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2010年1月23日 (土)

占領期のGHQ新聞検閲

 毎日新聞(1/23)から、《 》内は私見。
 第二次世界大戦《敗戦》後の占領下で連合国軍総司令部(GHQ)が日本の新聞などを対象に行った検閲の実態を記録しようと、早稲田大20世紀メディア研究所(山本武利所長)は「占領期検閲者に聞く会」を発足させ、当時検閲部門で働いた日本人の聞き取り調査を進めている。09年12月、新聞検閲に係わった女性に対する初の聞き取りでは、勤務体制や待遇など貴重な証言が得られた。終戦直後に始まった検閲の関係者は現在80代以上で、同研究所は「最後のチャンス」と協力を呼びかけている。

 GHQの検閲は1945年9月に始まり、49年10月まで続いた。新聞や雑誌、放送、映画、郵便などの検閲部門には常時、数千人の日本人が雇われ、米軍将校らの検閲官の下でゲラの点検や翻訳に従事していた。

《戦争に無条件降伏で負けた日本は、敗戦の年1945年から1952年までの7年間、連合国軍の占領下にあった。教科書の皇国史観に当たるページの塗りつぶしを始め、反抗を危惧していた占領軍は、日本刀を振りかざすチャンバラ映画や、特に敵討ちの内容は固く禁じられた。当然、日本人の大好きな忠臣蔵など、徒党を組んで主人の仇討ちをする内容はお許しの出るはずはなかった。玩具など、いち早く海外への輸出品(その多くはアメリカ向けだが)を作ったが、1947年から1952年までに製造され、輸出されたものには、日本が「占領下にあることを銘記」する『Made in occupied 』や『Occupied Japan』が印刷、刻印された。日本人でありながら、日本歴史が選択科目となっている現在、日本がアメリカなど連合国軍と戦争したことも、結果負けたことも知らない世代がいるようだが、敗戦国の無条件降伏とはどんなものか、早稲田大の調査がその一端でも後世に残せる内容を把握してくれることを願う。》

 聞き取りに応じたのは東京都練馬区の塙光子さん(85)。塙さんは45年10月から47年春まで、GHQ民間検閲局(CCD)に雇用され、初めは東京中央郵便局で郵便検閲に携わった。約1カ月後に新聞検閲に移り、翻訳者として勤務。職場は雑誌や映画などの検閲も行われた東京・内幸町の放送会館(現存しない)6階にあり、平日は午前9時から午後5時まで働いた。月給は1200円で、当時としては高額だった。

《因みに46年 公務員大卒初任給  540円
    47年 銀行員大卒初任給  220円
    48年 公務員大卒初任級 2300円 の時代の話。》

 東京の新聞検閲は大手紙と通信社が日比谷の市政会館で、掲載前に事前検閲(48年7月まで)を受けた一方、地方紙や業界紙は放送会館で事後検閲が行われた。塙さんは「ゲラではなく、回ってきた新聞をひたすら訳した。大きな部屋で緊張感があった。上司の将校に訳を直されたこともある」と具体的な作業の様子を証言した。

 山本所長によると、郵便検閲に係わった日本人の手記などは比較的多いが、新聞検閲は関係者の数も少なく証言はまれ。80年代に事後検閲に係わった日系二世の女性の証言があるが、日本人の例は知られていないという。

 塙さんは「今まで人に話したことはなかった。秘密にしておくように言われたことない」と話したが、当時は検閲の事実自体が厳重に秘されていた。山本所長は「米国にとって日本の検閲は成功体験であり、最近、元検閲官らの証言を残そうという動きが活発化している。存命の日本人関係者は高齢化が進んでおり、聞き取りを急ぎたい」と話す。

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