性犯罪者へのGPS装着
毎日新聞(9/5)から、要約と 《 》内は私見。
子どもも狙われることの多い性犯罪。法務省は仮出所者や執行猶予の保護観察対象者を電子的に監視することの可否を検討するため、海外の事例を詳しく調べることを決めた。
GPS監視 ー 性犯罪者などを対象に、カーナビゲーションなどに利用されるGPS(全地球測位システム)機能がついた腕輪や足輪を装着させて、遠隔で行動を24時間把握できるようにする方法。欧米で導入が進み韓国でも昨年から始まった。
装着はやむを得ないとする立場の弁護士:後藤啓二氏と、装着は保護観察に決定的打撃になるとする土井正和氏。2人の同一テーマを語る討論ではなく「闘論」という欄がある。
先ず、後藤氏。性犯罪者は少なからぬ割合で再び性犯罪を犯す。04年に13歳未満の子どもに対する強姦、強制猥褻などの性犯罪で摘発された466人のうち、過去にも子どもを対象にした性犯罪で摘発されていた者が15・9%いたという警視庁の調査がある。さまざまな解釈ができるが、一般市民に比べて高い確立で犯行に及ぶ恐れがあることだけは確かだ。
一般市民は出所した性犯罪者がどこに住んでいるのか全く知らされない。というよりも、そもそも住居を届ける義務はないので、その気になればいつでも行方をくらますことができる。それに刑務所内での矯正教育も心もとない。
《刑務所内での矯正のための教育がどのようになされているのか、一般人には「心もとない」の真実ははかり知れないが、弁護士のいうことを信じる他ない。しかし、それが十分に行われているとしても、矯正の可能性があると確約されるものではない。》
早期に更生するものがいる一方で、一定の者は出所しても危険をはらんだままなのが現実だ。本来、子どもには犯罪から守られる権利があり、守るのは国家や大人の責任である。親はもし潜在的な危険人物を知っていれば、子どもを近寄らせない防衛策が取れるのだ。
そこで望まれるのが性犯罪者の継続的な監視だ。米国では94年にニュージャージー州で起きたメーガンちゃん(当時7歳)強姦殺人事件をきっかけに、出所した性犯罪者の住所を警察に登録し、地域住民に公開する「メーガン法」が制定された。一定期間は転居の届け出も義務とされる。登録制度は欧米を中心に広がっており、日本でも法整備が必要と考える。インターネットなどを使った一律の公開は行き過ぎだが、学校や教育委員会を通じて、せめて保護者は必要な情報を得られるようにすべきだ。
更に必要に応じてGPSで電子的に監視する。まずは心理的な犯罪抑制効果が期待できる。もし犯罪の前兆である声かけや付きまといをすれば、時間と場所から人物を特定して監視を強化することもできる。仮に事件が起きた時でも捜査に力を発揮する。装着された者が受ける物理的、心理的な不利益は大きく、不必要な者にまで負担を強いることもあるだろう。しかし、子どもを性犯罪から守るという圧倒的に重大な価値からすれば、やむを得ない措置だ。
《性犯罪者に情状酌量する必要はない。社会的制裁は受けて当然だろう。生涯に亙ってGPSの重荷を背負わせるがいい。》
一方、厚生に可能性を見ようとする立場から土井氏は語る。 電子監視の導入は「性犯罪は繰り返される」という前提で議論されている。しかし、性犯罪のみの再犯率の高さについて実証的なデータがあるわけではない。なぜ性犯罪者なのか。「子どもが被害者となることもあり、世論の賛同を得られやすい」との推進派の意図も見え隠れする。
《子どもが被害者であるか、ないかは問題ではない。それでは大人の女性が被害者なら装着への賛同意見は低いというのだろうか。》
米国では性犯罪者に対する所在情報の公開が行われている。市民の求めに応じて名前はイニシャルから実名、更に顔写真付きへと進み、初期には限定的だった公開方法もインターネットで誰もが見られる方向に向かっている。その結果、社会の中に居場所をなくし、不安定な立場に追い込まれた犯罪者が再び罪を犯すという悪循環が実際に起きている。
つまり、所在情報の公開が市民による犯罪からの自己防衛に役立つとは言い難いのだ。では、電子監視は警察など犯罪統制期間による犯罪防止策となりうるのだろうか。所在地を把握できてもそこで何をしているのかは全く分からず、その時の犯罪防止には役にたたない。仮に制度化しても、一生着用させるわけにもいかない。
欧米と同じように電子監視を導入すれば、現在の犯罪者処遇の重要な柱である保護観察に決定的な打撃を与えるだろう。保護観察は約600人の保護観察者と約4万8000人の篤志家である保護司に支えられている。生活上の指導や援助で「この人が見守ってくれている。信じてくれているから裏切れない」との関係を築いた先にあるのが厚生だ。
「不信の象徴」である電子監視装置を着用しながらの信頼関係など成り立つのだろうか。厚生にとってのキーワードは「信頼」と「生きる希望」である。人は人によってこそ変われるのだと思う。
《信頼に応えられるほどの人間なら、最初から性犯罪などすることもない。そのような甘い考えが再犯率を高める要因になっているのだ。このような性犯罪者は性善説では救えない。自分の犯した罪を償うのに甘えを差し挟む余地を与えるべきではない。電子監視装置の装着は進んで受けるだけの責任感こそ持たせるべきだ。》
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コメント
江戸時代は罪人の額に「犬」と入れ墨を彫ったと聞いたことがありますが、現代でも充分に効果のある刑じゃないでしょうか。
絶対人権派の人達は容認できるものではありませんが、GPSにしても性犯罪者、特に未成年意対する性犯罪者には同情できるものは全くありません。
私は島流しが一番人道的じゃないかと思っているのですが。
ある程度の大きさがあって自給自足できるような気候の島に放り込んで、市民から隔絶するべきでは?と。
このような犯罪者を税金を使って飯を食べさせるのも腹が立ちます。
投稿: BEM | 2009年9月19日 (土) 00時01分
BEMさま
ご挨拶遅くなりました、コメント有り難うございました。
それにしても、ラジカルなご意見、私が拳銃を持つ日本中のやくざたちを無人島に集め、最期の1人になるまで、心行くまで殺し合いをさせればいい、というのも同じでしょうか。
性善説の限界をつくづく感じます。
投稿: 小言こうべい | 2009年9月21日 (月) 22時23分
つ ノルウェー
投稿: | 2009年10月 8日 (木) 09時08分