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2009年12月15日 (火)

A級戦犯「分祀」提言

 毎日新聞(12/15)から、
 靖国神社に合祀されているA級戦犯について、福岡県遺族連合会(会長・古賀誠自民党前選対委員長)の勉強会が「『宮司預かり』の状態に戻すべきだ」と、事実上の分祀を求める提言をまとめた。提言を足がかりに、分祀反対論が根深い日本遺族会内で論議を活発化させる狙いがあるとみられる。

【A級戦犯合祀】
 旧厚生省援護局は66年2月、絞首刑になった東条英機元首相ら、極東国際軍事裁判(東京裁判)で起訴されたA級戦犯の「祭神名票」を靖国神社に送付した。当時の筑波藤麿宮司は「宮司預かり」にしたが、筑波氏の死去後に宮司に就任した松平氏が78年10月、14人を合祀した。天皇の参拝は76年以降行われておらず、06年には昭和天皇が合祀に不快感を示したことが、富田朝彦元宮内庁長官のメモで判明した。

 勉強会は07年5月に設けられ、メンバーは古賀氏を含む連合会の役員ら11人。3年間で計11回の会合を開いて見解をまとめ、先月30日の県戦没者遺族大会で執行部が内容を報告。反対はなく、出席した千数百人は拍手で了承したという。

 見解によると、78年10月に靖国神社の松平永芳宮司(当時)による「抜き打ち的」なA級戦犯合祀により、その後天皇を含めて「わだかまりなく参拝できなくなっている」状態になったと指摘。「合祀の経緯を検証し、国民の意見を幅広く聞き、改めて判断するため、『宮司預かり』の状態に戻す」よう提言した。

 見解をまとめた文書は、日本遺族会や一部の遺族会に送った。福岡県連合会の新宮松比古会長代行は「中国、韓国の意見に関係なく、遺族としては戦争責任者の方々は靖国神社に祀られるべきではないと考えている。天皇、皇后両陛下に参拝していただける環境を整えるためにも、最終的には分祀まで持っていきたい」と話した。

⦅だが戦犯だから分祀しろという遺族会、なぜ分祀までして戦争犯罪者が神として祀られなければならないのか理解できない。遺族会の意見に従えば分祀となるが、さて、分祀して一体誰が、明確に戦犯として認識され、分離されたホトケさんに、家族や親類縁者の他に柏手打ってお参りする人間がいるのだろうか。居れば多分、暇になった歴史認識に疎い小泉純一郎ぐらいだろう。》

 次の「参照」は合祀などもってのほか、分祀にも、更には新たな国立追悼施設の建設にも、東郷神社への分祀にも反対する私見を書いたものだ。
 参照 分祀でなく、出てもらえばよい 06/08/

 福岡県遺族連合会の「分祀」提言は、戦後64年が経過し、高齢化が進む日本遺族会の危惧感を受けたものだ。戦没者の妻は平均年齢が既におよそ90歳、若い遺児でも60歳代で、会員数は年々減少している。党幹部や閣僚が「参拝せず」を明言する民主党政権では政治問題になっていないが、遺族会には、戦争の悲惨さを知る自分たちの世代でこの問題を解決しなければ、との認識が広がっている。だが靖国神社に一定の影響力があった自民党は野党に転落して政治力低下は否めず、遺族会の意見が集約されたとしても、分祀を拒む靖国神社との交渉は難航が予想される。

 分祀について遺族会には「戦争責任を認めれば戦没者が報われない」などの反対意見があり、公式見解は「靖国神社自前の判断」(同会の終戦60周年特別委員会報告)としてきた。

 だが、06年以降、「富田メモ」など昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を示す新資料が相次いで見つかった。これを受け「長年求めても実現できなかった首相、天皇参拝の障害を取り除く」(同会幹部)ため07年5月、都道府県会長ら幹部による靖国神社問題に関する勉強会が設置された。そこでも議論は進まなかったが、遺族会会長である古賀氏の地元からの提言で状況が変わる可能性はある。

 遺族会では、民主党が掲げる「新たな国立追悼施設」が建設されれば、靖国神社が形骸化するとの危機感も強い。その前に戦争責任を巡って賛否が分かれる靖国神社を「わだかまりのない」施設に変え、「公的追悼施設」と認知させたい思いがある。

 「分祀」が実現すれば、歴史認識問題を超えた追悼の可能性が出てくる。だが政教分離や、自衛隊の海外派遣で戦闘に巻き込まれて犠牲者が出た場合の対応など、課題は残る。国家としての追悼のあり方は、さらなる議論が必要だ。

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