中大教授殺害
秋葉原でもそうだったが、又もや甘ったれの人殺しだ。今度の山本とかいう容疑者、一応は中央大学を卒業しているようだ。それなりに読み書き算盤はできたのだろうが、ただそれだけだ。生きることについては何も学ばず、お母ちゃんに言われるままに習い事に通ったり、机にかじり付いていただけのようだ。人生への思索もなく、自分を見つめる目も養わず働くことの意味も理解できていない。働く気力など初めから持ち合わさず、次から次に仕事先を替えて転々とし、「自分の描いた将来像と違ってしまった」と07年9月からはアルバイトの掛け持ちをしていたという。山本容疑者に限らず、自分に合った仕事にこだわる人間は多い。しかし、自分に合った仕事とは、先ず自分を見つめ、自分を知ることができなければ見つかるものではない。やりたいことが合うとは限らない。
早い話、自分は投手に向いていると思っても、指導者は、もしも、優れて備わっていれば、その人物に別の才能を見つけ出してくれるものだ。早稲田実業から投手で巨人入りした王貞治であったが、打撃のセンスを見出され、今では誰でもが知る世界のホームラン王となった人もいる。やりたいことがやれるとは限らないのだ。
6月4日付週刊誌「週刊文春」「週刊新潮」が山本について書いているが、共通しているのが「母の溺愛」だ。ぼやく息子に「竜ちゃんが悪いんじゃない。会社が悪いのよ・・・」(文春)や、「100万円のバイオリンを持ち、教室への送迎は外車。しかし、両親の不仲が影を落とす。(新潮)これではまともに成長することなどできるわけがない。情緒不安定になるのは分かり切ったことだ。母親として子を諭すこともできず、うまく行かないことは何でも世間や他人のせいにして聞かせる。甘やかすだけの最低の母親だ。
その山本容疑者の世間を甘く見る生き方に、苦言を呈してくれる高津教授を逆恨みし殺意まで抱くことになったのだろう。世の中は、自分の思いどおりに動いてトントン拍子に認められる、とは彼が思い浮かべていた将来像であったのに、上司や周りはそうはいかない。こんな会社にいられるか、ということだったのだろう。部下の日常の働き方を見ていれば、その結果を見れば、その人物が仕事をどこまで理解できているか、そして能力はすぐに分かる。
それにしても、事件が発生したのは1月14日だった。この4カ月間、逃げおおせるとでも考えていたんだろうか。
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