、長期にわたって外国の占領を経験していることだ。

 違いはある。戦後、ソ連は住民たちを放逐し島に居座ったが、米国は住民たちに基地を残すも島を返した。北の国境の争点は、島の返還に絞られ、政府はこれを国家的な課題とするものの、地域と元島民以外の関心を持続するのが困難になりつつある。対照的に、南の国境は、日米安保の深化とともに、同盟の負担を一手に引き受けた。普段は忘れられていても、一度、基地問題が激化すれば、内地のメディアも注目せざるを得ない。

 島は動かないが、基地や人は動かせる。海兵隊のケースでいえば、もともと朝鮮半島有事をにらみ岐阜と山梨にいたのであり、1956年に沖縄にやってきた。背景には砂川など反米軍基地運動の高揚がある。いわば、統治下で使い勝手のいい沖縄へと後から移転した。沖縄の「民意」など問われることもなく。

 沖縄の基地の内地移転、これは自民党政権が長年にわたって忌避してきた選択肢ではないかと私は考え始めている。90年代半ばに普天間基地移転が争点となり、ときの政府は苦労してこれを辺野古(沖縄)に押し込めたが、民主党が総選挙の争点に基地の県外移転を掲げ勝利したことで、これまでのタブーが明るみに出た。内地にとって、対岸の火事が人ごとではなくなり始めた。

 実は、屋良朝博著『砂上の同盟』(沖縄タイムス社)が明らかにしたように、海兵隊を戦闘地域や訓練地へ運ぶ艦船が佐世保にあるにもかかわらず、実戦部隊が沖縄にいる理由をきちんと説明できる人は、米軍関係者も含めてほとんどいない。「鳩山バッシング」には、自らが基地を引き受けるのはまっぴら、いままでのように沖縄にいてほしいという内地の本音が透けて見える。基地が来る可能性のある自治体は息をひそめて嵐が去るのを待っているのだろう。「うちでなくてよかった。徳之島にはお気の毒」と。

《今日の全国知事会議の欠席者の多さを見ても、会議には出ても殆どの知事は口をつぐみ、口を開いた知事たちの発言(基地に発生する不祥事をいう大分県知事、領土問題をいう東京都知事、すでに受け入れていることをいう石川県知事ら、普天間についている火の粉を全国に分散させる気か、をいう千葉県知事)を聞いても岩下のいうことの道理がわかろうというものだ。》

 自分たちの身近に基地などいらない。「善良な市民」だれもの願いだ。ではすべての市民が基地は要らない「民意」を示したらどうなるか? もし「思いやり予算」など政府の手厚いサポートがなくなれば、米軍は、私たちが想像するより、はるかに簡単に日本から出て行くように思う。すると道は二つ。(核武装も含めた)防衛増強か、隣国との協調による「軽武装」か。前者には憲法改正を含めた高いハードルがあり、後者は理想的だが、力の信奉者たる中国や北朝鮮がその立場を変えない限り、「善良な市民」の平和は風前の灯となりかねない。どちらもいやなら、日米安保の維持か。では沖縄によろしく。

 私たちは、人ごとのように「鳩山」を嗤(わら)っている。同盟と沖縄にどう向き合うのか、戦後日本の平和の「軽さ」が問われているのに。

 《平和ぼけしている日本人へ警鐘を鳴らす一文だ。》

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