続・「命」の授業 - 下 -
牛を牽いてトラックから降りて来る男性、牛がいなくなった係留場を掃除する職人、水の中に肘までつけて内臓を洗う女性たち……。大阪府中部に位置する松原市の屠場を撮影した写真家で映画監督の本橋成一さん(69)のモノクロプリントだ。本橋さんは、80年代と現在の屠場で働く人々を収めた写真集を今年出版する予定。屠場の撮影はいわばライフワークになっている。
本橋さんは東京で公開中の映画「バオバブの記憶」など、世界各地で自然や動植物と深く係わる人々の暮らしを記録してきた。松原とのつながりは、86年公開のドキュメンタリー映画「人間の街」の制作時にスチール・カメラマンとして、松原市立屠畜場(当時。現在は南大阪食肉市場に再編)の人たちを撮影したのが始まりという。
国内の屠場は現在、衛生上の理由や作業の効率化のために、オンライン方式で牛や豚を解体する。牛の場合、失神させた後、放血しながら、天井から吊り下げられたレールに後ろ脚を引っかけ、一度も肉を床に触れさせることなく皮を剥ぎ、内臓を出して枝肉にする。職人が各工程を分担して作業に当たる。
本橋さんが撮影した80年代半ばは、牛を床に寝かせた状態で皮を剥いでいた。「当時は自分でハンマーみたいなもんで牛の眉間を叩き、自分で剥いた。今より苛酷な仕事だった」と南大阪食肉市場の村上幸春社長(62)は振り返る。「入った当初、なんぼ叩いても牛が倒れず、周りから『牛の耳を噛んだら倒れる』って(冗談を)言われて本当に噛んだ。必死やったから」と話す一方、「5、6分あれば1人で1頭の皮を剥けた」と職人時代の自負も覗かせる。
本橋さんの目にも、80年代の解体の現場は「人間と牛の真剣勝負」に映っていた。「肉を作る過程で今以上に機械化が進めば、外部から関心を持たれる機会がますます減って、一層いのちが見えなくなる」と危ぶむ。
《私は絶対に口にすることができないのだが、鉄板の上のじゅーじゅーと血がしたたるような肉を頬張る人間が、食通と呼ばれてご満悦だ。「牛や豚は人間に食べられるために生まれてきたんだ」と。おそらく、自分で捕獲し、殺し、解体しなければ食べることができなかった時代の人間たちは、動物たちが、人間に食べられるために生まれてきたものだとは思わなかっただろう。それほどまでに人間が傲慢ではなかった筈だ。むしろ命を食することへの感謝の念を抱いたであろうことは容易に察しられる。何時の頃か生き物に優劣をつけ、高等、下等の分類を始め、その頂点に勝手に人間を置いた。生き物への差別化の感情が生まれた。》
本橋さんが人間と動物のかかわり方を考える原点は、終戦直後の少年時代の体験だ。東京都内の焼け野原にバラックを建て生活を始めた一家は、常時十数羽の鶏を飼っていた。
「月に1、2回鶏を絞める時、父親は必ず僕を立ち会わせ、解体の手伝いをさせた」。餌やリは本橋さんの仕事で、名前を付けて可愛がっていた鶏を鶏を可哀相に思うと同時に、久し振りに食べられる鶏肉は本当に嬉しかった。本橋さんは「現代はいのちを学ぶことが難しい時代。柔軟性のある子どもうちに殺している現実を見せる荒療治も必要ではないか」と提案する。
《本橋氏の家庭に限らない。敗戦後のちょっとした庭のある家庭では、鶏や兎を飼っていた。勿論愛玩としてではない。食糧難の時代の栄養補給が目的だ。自分で絞めたり放血のできない人は肉屋さんに持っていけば捌いてくれた。我が家では鶏や兎は母か祖母が捌いた。いのちを戴く思いは子どもの頃から身についていた。》
「食と環境問題」というテーマの中に、牛肉が食卓に届くまでの過程を描いた本が3月に出版された。食糧自給率や温暖化と食の関係性などを解説した「たべものがたり」(ダイヤモンド社)。トラックで屠場に運ばれた牛を休ませる場面や、解体、競りを経て店頭に並ぶまでを詳細なイラストと文章で説明する。
本を作製したNPO法人「Think the Earth プロジェクト」(事務局・東京】は、環境破壊や富の偏在など地球規模の問題を見据え、これまで「いきものがたり」「みずものがたり」を出版。上田壮一プロデユーサー(43)は「食と地球環境を考える時、農業の情報は多いが肉の情報は少ない。見えにくいからこそ、メッセージ性を強調せずにありのままを伝えたかった」という。
長年、食育の重要性を唱えてきた料理研究科の服部幸應さん(63)は「食べると言う行為の根幹は、いのちを繋いでいくためにいのちを戴くということ。他の動物の親が子に餌の取り方を教えるように、人間も自分たちの食べるものの成り立ちを子どもたちに伝えることが重要だ」と語る。
《食卓に並ぶ魚の切り身を食べても、元の姿を知らなかったり、野菜がどのようにどこで成長するのか(もっとも最近ではバイオ技術も取り入れられ、必ずしも土を必要としない育て方もあるが)を知らなかったり、動物園以外では牛や馬も見たことがない子もいる。言葉だけの「食物連鎖」を勉強しても、いのちの授業には程遠い。》
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