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2010年2月18日 (木)

今は昔

 久しぶりに渋谷に出た。年金機構からの連絡で、加入記録が送られてきたが、失われた4・5年間分のことがあり、再度資料を調べ直した際、記憶から失われていた1973年に加入した新日本証券の通帳が出てきた。新日本証券はその後、新光証券に、現在はみずほ証券になっていた。通帳に印刷されている電話番号は当時の渋谷支店で使われていた番号。ただ後に局番が整理され、従来の局番の頭に3がついて4桁になってはいたが、大代表番号は37年前の新日本証券のものを引き継いでいた。

 そんなことから、積み立てた金銭がどのようになったものか知りたくて出かけることにした。応対してくれたのは私が契約した年にはまだこの世に生を享けていない年齢の女性だった。応対は丁寧だが、最初の対等合併から年数も立ち過ぎ、契約した商品もすでに現在はないもので、調査はするが、戻ってこない可能性が大きい、との返事だった。73年と言えば所帯を持って日も浅く、何かの足しにと加入したものと思うのだが、記憶がなくなっている。

 妻も、今更追跡しても時効にかかって戻るものではない、と言うが、それはそれ、37、8年間記憶から消えていたものだ、失ってももともとだから、調べるだけ調べてみようと訪ねたものだ。経過を遡ってみると、思い当たることがあった。当時、技術指導で系列企業への転勤が繰り返しあった。契約した73年11月は、その前の10月に転勤赴任し、その転勤先で契約したもので、そこに要る間の通帳だった。本社に戻る際片付けた身の回りのものに紛れ込んだまま、今までの年月忘却の中にあった。

 それにしても渋谷が変わっていた、いや今でも変わりつつあるようだ。2階のJR駅のホームから遥か離れた宮益度通り側のシオノギビルまで臨時の通路で繋がれ、やっと地上に下りる。下りた目の前がみずほ証券の支店だ。用を終え、何十年ぶりかの街中をほぼ3時間ほど散歩した。戦後間もなく英語が綴れない「夜の蝶」に代わって恋文を代書する店が並んでいた「恋文横町」、連れ込宿が犇めいていた宇田川町、道玄坂だけは迷わずに歩けたが、若者でにぎわう109、ビックカメラ、など、私の若い頃にはなかった建物が増えていた。懐かしかったのはテレビでもよく写るスクランブル交差点まえの書店が健在だったことだ。古びて懐かしい階段を踏んで2階へ、当時はこれほどコジンマリした店内の印象ではなかった。記念にシチリアのガイドブックを求めて帰路についた。

 みずほ証券の調査結果は、2、3週間して郵送してくれることになっている。

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