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2009年7月 1日 (水)

硫黄島の遺骨収集は

 参照 戦争はまだ終わってはいないー、放置されたままの「英霊」08/10
    続 硫黄島 2、07/08/16
    続 硫黄島 1、07/08/15

 毎日新聞(7/1)「なるほドリ」から、《 》内は私見。
 《学校の歴史で今次大戦や、戦争責任について考えることを教えて来なかったから、クリント・イーストウッドの映画「硫黄島からの手紙」を観て、「感激した」「良かった」と、映画の感想は言える。だが、ただそれだけで終わるのが日本人だ。戦争で激戦があったのは硫黄島だけではない。現代の若者たちが新婚旅行に、卒業旅行に、観光に出かけて遊び回る南方の島々には、未だに地下に眠る英霊たちが、故国に帰る日を待ちわびて、埋もれたままになっているのだ。》

 戦争末期、米軍は東京から約2600キロ南のマリアナ諸島からB29を発信させ、日本本土を爆撃していた。しかし、護衛戦闘機の航続距離が短かいこともあり、もっと日本に近い基地を必要としていた。そこで、東京から約1250キロ南の硫黄島を狙った。

 Q 日本軍は空襲の激化を食い止めたかった。

 A 一般島民が避難したあと、戦闘は1945年2月から3月に掛けて行われた。栗林中将が率いる日本軍は地下壕にこもるなどして抵抗したが、最後は米軍が占領した。日本軍は約2万人、米軍は約7000人が死亡した。

 Q 戦後はどうなったのか。

 A 68年に日本に返還されて以来、自衛隊が管理して訓練などを行っている。米軍も訓練に使用することがある。しかし、民間人は自由に行くことができない。

 Q 戦って死んだ兵士たちは、ちゃんと弔われたのか。

 A 厚生省(当時)が米軍占領中の52年度に1度、遺骨の収集を行った。日本返還後にはほぼ毎年実施している。でも、昨年度までに収集された日本人の遺骨は8664柱で、まだ1万柱以上が残されたままだ。

 Q なぜ、そんなに多いのか。

 A 現在、飛行場の滑走路になっている辺りが最大の激戦地の一つで、この下に多数の遺骨が眠っているとされている。遺族の強い希望もあって、国の今年度予算にようやく、滑走路下の遺骨収集に伴う費用1億円が計上された。

《米軍は、日本本土爆撃のため、占領した硫黄島に飛行場の拡張建設を進め、遺体を埋めた上に滑走路を敷設していったのだ。国のために命を捨てた遺骨の上の滑走路を使って現在も自衛隊は飛行訓練を行っているのだ。》

 Q 遺族の念願が、もうすぐ叶うのだろうか。

 A そう簡単ではない。防衛省は「今の滑走路の下から遺骨を収集するためには、別の場所に滑走路を造らなければならない」と考えている。そのためには数百億円、約10年かかると見込んでいる。今年度に行われるのは、地形や地質などの調査に過ぎない。まだ入り口の段階といっていい。遺族は高齢化しており、一刻も早く本格的な収集が始まることを望んでいる。
 
 

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