子守唄の聞こえる街に
毎日新聞(4/4)から、要約と《 》内は私見。
母に抱かれ、聞いた子守歌。-- 耳に心地よい詞とメロディーに、温もりや優しさ、そして切なさがある。この子守唄がいつしか消えて行った。一方で、家庭内暴力、児童虐待が増えている。子守唄を再生することで虐待を防止しようと活動してきたNPO法人「日本子守唄協会」(東京都台東区)が10周年を迎えた。(記事:小川節子)
《記者も書くように、子守唄には温もりと同時に切なさも含んでいる。これは次の「参照」で照会する子守りを職業とする幼い少女たちの悲しい労働歌でもあるからだ。貧しい家庭に生まれ、他家の金持ちの家に住み込んで赤児の子守りに従事する。優しい雇い主ばかりではない、また、おとなしい赤児ばかりではない、暖かい日もあるが、雨や雪、嵐の日もある、そのような毎日の子守りに、泣きじゃくる背中の赤児がうとましくて、厳しい雇い主に反抗するように、あやす代わりに赤児を抓ったりしてみる。現在の母親がしているような捨てたり、殺したりはできなないが、あやし可愛がるだけではない裏の面を歌った歌詞も多い。協会が子守唄を再生するというが、温もりや優しさの面だけを強調することは、子守唄の本質を隠すことになろう。世の中に数ある子守唄を口にすれば、必ず負の面に触れる歌詞のあることに気づくことになる。協会はそれには触れないのだろうか。》
参照: 壱岐で子守唄フォーラム 07/05
協会は、児童虐待防止法が施行された2000年に、プロデューサーの西舘好子(69)が設立した。当時、2歳の短い命を親に絶たれた事件の取材をしていた。捜査した刑事が洩らした。「まだ、子守唄を聞いていた年だったのに」。その言葉が胸に刺さった。
「母や祖母が歌ってくれた子守唄を思い出しまました。テレビやビデオで子どもをあやすことが多くなったが、あの唄はどこに行ってしまったのか」
《現在の若い世代(今まさに母親である世代も含めて)、耳のそこに響く子守唄を歌って聞かせてくれた母親の声をしまい込んでいる人は少ないだろう。当然、歌える子守唄も殆どないだろう。》
全国各地を訪ね、唄を収集した西舘は「母親の数だけ子守唄はあった」と言う。「子守唄は母親が自分の思いを単調なリズムにのせ即興で歌うもの」。正式な譜面も歌詞もない。「寒くて寒くていやだ」「もう、うちの父ちゃん大嫌い」「お日様ぽかぽかあったかい」。そんな暮らしの呟きが歌詞になる。季節の移ろい、愚痴、喜怒哀楽まで盛り込み、子どもの耳元で繰り返し歌ってほしいという。
《ここで「うちの父ちゃん大嫌い」をなぜ喜怒哀楽の一つとして活字化する必要があるのか。赤児で何も理解できないうちから性差を刷り込み、叩き込もうとしたいのか。女性の側の変な深層心理が窺える。》
協会理事長の西舘の呼びかけに、医師、音楽家、詩人、教育関係者など40人が賛同し活動を支えている。その1人、小児科医の小林登・東大名誉教授によると、赤ちゃんの脳は母親の子守唄に反応し安心して眠りにつくという。「親子の温もり、情愛を育てるためにも必要不可欠で、親子関係の安心感、信頼感にもつながる」と。
(中略)育児に悩む親からの相談も多いという。「わが子を可愛いと思えない」「子どもと一緒に寝たくない」「あまりに泣き止まないので、手を上げそうになる」など。西舘は、「孤独な母親は数多い。子育ての方法も伝承されず、子どもを人形のように扱う人も目につく」と指摘する。
《核家族化は経験や慣習、長老の知恵の伝承を絶ってしまった。子育てや子育てに伴う生活の知恵も身につかなくなった。子どもを作ることだけは知っているが、作る前に知っておかなければならない親になる心構えは学んでもいない。犬や猿でもできる最低限の子育てもできなくなっている。》
また児童相談所に寄せられた児童虐待の08年度の相談件数は4万2000件を超え、10年で6倍に増え阿多。氷山の一角で、この10倍以上はいるだろうと推測する。「社会全体が優しくならないと虐待はなくならない。家の中から街角から子守唄が聞こえるようになったら虐待は少なくなるのでは」と語った。
《ここでも悪いのは「社会全体」と言いたいようだが、1番によくならなければならないのは子どもを産んだ母親であり父親だ。周りが悪いとするのは責任転嫁でしかない。それこそ、こんな考えでは虐待はなくなりっこない。》
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