M・ジャクソン、F・フォーセット
アメリカの著名な歌手と女優が昨25日、死んだ。片や原因不明の、片や癌で。男は若くから少年愛を取り沙汰され、女は華やかな女優として。いずれにしても私には、どちらも大して関心のある人たちではなかった。特にジャクソンは、時としてテレビ画面のニュースで見る(歌は聞いたことも聞きたいと思ったこともない)だけの時の人としてのいかがわしい趣味の人としてだった。最近のテレビで見る顔は、どれだけ繰り返したか分からない整形(形成も?)のための髑髏顔を隠すように、前髪を垂らして大型の黒っぽい色眼鏡をかけ、若い頃からは想像もできない不健康な容貌に変っていた。毎日新聞(6/26)夕刊が、若々しい少年時代の溌溂とした彼から、今年50歳の気味悪い顔まで、5枚のカラー写真を並べた。私のようなへそ曲がりには、彼の死には何の感慨もない。
一方のF・フォーセット(62)、私の記憶に間違いがなければ、彼女の若い頃の美しい身体は、昨年休刊となったプレイボーイ誌で何度かお目にかかっている。彼女の癌は早くから話題になっていたようだが、預かり知らないところだった。それが3日前、日本で言う便利な事実婚の間柄を、相手の男性(68、俳優ライアン・オニール)から正式に結婚を申し込まれて受入れたことが報じられたばかりだった。彼女が活躍したテレビドラマ「チャーリーズエンジェル」(76年に始まった)は、見ているが、特に記憶に残るものはない。
話は変わって、今日、スーパーに行って驚いた。あれほど出ていた苺が姿を消して見当たらない。これほど季節感がなくなってしまったとは思わなかった。何度か取り上げてきたが、「目に青葉 山時鳥 初鰹」が代表する昔旬と言われた食べ物が、今現在は全く季節感をなくし、旬ではなくなったものが多い。苺もそうだ。6月が来て店頭に並んだ赤い実を眺めては、そろそろ夏の到来を感じ、夏休みの近づくのをわくわくしながら待った遠い昔を思い出す。その旬の食べ物が、旬の時期に見当たらないのだ。
日本人は四季の移り変わりや旬を楽しみ、文学の世界、俳諧の世界や食の世界に、世界に誇れる文化を築いてきたはずだ。しかし、夏の氷やアイスキャンデーも、今では1年を通していつでも口にすることができ、苺もクリスチャンでもないのにクリスマスの季節が最盛期となった。それにつれて味覚も衰え、外国人の舌で日本料理の格付けをされて、有り難や有り難やと喜んで行列をつくるまでになった。
昔人間には戸惑うことの多い世の中になったものだ。
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