続・「命」の授業
毎日新聞(4/4)から、 要約 と 《 》内は私見。
《命を粗末にする輩が年々ふえている。不景気が要因とも考えられているが、その数は昨年一年間で3万人を超える数をかぞえた。社説は「救える命を助けよう」とある。しかし、助けてその後の人生が恵まれるのかどうか、死ぬより苦しく辛い人生が待っているかも知れないのだ。自殺は社会的病理であり、個人の問題として片づけず、社会的要因を探って除去すべきだ、と書く。》
《しかし、死ぬことは生きることと同じ本人の自由(責任)でもあり権利でもある。好きに選ばせればいい。助けることはいらない。ただ、多勢の人間が乗っている電車や地下鉄に飛び込んだり、自動車に乗り込んで一酸化炭素中毒や、海や河川に飛び込んで、税金の無駄遣いになる警察や消防の手を煩わせるような迷惑がかからないように、姿形が残らないよう、死に場所を選んで消えてくれればいい。》
【閑話休題】
《3年前、「命」の授業 を書いて、鹿児島県の小学校でアイガモを使った無農薬栽培で、役目を終えたカモを子どもたちが保護者や農家の人とさばいて食べる活動、生き物の「命」を学んでいることを書いた。》
今日(4/4)から3回に亙り「殺して食べる」と題して毎日新聞が「いのち」と向き合うことで生きることを考えようと1回目、“肉はどこから”を取り上げた。
「おっちゃんらは牛や豚を殺して品物にしています」。大阪府内の食肉市場の屠場*で働く岩本俊二さん(51)は1月下旬、大阪市西成区の市立松之宮小5年の総合学習の時間に講師として招かれた。黒板には「肉ができるまでのことをしっかり知ろう 働く人の思いを知ろう」と書かれている。
* 屠(畜)場、私たち世代には屠(と)殺場として知られていた。現在全国には160カ所近い屠場がある。その多くは、地方自治体が設置し第3セクターなどが運営している。屠畜場法は「牛、馬、豚、緬(めん)羊、及び山羊(やぎ)」については原則として、都道府県知事(保健所を設置する市の市長)の許可を受けて設置された屠場内でしか食用に屠畜・解体することはできないと定めている。
現在、日本の屠場では牛や豚を気絶させ、放血してから枝肉として出荷するまで一度も床に触れることがない「オンレール方式」を採用。01年に国内でBSE(牛海綿状脳症)が発生後、屠場に入ってくる全牛の検査を実施しており、結果が出るまでは肉も内蔵も外部に出せない。
岩本さんは、市場内の写真や牛の皮を剥ぐ道具を見せ、牛を枝肉にしていく工程を説明した。肉と皮を傷つけずに皮を剥ぐには技術が要ること、差別を恐れて結婚相手の両親や自分の子どもにも職業を言えない同僚がいることなども。児童の質問に岩本さんは次々と答えた。
ここ10年近く、「食育」の大切さが盛んに言われ、総合的な学習の時間などに農業体験や魚の解体を取り入れる学校が増えた。しかし、肉を切り口にした食育はあまり進んでいない。社会科の授業では5年生は職業について学ぶ。主な出版社の教科書は農業、水産業に20ページ前後を割き、酪農や畜産に1、2ページを充てていても、牛が食卓に上がるまでの課程には触れていない。消費者の目から屠場を遠ざけてきた背景には、動物を殺すことへの忌避(きひ)意識や、動物の解体に従事する人たちへの差別の歴史《4日のブログで少し触れた》がある。
松之宮小は人権学習の一環で「牛」の学習を約20年続け、学区内のホルモン店や牛革を使う太鼓店を見学している。05年度の5年生は、牛を肉にする仕事を学ぶことにした。
《鹿児島県の小学校では、逆さに吊るされたカモの首を切り、放血させるのを直に見せるのだが、暴れる牛(或いは電気ショック後でも)の放血も、きちんと見せるのだろうか。》
岩本さんを招いた授業の前、授業を担当した中井久子教諭(51)らが児童に屠場のイメージを尋ねると、「暗い」「残酷」などの言葉が並んだ。そこで、食べ物がどこから来るのか考える教材として絵本「いただきます!」(二宮由紀子文・荒井良二絵、解放出版社)の読み聞かせから始めた。絵本は、人間も食物連鎖の中で生きていること、おいしそうなハンバーグが食卓に上がるまでには多くの人たちの仕事があることを伝え、皿の上にのった牛や鳥や野菜たちが「かわいそう」かどうかを問いかける。
さらに、日々食べている肉が実際にどのように作られるのかを知るために、牛の眉間を特殊な銃で撃ち失神させる「ノッキング」と、「放血」の映像を見せた。
《やはり、目の前で、実像でないと効果は半減する。》
衝撃を受けるかもしれない映像を児童に見せるかどうか、事前に教員同士で話合った。「肉を取り上げる時に、直接『命』にかかわる部分が普段隠されている。なぜ隠されているかも含めて子どもたちに考えてほしかった」と中井教諭。結局、映像を直視できなかった児童は1人で、多くの児童は教師たちが以外に感じるほど淡々としていた。
岩本さんの授業中、児童が質問した。「ノッキングや放血の時、どう思っているんですか」。岩本さんは「失敗しないように、喉を切る時にまっすぐ切れているか、ちゃんと血が抜けているかを注意しながら仕事しています」と応じた。あくまで肉を作る工程の一つという意識だ。
授業後の感想文で、児童の1人は「まだ(牛が)かわいそうやなという気はするけど、その仕事をしないと自分も食べることができない」と綴った。中井教諭は「食に関する学びも、屠場差別を知ることも、命をめぐる問題の本質を直視すること。屠場から学ぶことは多い」と語る。
国内最大規模の東京都中央卸売市場食肉市場の芝浦屠場(東京都港区)では、毎日平均牛380頭、豚850頭が解体されている。JR品川駅に近い市場の中心に「お肉の情報館」ができたのは02年12月。家畜の飼育から出荷、解体の工程を一般向けに紹介する数少ない施設だ。枝肉や内蔵の実物大の模型、毛皮にも触れることができ、年間2000〜5000人が見学する。
市場で働く栃木裕さん(52)らも小学校などに出向き授業を重ねてきた。「以前は、殺しているけど『活(い)かしている』と説明してきた。今は殺していることを否定してはいけないと思う。すべての人間は他の生き物の命をもらってしか生きられないんだから」と語る。
多くの家庭で毎日のように食卓に並ぶ肉。しかし生きた牛や豚が肉になる過程が顧みられる機会は少ない。そんな中、食肉を知ることを通じて生きることを考えようという動きも出てきている。
《日本には何の関係もないことで大騒ぎする、北朝鮮の話題ばかりの新聞に目を通すのがいやになっていたところだ。久しぶりに骨のあるテーマが取り上げられた。後に続く回に期待する。》
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