女子プロ野球
今から60年前の今日(1950年3月2日)、日本に女子野球が誕生し「日本女子野球連盟」のもとで4チームによるスタートが切られ、4月10日に後楽園球場(当時)で試合が行われた。直後から参加チームが増え瞬く間に25にまで膨らんだが、資金難から2年後には消滅して行った。時は敗戦後5年が経過しただけで、鬼畜米英から解放された後、振って湧いたように与えられた民主主義とは「好き勝手」ができる世の中、とでも言わんばかりに娯楽もないままに若者の乱脈ぶり(何時の世にもある『今時の若者は』だ)が目立つ時代だった。また、この年は朝鮮戦争の勃発もあり、東西陣営の対立の中で日本の産業界は軍需景気で盛り返し、神武景気の到来を招く切っ掛けともなった。
遡る敗戦の1945年、敗戦で抑圧された軛(くびき)から解放されたように、女性の活動が目立ち、12月27日、改正衆議院選挙法公布によりそれまでなかった女性の国政への参加が認められ、翌1946年4月10日の戦後初の衆議院選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生している。続いて5月16日の第90特別議会での審議を経て、10月7日憲法改正法案が成立し、11月3日、日本国憲法公布となり、翌1947年5月3日施行された。
昨年8月、「日本女子プロ野球機構」⦅片桐諭代表⦆が発足。秋には入団テスト(トライアウト)に129人が参加し、30人が合格。京都市、神戸市が本境地の2球団で4月には開幕することになる。これまで男に混じってプレーしようとした女性もいたが所詮不可能なこと、それほど硬式野球がしたいのなら、試合もできる女子だけのプロ野球チームをつくればいい、と言ってきたが、どうやら現実となったようだ。
毎日新聞(2/19)から、
日本女子プロ野球機構のスーパーバイザーに就任した太田氏にその将来像を尋ねた。
♢ 昨年8月就任した理由は
♦ 片桐代表らの話しを聞き、商売の手段としてではなく、女子野球を盛り上げたいという思いが伝わってきた。女子の硬式野球は、やりたくても環境がない。ならば、普通は土台から作っていこうとするが、今回のプロジェクトは逆転の発想というか、まず限られた環境でプレーしている子たちの目標を作ろうと。女子硬式野球の競技人口は約600人といわれていますが、その子たちに道を作ってあげる。やりがいのある仕事だと思った。環境が整えば競技人口は間違いなく増える。先日のイベントには、軟式野球をやっている小学校6年生の女の子とお母さんが来て、「プロになりたい。絶対硬式やるから」ってポロポロと泣いて喜んでくれた。 そういう人たちに光を当てたい。
《ずいぶんと感傷的で浪花節調だが成功させてほしいものだ。》
♢ 男子の独立リーグは、関西リーグが創設1年目から経営難に陥るなど厳しい状態が続いている
♦ 不安も確かにある。最初の1,2年は、女子野球にどれほどの広告宣伝効果があるのかわからないから、健康食品の「わかさ生活」が全面的に支えてくれる。しかし、ずっとおんぶに抱っこではいけない。まず初年度は認知してもらうことに全力を挙げたい。一度でも球場に足を運んでもらえれば感じてもらえるものがあると確信している。そして、3年後ぐらいには各チームにスポンサーがつくような形になって、チームが増える方向に持って行きたいと考えている。このプトジェクとは継続が一番の課題。だから、最初から派手にお金を使うのではなく、まずは地道に土台を作りながら進めたい。各チームの選手を15人と少数にしたのも、その思いから。しっかり続けることによって、下のレベルが続いてくると思うので、出足は慎重だと思う。
《60年前も観客は男性が8割以上を占めていた。物珍しさがあってのことだっただけに、最初は気をひいたが、男のプロ野球の動きの激しさに比べると見劣りしたことと、増え過ぎたチームを支えるには資金が不足し、2年で消えた。アメリカでも第2次大戦中、大リーガーたちの参戦で活気をなくしたプロ野球に代わり、娯楽を絶やすまいと女子プロ野球を立ち上げて人気を浚ったが、終戦とともに復員してきた大リーガーたちの復帰とともに次第に凋落の道を辿った。その後再び再結成されたがこれも長く続かなかった。日本の60年後の再結成を成功させるためには何をしなければならないかを考えると、気苦労は絶えないだろう。》
♢ 女子野球にかかわるようになって感じたことは
♦ 自分の小さい頃を振り返った時、「よくあんなに一生懸命に野球をやれたな」という思いがある。彼女たちのプレーにも、その頃の熱い気持ちを感じた。環境に恵まれている男子より、ハングリー精神は彼女たちの方が持っているかもしれない、男子に比べればパワーも技術も足りないだろうけれど、全く別の野球として見てもらえれば、いろんなファン層を獲得できると思う。今は、「女子が硬式野球をやるの?」という目が大半でしょうが、だからこそ可能性は無限大だと思う。
♢ 1期生30人、2チームの選手に求めたいことは
♦ 選手には「君たちは女子野球を世間に広げる伝道師の役割を果たすんだ」と言っている。世界を経験している選手から、硬式どころか野球をしたことがない選手もいる。現状のトップクラスではないのが事実だが、プロとしてじっくり鍛えれば飛躍的に体力も技術も伸び、数年で名実ともにトップレベルに建てるのは間違いない。
《なんだか楽観的に過ぎないか、名実ともにトップレベルはいいが、どこの誰と比べてのレベルのことだろうか。皮肉に言えば、誰もやっていない上のいない現在、処女地を切り開くに似て、早い者勝ちのすでにレベルはトップにいることになる。》
その一方で、彼女たちには柔道整復師の資格を取る学校に通うことも義務づけている。将来、現役を退いても全国に散らばって、コーチや監督になって女子野球を広めて行く立場になってほしいという思いがあればこそだ。選手は大変だと思うが、そういう役割も担ってもらいたい。
《現役を退いた後の再出発は、現在のプロ野球の選手たちにもいえることで、野球一本で過ごしたあとの職業選択には、苦労が多いことは知られている事実だ。太田氏のように、野球解説者になるのも、それなりに名を成した者にしか選択できる道ではないのだ。そのことに配慮した取り組みは評価してもいいだろう。》
〖太田幸司:青森・三沢高のエースとして68年夏から3季連続で甲子園出場する。69年夏の決勝では、愛媛・松山商との延長18回引き分け再試合を投げ抜いたが、優勝を逃した。70年近鉄入り、通算58勝。引退後は野球解説者となった。〗
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