五十肩
私が生まれた時、「誕生日までは生きるまい」と思われた身体だったが、どうしてどうして、それから七十有余年、幼児の頃の麻疹以外は病気もせず、細い身体(今は細いとは言えないが)なりに人生を生き長らえ、数年も経てばそろそろ平均寿命に近くなる年齢になっている。
その間、医者に罹ったのは少年期の風邪から老年期に入っての網膜剥離以外にはない。痩せていて、少年期から白ふちのロイド眼鏡を掛けていた(明治生まれの父の、「子どもに黒ふちは生意気」の意見)ため、周りからはおじいさんの渾名をもらったが、現今流行りの「いじめ」ではなかった。
海軍大将を夢見た軍国少年としては、海に、山に、陸上に、身体を鍛えることには努力はした。それでも虚弱児には人並みの肉体改造をするにはとても覚束ないものだった。しかし、その所為だろうずっと病気知らずで来ている。特に熱には強く、39〜40度の発熱があっても寝ることもなく、普通に働いた。ある時身体がだるいと言った時、周りに進められて医者に行った。医者から熱を測るように促され、体温計を見せた。「○○さん、何ともないの?、ここまでどうして来たの」「歩いて」「40.1度もあるんだよ」「そう」。そのまま会社に戻り仕事を続けた。
また、77歳の現在も、畳の上で両足を前に出して座り、前屈して顎が膝の上に届くし、立ち姿勢で膝を曲げずに前屈して両手の掌が床につく。また、両手で身体を支えて両足を空中前方に浮かして90度出して10秒程度なら楽々支えられる。
ということは、タイトルの五十肩が何であるかを知らない。また、良く言われる四十腰も理解できないし、普通誰にでもあるように言われる肩や腰、首の凝りなど生まれてこの方、経験したことがない。当然のこと、按摩やマッサージなど全く不要で来た。五十肩がどんものか聞いてみよう。
【閑話休題】毎日新聞(6/5)から、
スーツを着ようとすると右肩が痛くて上がらない。寝る時、右半身を下にすると痛む。東京都大田区の男性会社員(43)は、昨年秋からこんな症状に悩まされた。痛みは次第に増し、今年3月、近くの病院で診察を受けた。レントゲン撮影では骨折は発見されなかった。炎症や上腕骨と肩甲骨をつなぐ腱版の断裂ももなかった。
《全く理解できないのだが、そんなに痛いものなのか》。
医師から「これといった異状はない。典型的な五十肩ですね」と言われ、痛み止め薬と湿布を処方された。同時に、「痛みが和らいだら意識的に肩を動かしてください。今回のように半年も放置しないように」と注意された。男性は「異常がないのに強い痛みを伴う。不思議だ」と思った。
このような症状は、「四十腰」「五十肩」と呼ばれる。江戸時代中期の辞書には「五十腕」という項目があり、「五十腕とも五十肩ともいう。また長命病という」と説明されている。当時は平均寿命が50歳以下で、「肩が痛くなったら長生きの証拠」と考えられていたとみられる。
《近代医学で説明が難しいのか、江戸時代の話から説き起こすようだ。何でもかでも昔を否定したがる近代に、江戸時代を持ち出さないと説明が難しいものがあるとは皮肉なものだ》。
医学現場では「五十肩」と呼ばれることが多く、「明らかな起因を証明しにくい初老期の疼痛性肩関節制動症」と定義される。海外では、「フローズン・ショルダー(凍結肩)」と言われる。一般に、まず「痛みが強く動きにくくなる時期」があり、、続いて「動きが制限される時期」、やがて「動きが回復する時期」と推移する。
江戸時代から人々を悩ませてきた痛みだが、実態は今もよく分かっていない。「40〜50歳代の人に多い肩関節の動きが制限される痛み」であることは明確だが、なぜ起きるのか、原因となる生活習慣があるのか、男女で違いはあるのか、なぜ回復するのかなど、未解明部分が多い。
《これでは新聞が取り上げる意味はない。あれも解らない、これも解らないと書くだけでは、期待して目を通す人を落胆させるだけだ。まして江戸時代からある説を、世紀を越えてもそのままの受け売りで、近代医学を学んだ医者が当たり前の顔をして説明するとは余りに学のない話だ》。
《この先目を通しても代り映えしそうにない。続きは明日に回すことにする》。
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