敗戦後60年以上を経過して、家族制度や家族の崩壊は年とともにますます日本の社会をおかしくして行く。小中学生の不登校や暴力行為など、過去になかったとはいわないが、本来は保護者や家族の家庭内教育や躾けによって小学校に上げるまでに子の情操教育はある程度身につくものになっていた。
小学校では、先生のお話は大人しく椅子に座って聞くことや、勝手なおしゃべりはしないことや、お友だちとは喧嘩しないで仲良くすることや、女の子には優しくすることなどが出来ていれば、学校は楽しいところで殆ど不登校など考えられなかった。それでもよほど家庭が貧しくて、子どもながらに幼い弟や妹たちの世話や親の手助けをしなければならない家庭の子はいた。そして、多くの家庭では学校から帰れば必ず迎えてくれる母がいて、家族がいた。
日本の高度成長期、生活が豊かになるに乗じて母親たちは、生活には困らないがさらに収入が欲しい」*との思いから職場進出が増え、家を留守にする母親たちは子どもに鍵を持たせ、子どもたちは「鍵っ子」と呼ばれる存在になったが、それには別の要因も加わっていた。「家つき、カーつき、ばばあ抜き」の言葉で表されるように、姑と一緒には生活をしたくないとの花嫁の力が強く、(核家族化の始まりと同時に、この頃から女性上位の機運が始まった)帰宅後の面倒を見る祖父母の参画もなくなった。子どもが鍵を持つことから、鍵が奪われたり、子どもの帰宅時を狙った犯罪も発生することがあった。
* 昭和43年総理府調査では「他に働く人なしで生活に困っている」の28・4%に比べ、「困っていないがもっと収入を増やしたい」が49・2%だった。
厚生省(当時)昭和44年10月の「全国家庭児童調査」によれば、小学生は109万人、中学生は374万人の合計483万人が「鍵っ子」であると推定された。
子どもが学校から帰宅後に家族の目が届かない状況で放置される時間の増加は、情操教育、社会教育の喪失にもつながった。両親の就労の増加は学校行事への参加ができなくなり、学校教育と家庭教育との乖離を生じることにもなった。増加する鍵っ子対策として、学童保育や放課後の校庭使用時間を延長するなどの対策がとられたが、母親のアルバイト等短時間契約から正社員への就労傾向が進むに連れて、子どもの1人になる時間帯は増える一方で、情操教育の遅れが目立ち始めた。社会性を身につけていない子どもたちは、座って先生の話を聞くこともできず、歩き回って学級崩壊まで引き起こした。このような、小学校にあげるまでに本来なら各家庭の親が教えるべき、社会人となるための基礎教育や道徳教育などの家庭内教育の欠落を埋めるため、生まれたのがスクールカウンセラー(SC)や今度のスクールソーシャルワーカー(SSW)なるものだ。
【閑話休題】
毎日新聞(3/16)から、(カタカナが煩わしいので省略で代える)。《 》内は私見。
小中学生の不登校が06、07年度と2年連続で増加し、暴力行為も深刻さを増す中、社会福祉の専門家であるSSWの活動が注目されている。一部の学校で効果を上げているが、認知度や人材の不足が課題になっているという。
大阪府寝屋川市立和光小(丸山涼子校長、児童数639人)では、毎週金曜の午後4時になると、図書室で「ケース会議」と呼ばれる会議が始まる。学習状況や生活環境などで気になる児童を取り上げ、問題解決に向けて話し合いをする。その児童の担任や前担任など関係する教員と校長、教頭に加え、SSWが出席する。
会議の進行役はコーディネーターと呼ばれるベテランの女性教員。担任は持たず、問題解決を専門に担当している。気になる児童の学校や家庭での様子などを書き込んだカンファレンスシートが全員に配られ、先ず担任から児童の最近の状況が報告される。《それにしても何かと横文字好きなことだ。》
続いて、コーディネーターが家庭環境について説明。養護教諭が児童のここ数年の身長、体重の変化など成育状況を伝えた。別の教員たちからも校内で見かけた児童の様子が次々と報告される。
「この1週間で急に落ち着きがなくなった気がする」
「昨日は表情は良くなかったなあ」
「○○君とは仲がいいようだ」
など、やり取りを聞いていたSSWの佐々木千里(関東学院大非常勤講師、元中学校教員)が、「作文ではどんな表情で気持ちを表していますか」「字はどんな感じですか」「教室の席はどこですか」などと質問を投げかける。答えを聞いた佐々木は「決まりごとはきちんとできるのがこの子の強みなので、この時間は席に戻ろう、みたいに区切りをつけることもいいのでは。席の位置も田の児童の出入りが気にならない所がいいと思う」とアドバイスした。
最後にコーディネーターが「担任は座席のことを考えてもらえますか。○○先生は引き続き行動観察をお願いします。保護者との信頼関係については、私と教頭がつないでいきたいと思います」と締めくくった。
《1週間の気の落ち込みや表情など、1番分かっているのは親,保護者のはずだ。上の会話を聞いていると、まるで子どもが壊れ物のような感じだ。何か手違いでもあれば、とバカ親たちの怒鳴り込みを恐れてでもいるのだろうか。》
