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2009年11月11日 (水)

纒向(まきむく)遺跡で3世紀の大型建造物跡が見つかる

 毎日新聞(11/11)から、要約と《 》内は私見。
 邪馬台国の有力候補の一方の、候補地とされる纒向遺跡(奈良県桜井市)で、卑弥呼(248年ごろ没)と同時代の3世紀前半の大型建造物跡が見つかり、桜井市教委が10日、発表した。

 《奈良・3世紀とくれば、連想することは直ぐに卑弥呼・邪馬台国となる。確かに未だに確たる決定的な証拠も論拠もない遠い時代のことだけに、従来からの大和説、九州説に分かれてお互いに綱引きをしている学者たちは、どんなちっぽけな物事にも神経過敏な反応をみせ、自説の強力な証拠固めにしようとする。そのためには過去にあったように、証拠となる物件の埋め戻しすらする日本の歴史学者もいるのだ。》

 今回見つかった建造物跡のニュースと別に、質問欄『なるほドリ』で邪馬台国について書かれている。そもそも邪馬台国はどこにあったの、卑弥呼ってどんな人だったの?
 中国の歴史書「三国志」の中にある「魏志倭人伝」に、2世紀ごろ、倭国(古代日本の呼称)が乱れ、約30国が共に一人の女性を王に立てたと記されている。これが卑弥呼で、「鬼道」(きどう)という宗教(「能く衆を惑わす」ことからシャーマンのように見る向きもあった)を司った。独身で年を取っていたが「弟」が政治を補佐していた。卑弥呼が都としたのが邪馬台国だ。
 Q 邪馬台国の場所はなぜ分からないのですか?。

 A 日本の歴史書「古事記」や「日本書紀」には、卑弥呼や邪馬台国は出てきません。江戸時代の儒学者、新井白石が卑弥呼を神功皇后とし、大和(奈良)と九州の両方を邪馬台国の候補地と考えたのが論争の源流となった。国学者の本居宣長は、大和王権ではなく、九州の在地勢力が王を名乗ったとする九州説を唱えた。
 魏志倭人伝に朝鮮半島から邪馬台国への道のりが書いてあるが、記述通りに進むとフィリピン南方に行ってしまう。そのため、九州から先の「陸行一月」を「一日」の誤りとして九州北部をゴールにしたり、「南」を「東」の誤りとして大和をゴールにするなどの読み替えが行われた。

《白石の卑弥呼=神功皇后(201〜269年)説では、皇后が妊娠の身で朝鮮に攻め入り、新羅を攻めて降伏させて朝貢を誓わせ、高句麗、百済までも朝貢を約束させた(三韓征伐)など、国際的な出来事が日本書紀に記されていることからみても、国内の邪馬台国に関する記載がないこと、不明なままであることは極めて不自然なことだ。》

《しかし、もともと「邪馬台国」という国は存在しない。われわれが聞いている「やまたいこく」は魏志倭人伝には「邪馬壹国」(やまいちこく)と書かれているものを、壹と臺の間違いだろうと、勝手に「やまと」の発音に近いため邪馬台(臺)国にして大和を特定したり、上のように「南」は「東」の間違いだろうと、昔の人を無学者のバカ扱いすることで無理矢理自説に都合良く曲げてきて、一層諸説紛々の広がりがうまれた。参照:纒向(まきむく)遺跡から木製仮面出土 07/09  》
 
 1910(明治43)年、東大の白鳥庫吉教授が九州説、京大の内藤湖南が大和説の論文を発表して論争が本格化した。在野の研究者の説も含めると、西日本のほぼ全域が候補地になっているの。

 Q 他に手がかりはないの?

 A 魏志倭人伝に、卑弥呼が中国の魏から「銅鏡百枚」をもらったと記されている。卑弥呼が使いを送った「景初三年」(239年)と、翌年の「正始元年」の年号を刻んだ三角縁神獣鏡が有力候補とされるが、大和をはじめ日本各地で400枚以上出土しているのに中国では一枚も見つからないので、日本で造ったものとする説もある。

《魏から贈られたという銅鏡は100枚とはっきりしている。これまで国内で400枚以上出土していること自体全く関係のないものと考えるべきだ。中には中国では名乗られなかった景初四年銘のものまで混じっているのだ。これらは皆、日本で造られたものと考えてよい。》

 Q 決め手はないのだろうか?

 A 魏の皇帝は卑弥呼に「親魏倭王」の金印を贈っている。卑弥呼の墓(邪馬台国大和説)とも言われる箸墓古墳がある纒向古墳がある纒向遺跡で金印が見つかったとしても、九州にいた卑弥呼の後継者が、金印を持って大和に来たという東遷説の証拠とも考えることが可能だ。卑弥呼が受け取った金印や他の贈り物は、途中で誰かが開けないよう封がしてあったという。卑弥呼が開封するときに剥がして捨てた封印の粘土「封泥」(ふうでい)が見つからない限り、結論は出ないと言われている。

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