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2009年2月13日 (金)

他国と比較「だから、どうした」

毎日新聞(2/12)から、 《 》内は私見。
 《神戸女学院大教授(フランス現代思想)・内田樹、現代詩作家:新川洋治・東大教授(日本政治思想史)・苅部直ら3氏が月1回、交代して執筆する「水脈」欄がある。

《今回は内田樹(たつる)の「日本特殊論」が載った。私のブログで福祉を取り上げる時、北欧の国々が日本と比べて如何に高福祉であるかを羨ましそうにレポートする学者や識者たちのことに言及している。しかし、それらの国の人たちが如何に高負担をしているかについては殆どのレポートでは触れないできたことに、常に苦言を呈してきた。

《たまたま、内田の小論に感じるところがあった》。

「日本特殊論」という言説がある。任意の論件について「日本は他国とこう違う」ということを列挙し、そこから「だからダメなんだ」と「だからよいのだ」と二種類のどちらかの言明を導くものである。私はそれ以外の第三の言明もあってよいのではないかと思う。

私たちがうるさく語り合うのは「アメリカではこうだが、日本ではこうだ」、「フィンランドではこうだが、日本ではこうだ」という類いの他国との比較だけである。私たちには「時代を超えて継承されてきた国民性格」に基づいて、国民として果すべきことを叙するという習慣がないのである。

私たちは「そういう国民」なのだ。私たちは「あるべき国民像」を、祖先たちの生き方を範とすることではなく、同時代の他国との比較でしか語れない国民なのである。それが「時代を超えて継承されてきた国民性格」であるなら、「それで何か問題でも?」と反問しつつ、その「同じ旅程」を私たちもたどる他ないだろう。

オバマ大統領の就任演説を読んでそう思った。彼はアメリカ国民に対して「歴史上のアメリカ人」たちを呼び出し、彼らと同型的なふるまいをすることを同時代のアメリカ人たちに求めた

「私たちのために、彼らはわずかばかりの身の回りのもの鞄につめて、大洋を渡り、新しい生活を求めてきました。私たちのために、彼らは苛酷な労働を担い、西部を拓き、鞭打ちに耐え、固い大地を耕してきました。私たちのために、彼らはコンコードやゲティスバーグやノルマンディーやケサンのような場所で戦い、死んでゆきました。繰り返し、これらの男女は戦い、犠牲を捧げ、そして手の皮が擦り剥けるまで働きました。それは私たちがよりよき生活を送ることができるように彼らが願ったからです。(…)彼らのたどった旅程を私たちもまた歩み続けています。」

これは端的に「アメリカ的」なスピーチだと思った。清教徒も、アフリカから連れて来られた奴隷たちも、西部開拓者も、アジアからの移民たちも、それぞれが流した汗や涙や血は、どれも今ここにいる「私たちのため」のものだったという国民の歴史の連続性が強調されていたからである。

アメリカ人がアメリカ人であるのは、「かつてアメリカ人がそうであったように振る舞う」限りにおいてである。つまり、アメリカ人の国民生活はその建国の時に初期設定されている。だからもし、アメリカがうまくゆかないことがあったとしたら、それはその初期設定から「逸脱」したせいなのだ。彼らはそう考える。そういう場合には「初期設定に戻す」のである(御作動したコンピューターといっしょである)。

「そんなの当たり前」という人がいるかも知れない。けれども、これは私たちにとっては少しも当たり前ではない。なぜなら、私たちには立ち還るべき「初期設定」がないからである。正確には、どの設定を「初期」とするかについての国民的合意が存在しないからである。ある人々は「敗戦」を、ある人々は「明治維新」を、ある人々は「天孫降臨」を、その他もろもろを「日本の初期設定」と信じている。だが、そのどれも国民的合意を得てはいない。だから、私たちは危機に際会したときに立ち還るべき原点を持たないのである。

私たちは関ヶ原の死者たちが「私たちのため」に血を流したとも思っていないし、北海道を開拓した屯田兵の苦労を「私たちのため」のものだと思ってっもいない。彼らの苦労と犠牲が私たちの世代への贈与であり、私たちも同じ贈り物を後世に手渡す責務があるとも考えていない。

私たちがうるさく語り合うのは「アメリカではこうだが、日本ではこうだ」、「フィンランドではこうだが、日本ではこうだ」という類いの他国との比較だけである。私たちには「時代を超えて継承されてきた国民性格」に基づいて、国民として果すべきことを叙するという習慣がないのである。

私たちは「そういう国民」なのだ。私たちは「あるべき国民像」を、祖先たちの生き方を範とすることではなく、同時代の他国との比較でしか語れない国民なのである。それが「時代を超えて継承されてきた国民性格」であるなら、「それで何か問題でも?」と反問しつつ、その「同じ旅程」を私たちもたどるほかないだろう。

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