英語 小学5、6年生必修化に向けて
まともな日本語も喋れない大人が多い中、英語コンプレックスの政府は、2011年度から小学5、6年生で年間35時間(週1時間)の英語が必修となるが、一部の学校は移行期間が始まる今年度から前倒しでスタートするという。
教員の研修シーズンである昨年の夏休み、『小学英語「教え方」伝授』の教員向けセミナーが各地で続々と開かれた。カリキュラム作り、英語を使ったゲームや歌などを、楽しむだけで終わらせないために取り入れる方法などが講議の内容だった。
毎日新聞(4/25)から、
初めまして(英語)、私は○○です、(英語)。外国語指導助手の挨拶に子どもたちが英語で続く。のどかな農作地帯が広がる茨城県南東部の町、行方市の小貫小学校。今月16日、5年生の教室で新学習指導に基づく初めての英語の授業が行なわれていた。
全校児童66人。1学年1クラス、一部は複式学級の小さな学校だ。都会のように日常的に外国人に接しているわけではない。「外国では相手の目を見て挨拶するよ」。恥ずかしそうにしている子どもたちに担任の高須智子教諭(42)が声をかける。
授業は文部科学省が今年度から全国の小学校に配布した新教材「英語ノート」に沿って行なわれた。ノートの第1回は「自己紹介」。助手のデービッドさんが、指導資料に従って「私の好きな動物はパンダ。君は?」と英語で聞くと、「ドッグ」「ラビット」と答えが返ってくる。うまく答えられずに、もじもじしている子どもには高須教諭が横について「何が好きだっけ?」と助け舟を出した。
文科省は11年度まで3年間かけて段階的に英語の「必修化」を進めることにしている。この間の授業時間は確小学校長の裁量に委ねられているが、茨城県では今年度から県下一斉に年間35時間の授業が始まる。県教育庁は「11年度に自信を持って英語の授業ができる状態にするには、移行期間の初年度から35時間で行なう必要がある」と説明する。
《小学校長の裁量の件では、教育現場の組織化が問題になっている。東京都の場合、6年前に都教委の人事異動の実施要綱が変り、校長は自らの学校経営方針に基づき、異動を決められるようになったのだ。校長の方針に異議を唱えることは、異動を示唆されたり、最後通告を受ける覚悟が必要なのだ。締め付けは年々厳しくなる。》
◇同紙21日の記事に、次のような例が出ている。東京都目黒区教育委員会の職員は新聞記事に仰天し、ある区立中学校の校長に電話をかけた。「早急に事情を確認して、説明に来てほしい」。絶句する校長にたたみかけた。
◇問題とされたのは、同紙2月23日朝刊(東京本社発行版)の「小学校英語に否定的、授業受けた中学生多数『役に立たず』」という記事。広島市で開かれた日本教職員組合の研究集会で、この中学の教諭が発表したアンケート結果を報じた。昨秋調査した中学生168人のうち108人は小学校英語が「役に立っていない」と回答。半数以上は「楽しくなかった」と答えた。
◇小学校英語は、2年後に全面実施される新学習指導要領の目玉だ。文部科学省も今春から全国の小学校に約260万部の補助教材を配り、力を入れる。その矢先の否定的な報道に、区教委は慌てた。校長は「調査は知っていたが、発表するとは知らなかった」と釈明したという。
◇教委の職員は「小学校でも授業改善を進めているのに『楽しくない』などというデータを出せば、(小中の)地域連携に影響する。中身を確認してから(発表を)進めてほしい」と厳しく叱責した。
◇区教委は「授業で取ったデータを外に出す際、校長に了承を得るのは当然。そんなものがどんどん出れば保護者が不安になる。発表の内容を問題にしたわけではない」と説明する。
茨城県内のほぼすべての小学校は既に、「総合的な学習の時間」を活用して何らかの英語教育を行なっており、県平均では年間18時間(07年度)に上る。ところが取り組みには差があり、国の「英語特区」に指定された水戸市が年間55時間に上るのに対し、小貫小など多くの学校は10時間以下だ。
全国連合小学校長会が昨夏行なったアンケート(861校の校長が回答)では97%が英語教育を導入済みで、授業時間が「年間35時間以上」も17・5%に上った反面、「15時間以下」が過半数を占めるなど、学校による取り組みの差は大きい。
、また、文科省の07年度調査では、英語教育のための校内研修を「実施した」と答えた学校は、「実施していない」学校の6分の1程度でしかない。こうした現状を踏まえ、同校長会のアンケートでは、87・9%が「担任等の指導力向上を図る研修の充実が必要」と回答。「指導補助や英語が堪能な地域人材の確保」を課題に挙げた学校長も4割以上に上った。
他のアジア諸国の現状を見れば、韓国や中国、台湾、タイなど多くの国・地域が小学低学年で英語を必修化している。政府の教育再生懇談会は昨年5月、必修化時期を小学3年まで引き下げるよう提言した。その一方で、日本語教育が疎かになるという批判の声もある。
《若者文化とはいえ、町に氾濫する歌や会話の日本語らしからぬ日本語の飛び交う現状で、他の国が英語教育をやっているからといって日本でもやるのか。教育の現場の実情を知る限りでは、教える側の付焼き刃さえまだ整ってもいない様子が見えてくる。》
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