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2009年4月18日 (土)

イタリア大地震、石造りの家が招いた惨劇

 6日の未明、イタリア中部で発生した地震は、震源地に近いアブルッツォ州ラクイラなどで死者が出た。当初確認できた死者25名から、全容が分かるにつれて犠牲者の数は7日中に92名、100、150、179、235そして、260人を超す数にまで増えていった。震央から約3キロ離れたオンナ村も砕け散った石の山と化した。この村は第二次大戦中にドイツ軍の侵攻で焼き尽くされ、再建されたのは良質な材料に不足していた大戦直後のことだ。

今回の地震エネルギーは阪神・淡路大震災の約8分の1に過ぎない〈マグニチュード(M)6・3〉が、約8万人が家を失ってしまったという。オンナ村の潰滅状態の家は材料不足のため、強度の不足した石ばかりが散乱していて、まともな鉄筋は見当たらないという。

ニュースを聞いた途端に急に遠く半世紀も遡った時代(私の20歳代)に見たイタリア映画(1956年作、『屋根』 ヴィットリオ・デ・シーカ監督)を思い出していた。話もちょうど今回の地震で壊れた村々の出来事と重なる時代、戦後の荒れ果てたローマ郊外で撮られたものだ。

子沢山の実家での窮屈な生活に絶えられず、他に住む家を探している若い新婚夫婦の話。ローマ郊外の市有地に、一夜で屋根さえある小屋を建て上げれば、警察官が見回りに来ても完成したものとみなし、立ち退かせることは居住権侵害になるので、罰金で済ませることができた、という時代。建てかけて資金難で途中諦めた他人の後を引き取り、喧嘩別れしてきた実家の兄妹たちの応援を受けて壁になる煉瓦を積み上げる。窓を作り、夜も白々とあける頃、ほんの少しを残して屋根が上がるところまで来るが間に合わないと見ると、急遽ベッドを持込み、子どもを寝かせる。見回りに来た警察官は、若い夫婦のトッサに仕組んだことを見抜くが、見ぬ振りで立ち退き命令を出さずに立ち去る。

今回の地震の惨状でまっ先に『屋根』を思い浮かべたいきさつは、日本のように凄まじいばかりの復活を遂げた国と違い、イタリアの疲弊は貧しい時代の産物のままの家を、日本と同じ地震国でありなら『屋根』時代のまま建て替えることもできないでいたためと感じたからだ。

しかし、ここに来てイタリアも耐震化を進める動きが出てきたという。イタリアのメディアは次々に指摘し始めた。「日本に学べ」と。

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