ケータイで試される親の力
毎日新聞(9/25)から、要約と《 》内は私見。
「クイズ・ケータイサイトの隠語」(安川雅史監修)
1)◯
2)苺佐母
3)WU吉
4)乾燥部して93する
5)JC
6)例の間に蜂
7)わらわ
8)やわらか銀行
(答え)
1、援助交際
=「円」が転じて「援」助交際
2、1万5000円
=苺(いちご)は1まん5000円の意。佐母はサポート、援助交際を指す
3、2万円
=Wはダブル。U吉は福沢諭吉、つまり1万円
4、ドライブして大麻を吸う
=乾燥はドライ。93は草と読み、転じて大麻
5、女子中学生
=女子・中学生のローマ字表記から来る。JKだと女子高生
6 080
=0と0の間に8。携帯電話の局番
7、090
=ケータイの文字盤に、0は「わ」、9は「ら」と書かれているため
8、@softbank.ne.jp
=ケータイメールアドレスの末尾番号。やわらか銀行はソフトバンク、同社ケータオアドレスを指す。英雄はau、こどもはドコモのメールアドレスを指す
いきなりだが、上は、いずれも若者が自己紹介をする「プロフィールサイト」(プロフ)などで使われている隠語だ。
電話やメール、インターネットを思いのままに使える携帯電話。”ケータイ”からつながるサイトは便利な半面、犯罪の温床にもいじめの舞台にもなってしまう。ケータイサイトが世に出て10年が経過した。大人はどう向き合えばいいのだろう。(記事:遠藤拓)
《いつまで井戸端会議のような取り上げ方で、何一つ実らないところで足踏みしているのだ。ここまで野方図に弊害が広がったのは、業界の「売れればいい」の姿勢と、危険な玩具が叫ばれ続けても尚、親は「子どもの安全」の神話にすがったままで、ケータイの使用に当たっては殆ど無関心の状態だ。》
《一つ二つの自治体、文部科学省でも学校への持ち込みを禁止すべきとの通知を出して(今年1月)お茶を濁した動きはあるが、学校へ持ち込まないだけでは何の歯止めにもならない。親は放任の、学校にいない時間は好きなだけ夢中になるだけだ。》
プロフを含むケータイサイトの多くは現在、サイト外で利用者同士が連絡を取り合うことにつながる書き込みを削除しているが、犯罪は後を絶たない。今月24日には、神奈川県警が、千葉県の17〜18歳の女子高生3人を児童ポルノ禁止法違反(提供)容疑で書類送検した。県警によると、女子高生らはケータイの掲示板で知り合った男に、自分の下半身を撮影した画像を送信していた。
警察庁のまとめでは、インターネットのサイトを巡る犯罪被害者の児童(18歳未満)は08年、1516人、隠語はこうした犯罪の道具に使われているとみられる。
「中高生は自分の身体や、裸の写真・動画を売って小遣いを稼ぐため、大人は子どもを巧みに誘い出すために隠語を使っている。でも、殆どの親や教師は、意味は勿論、言葉の存在も知りません」。若者のネット事情に詳しい「全国webカウンセリング協議会」理事長、安川雅史(43)は溜息をついた。
《隠語は大人たちが不純目的で作ったものではなく、隠語作りに慣れた女子高生たちの援交や売春目的の発案だろう。上の3人のように法の上では児童扱いだが、国としても18歳成人説が検討されているように、女子高生も18歳ともなれば大人とみられておかしくない。ヌードや下着写真を送りつけるのも、それなりの下心のあることだろう。現行法では裁かれるのは大人だが、どっちもどっちの売買の駆け引きだ。》
4月には有害サイト規制法が施行され、携帯電話会社が18歳未満の利用者全員に対し、有害サイトへの接続を制限する「フィルタリング」サービスを提供することを義務づけた。だが、そうした大人の取り組みを嘲笑うかのように、隠語はネット上を行き交っている。
《未成年のフィルタリングに関しては、子どもの育児保護監督責任者として保護者や親に責任がある。ところがその親が、全くプロフやインタネットを知らない。ただ、子どもとの相互連絡にしか関心がなく、嘘をつかれても「どこそこにいる」と一報が入ればそれでいい。それが親にとってのケータイの役目は100%なのだ。保護監督責任とは、そのような生易しいものではないはずだ。ケータイの中身までチェックしなければならない監督責任があるのに、それを恐れているのだ。曰く、「子どものプライバシー」だと。だが、とんでもない、庇護下にある子どもにはプライバシーなどないのだ。》
「警察ざたとなるのは氷山の一角でしょう。隠語を巧みに使えば見知らぬ同士が節食しても、出会い系サイトほどには表面化しづらい。援助交際を繰り返す仲間を見て、真似る人もいるはず。ネットいじめもまだ続いており、注意が必要」と。
そもそも、親や教師はケータイでインターネットを使うこと自体が少ないと、各地で講演をしている安川氏は実感している。実際、後援会の参加者に尋ねたところ、「大人の利用者は100人中5人にも満たない」という。若者たちとは大違いだ。
NPO法人「青少年メディア研究協会」理事長、下田博次(67)は言う。「ケータイはいつでもどこでも、悪いことでも何でもできるインターネット端末です。子どもたちはまじめな大人が一生かかっても知らないような危ない情報に出会えます。でも、大人にはそうした危機感はいまだに殆どありません」と。
《「まじめな大人」とは危ない端を渡らない大人ということだろうか。脇目も振らずに働く大人、ということだろうか。子どもに無関心な上に世間にも無関心で幅広く見ることができない大人だろうか。或いは野次馬のように何事にも首を突っ込まない大人だろうか。視野が狭く、見識のない大人とも取れるのだが、世間一般の大人はどうでもいい、せめて保護者、親は目を常に子どもに向けていてほしい。そして、ケータイの中身はチェックしてほしい。庇護下の子どもには、それを拒否するプライバシーも権利もないのだから。》
ー つづく ー
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