最下層被差別調理人の作る給食を拒否
毎日新聞(4/4)から、 《 》内は私見。
ややこしいタイトルになったが、インドに残る身分制度(カースト*)の最下層に置かれ、不可触民(ダリッド)と差別されている人たちのことだ。
* カースト 南アジアの因習的な身分制度。高位順にバラモン、クシャトリ、バイシャ、シュードラ の4区分がある。ダリッドはさらにその下に置かれ、人々が嫌がる仕事になうなど露骨な差別を受けてきた。政府は、低位の人々に医療補助や大学の入学枠などを定めたが、今度は中高位の人々が「逆差別だ」と訴える問題も起きている。
《日本でも過去には、屠殺をなりわいとする人たちを集団で住まわせたことから特殊な部落を形成して生活する人たちがいた。比較的都会では少なくなったとはいえ、今でも全国的に部落民とささやかれ、進学や就職、結婚などで差別を受ける人たちがいる。》
インド北部の小学校で、ダリッドと差別されている人々が作る給食をボイコットする騒ぎが起き、波紋を広げているという。経済成長や国際化が進むインドだが、数千年続いてきた悪しき慣習はなかなか消えない。
騒動が起きたのはウッタルプラデシュ州東部アンベドカル地区にある小学校。同州は人口約1億6000万人のうち約6割が低位のカーストに属している。07年5月の州議会選挙で、ダリッドが支持母体の「大衆社会党」が大勝し政権を掌握した。こうした情勢を背景に同地区の評議会が昨年12月、ダリッドの女性2人を小学校の調理人として初めて採用した。ニルマラ評議会議長(35)は「いい料理人を探していたら2人を見つけた」と“能力主義”を強調する。
ところが、全校児童129人のうち半数に当たる中高位カースト65人の親が採用撤回を要求してきた。聞き入れられなかったことから、自分の子どもに給食を食べさせるのを拒否する事態に発展した。父親の1人は「これは差別ではなく、我々の伝統文化なのだ」と言い切った。
《自分よりもまだ低い下がいて、上位意識が持てることで安心できることが、差別がなくならない要因でもある。》
これに対し、ダリッドの調理人、マダヌラさん(28)は、「仕事に生き甲斐と誇りを感じている」と言った。勤務時間が短いため給料は1日わずか20ルピー(約41円)だが、「公職に就けたこと自体が嬉しい」と笑顔を見せた。もう1人のプラワティさん(50)も、衛生面には細心の注意を払っている。「食中毒が起きればダリッドから二度と雇ってもらえなくなる」との危機感からだ。
学校では昼時になると、給食を食べる児童と、それを後ろで見守る児童に分かれる。ボイコット組は自宅に帰って昼食を食べている。ただ、両親から給食を食べてはいけないと言われているラジャン君(12)は「1度内緒で食べたけど、おいしい。それに友だちと一緒に食べる方が楽しい」と。その言葉に周りの子どももうなずいてみせた。
同地区は、身分差別を禁じたインド憲法(50年制定)の草案責任者で、ダリッド出身のアンベドカル元法相の名と同じだ。そのため給食拒否問題は全国に議論を巻き起こす事態となった。
3月下旬に問題を最初に報じた地元の「サハラ・テレビ」のハヌマン・シン記者(30)は、「カーストは人間の可能性を奪う。インドのジャーナリストも高位カーストの特権職業だったが、今はカースト間に能力差などないことが証明されている」と語り、カースト全廃の必要性を訴えた。
《とはいいながら、「カースト全廃」にはカーストの言葉が付きまとう。日本の部落民問題の「解放」も同じだ、何からの解放? 差別からの解放、で差別の字がついてまわる。知らなければ何と言うこともないカーストや部落民について中途半端な興味を持つ。そして、ああ、まだ下に人がいるんだな、俺は、わたしは、まだましだな、自分はいま以上には悪くなるまいと考える。カーストがあることで1ランクでも上位の人間は逆に住みやすくなるのだ。その悪しき慣習の安住の地が脅かされると感じたことが今回の騒ぎを大きくしているのだ。》
《私の愛聴盤に当時人気のグループ「赤い鳥」が歌った45回転のシングル『竹田の子守唄」がある。売れるほどに一体この竹田の地はどこだろう、土地探しが始まった。そして、被差別部落が突き止められ、その途端にメディアはこの名曲を電波に乗せなくなった。私に言わせれば逆差別とでも言える扱いだ。このように却って差別意識を煽るようなことになるのだ。》
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
インドのカースト制度は根深いものがありますね。
以前ゴミを拾うことも階級によって決まっているから、だれもが清掃を簡単にできず、ゴミがたまったままだと読んだ事があります。
竹田の子守唄を久しぶりにYouTubeで聞いてみました。胸にグッと来る良い歌ですね。子どもの頃はその背景など考えもせず聞いていたはずですが、その成り立ちなどを知ってしまうと素直に聞けなくなってしまうような気がします。
他にも岡林信康のチューリップのアップリケとか、無理に隠す事が決して差別を無くすものではないような気がしておりました。
投稿: BEM | 2009年4月 5日 (日) 18時13分