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2010年3月10日 (水)

東京大空襲

 今から65年前の3月9日の夜から翌日の未明にかけた空襲により、当時帝都と呼ばれた東京は一夜にして焼け野原になった。それからほぼ5カ月あと、広島と長崎に原爆が落ちて日本は敗戦を向かえた。半世紀が過ぎ、冷戦を経て国は新たに仮想敵を作り、その仮想敵とする国が変わっても、多くの戦争を知らないリーダーたちは防衛を叫ぶが、彼らが守るのは国体であっても、決して国民や国民の財産ではない。東京大空襲をはじめ日本全国の空襲では国民の命も守ることはなかったのだ。

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   1945年3月9〜10日の東京大空襲で焼け野原となった帝都
        (アサヒグラフ 45年10月15日号より)

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   焼死、     窒息死、     水死した人たち
  (1984年6月10日初版、「日本の空襲」草土文化より)

 参照 東京大空襲 提訴問題 07/03

 07年の「参照」でも記したが、遺族らは07年3月、国に謝罪と一人当たり1100万円の賠償を求め提訴したが、東京地裁は昨年12月、請求を棄却*。原告側は控訴していた。

《* … 『戦争は非常事態であり、犠牲や損害は国民が等しく受忍しなければならなかった』との判断を示し、原告敗訴となった経過がある。》

 昨年12月の判決は「戦争被害者救済は立法を通じて解決すべきだ」と指摘し、これをきっかけに原告や支援弁護士は立法に向けた組織づくりを控訴審と並ぶ重要な柱と位置づけた。救済立法をめぐっては、社会党(当時)などが70〜80年代に「戦時災害援護法案」を計14回議員提案したが、成立しなかった。今回は、遺族への補償や遺族年金支給、被害実態の調査や追悼展示館の建立などを法案に盛り込みたいと、遺族や支援弁護士は考えている。

《同じ戦争被害でも、原爆被害に比べ、ニュース性の低い爆弾や焼夷弾被害は一括して「非常事態下であった」としてないがしろにされてきた。しかし、原爆であろうと焼夷弾であろうと死んでいった人一人の命の重さに変わりはない。》

 東京空襲犠牲者遺族会(会員約800人)の星野弘会長は「救済立法では全国の被害者の連携が必要だ。地方の空襲では遺族会がないところも多いので、被害者の声をさらに掘り起こしていきたい」と話す。

 日本本土の空襲は42年4月からで、東京では45年3月10日に約10万人、大坂では同月13〜14日に約4000人が死亡するなど、原爆を含めた都市空襲で全国の死者は50万人を越えるといわれている。

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