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2009年8月18日 (火)

戦争画ってどんなもの?

 終戦の記念行事も滞りなく過ぎ去り、また例年のように次のシーズンが来るまで何事もなかったかのように過ぎて行く。

 毎日新聞(8/10)質問「なるほドリ」欄から、《 》内は私見。
Q 「戦争画」という絵があるって聞いたんだけど、どんなものなの?

A 「戦争記録画」とも言うよ。一般的には日中戦争から太平洋戦争にかけ、日本軍の要請で戦地に赴いた画家が描いた作品を指す。当時は「作戦記録画」と呼ばれた。

Q 記録のためなら、写真を撮ればいいんでは?

A 絵を通して国民の戦意を昂揚させようという狙いもあった。著名な画家も含めて多くの人たちが、敵陣へ突撃する兵士を生々しく描いたり、空や海での戦闘の様子を遠景で表したりした。これらの作品群は「聖戦美術展」などと称した展覧会で公開され、大勢の人々が見に行った。一方で、美術のあり方に反すると抵抗し、活動に加わらなかった画家もいた。

《1941年 聖戦美術展 航空美術展
 1942年 大東亜戦争美術展 宮本三郎の絵(下図)出展。
 1943年 大東亜共栄圏美術展 この年横山大観を会長として、大日本美術報国会が創設された。
 1944年 戦時特別展
 1945年 戦争記録画展

《子ども向けの「講談社の絵本」も戦争画が増えていた。今でも樺島勝一、伊藤幾久造といった画家の名は忘れない。》

《小学生であった私も、宮本の絵は教師の話して聞かせた会見の場の模様も重なって、強烈な昂揚心が湧いたのをはっきりと覚えている。降伏を素直に認めない敵将パーシバル・マレー軍司令官に向かって、山下中将がテーブルを叩いて迫った「イエス」か「ノー」か、の話。》
 
シンガポール英軍の降伏
0408
1942年2月15日、山下中将、パーシバル司令官と会見し、英軍に降伏を迫る図。

宮本三郎画(Wikipediaより)
 1942年帝国美術院賞受賞

Q 戦後は問題にならなかったの?

A 「侵略戦争に協力した」という批判と、「国民としての義務を果たしたまでだ」という反論が、画家や評論家の間で激しく繰り返されたが、中でも批判の矢面に立たされたのが、最も有名な画家だった藤田嗣治だった。結局、藤田は日本を離れてフランス国籍を取得した。

Q 戦争画はどうなったの?

A 散逸したり、画家が自ら焼いたりしたので、全部で何点あったか分かっていない。1951年にGHQ(聯合国軍総司令部)が一部を接収し、日本側の返還要求もあって、70年に米国から「無期限貸与」という形で153点が日本に戻った。現在は、東京国立近代美術館がそれらの作品を管理しており、所蔵品展示室の一角で常時、数点を展示している。

Q 戦争の貴重な資料だ。研究は進んでいるのだろうか。

A 戦後生まれの評論家や美術館学芸員の中には、戦争画をタブー視せずに美術史的意味や特徴などを研究している人たちがいる。著名な画家が描いた戦争画が回顧展の中で展示されるケースも増えてえいる。一方、戦争画や関係論文を収録した「戦争と美術」という本が07年末に刊行された時には、画家の遺族が掲載を拒否した例もあった。繊細な部分を抱えているが、しっかり研究すべき課題だと思う。

《同じように「戦争に加担」したと見られる人たちに、従軍作家や従軍ジャーナリスト、戦意昂揚を謳った作曲家や作詞家などがいるが、それらの人たちの多くは、戦後は多くを語らないか、協力したことを否定することが多かった。》

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