和光小は05年度から、ケース会議を年間40回ほど開いている。きっかけは05年5月に大阪府の独自事業でSSWが1人配置されたことだった。就学援助受給率が市内でも高い方に位置するなど厳しい家庭環境の児童が少なくなく、長期欠席・不登校が全児童の5%前後に上るなど課題を抱えていた。
SSWは社会福祉の専門家として学校に入り込み、学校や家庭、地域など子どもを取り巻く環境の改善を図り、児童相談所など関係機関との連携役を務めることが求められている。ケース会議への出席も活動の一環だ。
ケース会議の目的は、問題行動などの背景や原因を探る「アセスメント」と、それに応じた適切な対応を考える「プランニング」。小中学校では「学級王国」的な考えが根強く、学級の問題を担任が1人で抱え込んでいたり、担任に押し付けられることが少なくない。ある児童・生徒に関する情報も各教員が断片的に持ち、共有できていない。ケース会議では、それらを持ち帰って整理し、SSWの助言を受けながら解決の糸口を探っている。
丸山校長は効果として 1)「困った子」というのは、実は自分ではどうすることもできない中で「困っている子」なんだと、教員の子どもに対する見方が変わる 2)問題はチームで対応するという意識に変わる 3)関係機関とのつながりができる、ことなどを挙げる。和光小では現在、不登校ゼロ、長期欠席は1桁台だという。
丸山校長は「子どもは本来、人に褒めてもらいたかったり、いろんなものに関心を抱くものだが、学校、家庭、成育環境が阻んでることも少なくない。それが『どうせ僕らは・・』と投げやりになって問題行動につながる。SSWと恊働しながら安心して学びに専念できる環境を整えることが必要だ」と話している。
《子どもに何かあれば周りがせっせと面倒見てくれる。親は子どもを生産するだけなのか。子どもが学校を休もうと、喧嘩、暴力沙汰をおこそうと、われ関せずだ、親が働くということはこういうことなのか。これまで見てきたのは従来福祉の現場で活躍する人たちの学校参画版だが、学校現場には広く浸透しているSCとの違いは何だろう。》
文部科学省によると、SCは子どもの心のケア中心で、SSWは子どもを取り巻く環境の改善に主眼を置くというもの。SCは臨床心理士や精神科医が務めることが多い。95年度から文科省の事業として全国に配置されるようになり、神戸連続児童殺傷事件(97年)や大阪教育大付属池田小乱入事件(01年)を機にますます必要性が高まり、07年度には全国の公立小中高の約3割にあたる計1万1460校に配置された。配置校のうち約8割が中学校だが、文科省は今後、小学校にも拡大していく方針だ。
それに比べSSWは社会福祉が軸になるが、これまで社会福祉士の活動の対象は高齢者や障害者が中心だった。SSWの先進地が大阪府で、05年度から独自事業で府内の学校に配置してきた。04年度の中学生1000人当りの不登校生徒数が39・3人で、全国平均より12ポイント高いなど、課題を抱えていたことが導入の背景にあったという。
寝屋川市立和光小をはじめとする大阪府などの成果を受け、文科省は08年度から全国配置に乗り出した。09年度は予算ベースで、08年度の約400人から約1000人へと大幅に拡充する予定だ。
しかし、課題もある。まず認知度の低さ。北陸のある市でSSWの認定を受けた女性は配置先の小学校の校長から「必要なら呼ぶ」と冷たくあしらわれ、その後は声がかからなかったという。和光小でも当初はいぶかしがる雰囲気もあったが、校内研修を積み重ねていく中で、SSWの重要性が浸透していった。文科省は事例集を作るなどして周知を図っている。
《考えてみれば、家庭教育や躾けがきちんとできている家庭の子どもには、あえてカウンセラーなど必要ないといえるのではないか。北陸のる市がどこか分からないが、もしも、その市の小学校に不登校や喧嘩や暴力沙汰が起きていないのなら、校長の「必要なら呼ぶ」はまともな対応であったと言えなくはない。》
人材不足も課題だ。大阪府は公募の条件として、1)社会福祉に専門的知識を持つ 2)小中学校で活動経験がある、の2点を挙げるが、「なかなか二つを満たす人が少ない」(担当者)のが実情だ。
そこでSSWを養成しようという大学も出てきた。日本社会事業大(東京都清瀬市)は09年度から「SSW課程」を新設し、SSWに関する知識の習得と実習を取り入れたカリキュラムを組む。日本初のSSWとされる山下英三郎教授は「中途半端な知識のまま学校に入って逆効果になるのが一番怖い。SSWの育成が今後ますます必要になる」と話している。
《子は生むだけでよい、とでも言えそうな世の中になった。親たちの子どもに関する「放任」の考えが今のまま変わらなければ、山下のいうようにますます必要なのかもしれないが、私には無ければ無いで越したことはないもののように思える。》
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