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2009年12月 8日 (火)

12月8日

 テレビが街頭で若い男女にマイクを向けて質問していた。「今日12月8日は何の日か知っていますか」答えを聞いて寒くなってきた。「何だっけ?」「何?」「昨日は友だちの誕生日だったんだけどぉー」。「真珠湾ってどこにありますか?」には「伊勢湾でしょ」。平和ぼけも来るところまで来たようだ。というよりも、学校は、日本の近、現代史を何も教えていないのか。この程度の人間が、例えば小学校から学んで英会話ができたとしても、自国の歴史も知らないで、グローバルな人間ということができるのだろうか。国は、英語を身につけさせるよりも先に、することがあるだろう。

 参照 1941(昭和16)年 05/12/8

 68年前の本日未明、真珠湾を攻撃した日本軍は、アメリカ太平洋艦隊を急襲し、大打撃を与え勝利をおさめたのだ。新聞、ラジオはその大勝利を報道し、日本中の国民はその知らせに有頂天になって狂喜した。しかし、たった3年8ヶ月の後には日本全土を焼け野原にし、遂には原子爆弾が投下され敗戦を味わった。憎しみ合う敵同士、「1000人*殺せば英雄になれる戦争」(1947年「チャップリンの殺人狂時代」より)で、原子爆弾は落ちるべくして落ちたのだ。

 * -- チャップリン扮する殺人鬼は絞首刑の執行直前、獄房にネタ取りに来た新聞記者に向かって自説を開陳する。ここでの台詞は人によって100万人と引用する数の誇張があるが、映画では1000人だ。

 戦争に人間性などある訳がない。兎に角どれだけ数多くの敵を殺せるか、そのために戦争当該国の著名科学者たちは躍起になって原子爆弾、水素爆弾の開発を急いだ。当然日本の科学者も研究したが、資金力の差は如何ともなし得なかった。アメリカ国家の抹殺を望んでいた(当時の教師が生徒たちへ教えた戦争目的だった)日本が、原爆開発の先を越していたら、躊躇せずに使用していただろう。なぜならそれが戦争に勝利する近道だからだ。落下から64年経過して現在の価値観から、原子爆弾の非道を訴えることは容易だが、当時のアメリカにしてみれば、日本を叩くには効率の高い原爆も、さして高くない大砲も同じ殺人兵器であることに違いはなかったろう。

 戦後半世紀以上経過して、浄化されたように戦争を懐古して振り返り、映画や回顧録など戦争の中に敵味方の人間性や友情などを描こうとするが、いくら美化しても戦争に正義など存在するものではない。

 テレビの街頭インタビューは余りにショックだった。これでは未だ遺骸になったまま故国に還ることのできない日本兵が、地下に埋もれて眠る玉砕の島グアムやサイパンなどの島々に、気楽に遊びに行く同じ同胞の日本人がいてもおかしくないはずだ。

 夕刻時、アメリカ軍人が、激戦で死亡した日本軍人の死体からはぎ取って、戦利品として持ち帰っていた日章旗(出征のとき、武運長久を祈願して、隣組や知人、友人、家族などからの寄せ書きがされている。中には血糊が付着したままのものもあっし、サイパンからのものも混じっていた。)約50枚が日本に来て、持ち主が分からず、還る先のわからないまま探している人の話がテレビで流されていた。たくさんの人たちの祈りも届かず、肌身につけたまま戦死して行った男たちの身体や鉄兜の裏から剥ぎ取られた魂を写す旗は、故郷の父母や妻兄妹の懐に還ることも叶わないままに彷徨っているようだ。68年前に始まった戦争だが、まだ終わっていない。
 
 

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