イーデス・ハンソン
3年前の10月、久しぶりに近況を知らせる記事で、60年代の「変な外人」で一世を風靡したハンソンに遭え、懐かしくなって当時のことを書いた。今日の夕刊にカラー写真と一緒に再びハンソンの近況を知る取材記事が載った。齢70歳のはずの彼女だが、常に明るかった飛び切りの笑顔が知的で驚くほど若々しく美しい。
毎日新聞(9/18)から、
ユニークな大阪弁でテレビ、講演などで人気を博す。人権擁護団体「アムネスティ・インターナショナル日本」特別顧問。アジアの子どもを支援するNPO法人「エファジャパン」理事長。でも、彼女の肩書きはタレントとなっている。
会話が面白いので記事全文を書き写す。
記者 和歌山県田辺市の熊野古道近くに住んで22年。なぜここに暮らすんですか。
ハンソン ずっと前から、いつかは山のある田舎に住みたいと思っていました。多分、9歳までインドのヒマラヤに住んでいたからでしょう。生き物がたくさんいて、人工的な音がなくて、夜空がきれい、という所にどっぷり浸かりたかったんやと思う。
記者 暮らしの中で大事にしていることは何ですか
ハンソン 内面かな、奇麗な格好していても、態度が悪かったら、「なんやのん、あの人?」ってなるでしょ。人と丁寧に付き合うこと。ニコッと笑えば、ニコッと返ってくる。ほとんどの場合、これでうまくいきますよ。一緒に笑えたら気持ちいいねえ。もし、こちらが丁寧に対応しているのに、向こうがプーンとしたら、その時は態度変えたらええわ。私もそこまで人間できてないしね。
《うん、よくわかる。現役のころ、「俺は偉いんだ」の態度の人間に沢山ぶつかった。私の態度は一変した。ハンソンのいうように諂(へつら)ってまで好印象を安売りしなかった。そう、人間ができていない上にへそ曲がりにつむじ曲がりだ。絶対に長いものに巻かれることはなかった。当然昇進の機会には見送られる1人だった。しかし、必ず見ている人はいる、後に過分の取り扱いを受けるようになっていた。》
「世の中は楽しけりゃいいというもんじゃないよ」という人もいるけど、楽しいことは貴重なことよ。一日にどれだけ楽しい時間があるかは大事。「この瞬間がよかった」と思うことが一日の大部分を占めていたら、幸せですよ。
ここに住んでいると、そういう瞬間はいっぱいあります。朝起きたとき、ヒグラシの声がいいなあとか、今日の雲はいいなあとか。それ自体はちっちゃなこと。でも、ちっちゃなことが沢山重なったらええね。だから、ちっちゃなことを見逃さないこと。それが財産だから。
記者 自然は豊かですが、暮らしに不便はありませんか。
ハンソン 何を不便、不自由と思うかよね。東京や大阪は、買い物や交通には便利だけど、こういう環境の所に来ようと思ったら不便。こちろん、ここから仕事に行くのに時間はかかるよ。でも無駄な時間じゃない。飛行機や電車でぶっ通しで本を読めるでしょ。
引っ越してきた当時はケータイもパソコンもなかったけれど、今はどちらも使える。お陰で、大きな本屋さんはないけれど、ネットで本は取り寄せられるようになったし、いろんな勉強ができる。学校や家庭で習わなかったことを知って、もっと環境問題を勉強しないとと思うようになる。これはええこと。私は便利さを拒んでいるわけではない。
意味のない開発とか、暇やからいじってるみたいな工事は困るね。人ってすごくそれをするねん。環境を壊さずに、他人の幸福を壊さずに、自分の幸福を探したいね。
《活字じゃなくて、ハンソンの歯切れのいい大阪弁を生で聞きたい気持ちにさせられる。「死ぬまで勉強」と大言している私にとっても、乗物の中の読書は何ものにも代えがたい大事な読書の時間だった。》
記者 幸せを見つけることは簡単ではないと思います
ハンソン 若い時は何が大事か分かりません。それなのに思い通りにいかないと、イライラしたり、肩凝って偏頭痛になったり。私も経験しました。ある人が「これは大事」というと、そうか、と思い、別の人が「こっちが大事」というと引きずられ、迷うわけ、判断する力がないからキョロキョロするの。
でもね、迷ったら人の真似しながらいろいろやってみてもええんやと思う。生活とか、仕事、遊び、どういう人と付き合うか、そういうことを真似しながら、自分の経験としていく。経験を積んで自分なりの充実感を覚えることを見つけていくのとちゃうかな。
思い通りに生きられる人ってほとんどいないと思うよ。いろいろ妥協しなきゃいけなないと思うけど、できるだけ自分がいいと思う線に近づこうとする人生は、気持ちいいと思うよ。
記者 「アンチエージング」がはやりです。年を取ることへの抵抗はないですか。
ハンソン 年を取ると、体力がなくなる、目が悪くなる、歯がなくなる、毛が薄くなる、記憶力が落ちる、と、なくなることばかり考えるでしょ。確かに困ることもある。でもそればかりやない。増えるものもある。経験です。経験や判断力がついてきて、それはどうでもええねん、てことが分かるようになる。腹立てて、眉間にしわ寄せてエネルギー使っても、考えてみたら、人のことやん、社会に影響ないし、ということもある。角が取れたんかな。楽しもうと思うからかな。
起るんやったら大事な時に起らなあかんね。たとえば、政治家が賄賂をもらったというとき。「ようあることや」はだめ。その時は怒りなさい。社会に影響与えているわけでしょ。
《早く言ってしまえば、形より中身、と言いたいのだろうが、・・・》
来年秋、近畿大の教壇に立つのですね
ハンソン 若い人と話すのは面白いと思う。世代の違う人に、私の考えが伝わるかどうかは分からないよ。でも伝わるように努力しないとね。何かを覚えてもらおうというのじゃなくて、こういう考え方、価値観もあることを知ってもらえればええね。
私も若い時に、年上の人から話を聞いて、それが後で参考になった。だから今度は私が若い人に返す。人間って原始時代からそれを繰り返してきたんでしょ。それで物を作ったり、暮らしが成り立っている。
自分の家族も大事よ。でも血のつながった家族だけを思うのでは、世の中は間に合わない。もっと広い範囲で、人は皆家族、と思わないといけなにと思う。いろんな人との係わりがあって生きていけるのだから。
《多様な価値観、若い世代が否定しがちな古い価値観。核家族になっていっそう旧いものを否定する考えが敷衍(ふえん)して行った。嫁は姑と同居することを嫌い、子育てのベテランのいない家庭が当たり前になった。小さく生んで大きく育てる、なんて馬鹿げた近代医学を信じ込み、女たちは痩せることに汲々とする。早くから指摘されてきたことだが、それが今、多くの虚弱な低体重児を生むことになり、子育てでは働く若い母親たちの苦労の種になっている問題だ。ハンソンの教壇でする年上の人の話から得る知恵の話が、若い世代に理解できるか不安だが、根気よく繰り返していくしかないだろう。》
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