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2009年2月 5日 (木)

弥生時代の始まりは

毎日新聞(2/4)から、要約と 《 》内は私見。
 「弥生時代の始まりは通説より500年も早い」という国立歴史民族博物館(千葉県佐倉市)の放射性炭素14を使った年代研究が、2003年春の公表から6年になる。翌年スタートした大掛かりな研究体制も5年の満期を迎え、これまでの成果をまとめた研究報告会が開かれた。研究の現況を整理した。

《現在学会を2分している卑弥呼の「邪馬台国」が九州にあったとする説、畿内にあったとする説が江戸時代から続いている。今度の弥生の始まりについても従来からの説と、学界を2分したまま決着のつかないテーマとして語り次がれて行くことになるだろう。世界中が1メートルの長さに国際単位があるように、歴史の時間測定に国際基準になるものがあれば異論を差し挟む余地はなくなるのだろうが、放射性炭素14が、自らの学説に優位な基準になる道具として利用されることのないように、と思う》。

報告によると、土器に付着した炭化物(煤、焦げ)を中心に測定数は全国の約5000点(縄文〜古墳時代)。これを踏まえ藤尾慎一郎・歴博教授は各地の弥生の始まり(水田稲作の開始時期)を、九州北部=紀元前10世紀後半、九州東部〜西部瀬戸内=前700〜前650年、近畿=前7世紀後半、北陸=前6世紀ごろ、東海=前6世紀中ごろ〜前5世紀末ごろ、東北=前400年前後、関東=前3世紀後半、と説明した。

「衝撃的」と深刻な波紋を呼んだ最初の発表が、データの蓄積によって補強されたことになる。通説では、弥生の始まり(九州北部)は前5〜前4世紀だった。

歴博の新年代観に対する反対論・慎重論は根強い。しかし、新年代は日本列島の年代観を拘束する大陸の青銅器編年の見直しを促し、研究者の多くが弥生の開始時期を早く考える方に動いている。

その中で代表的なのが、気候の寒冷化による社会変動と結びつける前8〜前7世紀説だが、歴博年代とはまだ100年以上の開きがある。

弥生の開始を左右する青銅器は、中国・遼寧省で生まれて朝鮮半島に伝わった遼寧式銅剣である。朝鮮半島最古の遼寧式銅剣の年代は日本の縄文末期と同時期になる。それがかつでは前5世紀といわれたが、今は前800年説が有力視される。このため弥生の始まりも前800年が上限となるが、歴博グループは前10〜前9世紀説を唱え、前800年の壁を破ろうとしている。

藤尾教授は「弥生の年代は中国考古学の動向いかんだ。いずれにしろ、5年前とは考古学的状況が違う」と述べ、新年代への自信を示した。

弥生の新年代には、韓国の研究者の関心も高い。(中略)弥生時代が遡れば、韓国考古学も重大な影響を受ける。来日していた釜山大学博物館の千・特別研究員は「歴博年代は古すぎるが、韓国でも弥生の始まりを前8〜前7世紀にみる研究者は多い」と話した。ただ、日本の九州の研究者に見られるように、新年代を全面的に否定する見解もある。

《物差が一つではない以上、反対論の存在は避けられないことだ》。

一方、新年代に基づく歴史像の探究も始まっている。藤尾教授は弥生土器1型式ずつの年代幅を約120年、約170年などと初めて示した。1型式を60年や90年などとみる従来の前提に比べ、大幅に長くなったことになる。

存続幅が広がっても遺跡(住居や墓)の数は変らない。このことは一時期当たりの人口の減少を示している。「俄には信じられない存続幅の数字。弥生社会を考える上で影響が大きい」と教授は述べた。このほか、「土器の形の変化は寒冷期に早く温暖期に遅い」「水田稲作は温暖期には広まりにくい」といった従来の想定にはない種々の歴史像も提示され、新年代の影響の大きさを窺わせた。

歴博グループは、旧石器時代から古代までの古代史の再構築という壮大な構想を持つ。鍵を握るのが、資料の測定値を実年代へ換算する手法の精度の向上だ。研究のスタート時点では、欧米型の換算法を使っていた。その後、古墳時代の始まりにかかわる紀元1〜3世紀など、欧米製が日本には適用できない時期があることを突き止めた。グループでは、年輪年代法によって実年代の確実な日本産樹木による換算法の充実や、その中国版、韓国版との連携を目指していく。

《いずれにしても、我田引用の都合のいい再構築にならないよう、この先も研究を続けてほしいものだ》。


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