「小学校英語」
莫迦の一つ覚えのようにエーゴ、英語と唱え、どうでもこうでも小学生に英語を習わせたいと考えるお上がいる一方で、導入に困惑している学校や教師がいるようだ。
毎日新聞(2/18、23)から、 要約と 《 》内は私見。
11年度から小学5、6年生で必修となる英語について旺文社が全国の公立小の担当教員にアンケートしたところ、約5割が「導入に不安が残る」と答えた。教育委員会に尋ねると不安を感じているのは約2割にとどまり、学校現場との間に大きな認識の差があることがうかがえた。
《教育の現場と教育委員会との認識のずれは、これまでにも往々にしてあることだ。教育現場は教えることへの不安、教育委員会はただ押し付ければいいことで、担当教師の実態が把握できていないのだろうか》。
調査は08年8〜9月、無作為抽出した公立小6000校の英語担当教員と全国全ての教育委員会の小学校英語主導主事に調査票を配布し、それぞれ約1割から回答を得た。
《それにしても、お互いの回答率の低さは何としたものか。無関心なのか、教師が忙しすぎるのか、せめて自治体別にでも整理されていれば何らかの傾向も掴めたかも知れないが、記事になった新聞紙上ではあまりにも漠然とした数字の集まりに過ぎないのではないか》。
英語の授業について「不安が残る」と回答したのは担当教員で52・5%、担当主事では22・0%で約30ポイントの開きがあった。教員が課題と感じていることを複数回答してもらうと最も多かったのは「指導内容・方法」で、約8割の教員が挙げた。指導計画、教材に関してもそれぞれ約6割が課題とみていた。
英語を教える環境について教員に尋ねたところ、整備が進んでいない割合が高かったのは「中学校との情報交換」「同一中学に進学する近隣小学校との情報交換」で、いずれも「十分に整っている」「ある程度整っている」と答えたのは合わせて2割程度しかない。
小学校英語に詳しい鳴門教育大・金重昇准教授は「小学校での指導を踏まえ中学校の授業をしないと、小学英語導入の成果は乏しい。少なくとも学校区、行政区レベルで教員同士の情報交換が必要だ」と話している。
《一方、学ぶ側の生徒たちは英語の授業をどのように捉えているのだろうか》。
広島市で開かれている日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会で22日、小学校での英語授業について「楽しくなかった」「役に立っていない」などと否定的に考えている中学生が多数を占めるというアンケート結果が報告された。
小学5、6年生の外国語活動が必須になる新学習指導要領は11年度から前面実施だが、09年度から多くの小学校で英語授業が実質的にスタートする。
この日は、ほとんどの生徒が小学1年から英語授業を受けている東京都目黒区立中学校の女性教諭(60)が今秋、1〜3年生計168人(全生徒の約8割)に実施したアンケート結果を報告した。
「あまり楽しくなかった」「楽しくなかった」との回答は87人で半数を超え「とても楽しかった」「楽しかった」の81人を上回った。楽しくなかった理由は「意味も分からず発音していた」「生徒が盛り上がらず先生だけがハイテンションだった」などだった。また「(中学で)あまり役に立っていない」という回答は70人で全体の4割を上回った。「全く役に立っていない」が38人。「少し役に立っている」が51人だった。
《87対81だ、これで反対が多かったというにはきつい、ほぼ拮抗した数だ。問題は楽しかったか、楽しくなかったかという問題ではない。日本に生まれた日本人として、日本で生活して行く上で、日本語での表現力も身につかない前に無理矢理に英語を教える必要がほんとうにあるのか、ということだ。世の中を見てもわかるように、大学生でありながら、母国語力は小学生や中学生並みの人間が溢れている》。
神奈川県内のある市立小学校の男性教諭(48)は競技名など五輪にちなんだ言葉を中国語で書いたカードを示し、英語で答えさせる実践例などを報告。市内から抽出した児童約150人のアンケートで96パーセントが英語授業を「楽しい」と答えていると発表した。
出席した教諭からは「なぜ嫌いになるのか、教え方のどこが悪かったのかなどを検証する必要がある」などの意見が出た。
《実施されることが決まった授業だが、この愚策、この先、日本語を使う日本人が徐々にこの国から消えていなくなるような気がしてならない。明治以来、外国を真似、追いかけて発展してきた日本ではあるが、いつまでも受け入れるばかりではなく、日本文化を発信する国づくりをして行くことを考えるべきだろう。そうでなければ、遠からず本当にアメリカの植民地に成り下がってしまうのではないか。これから先も日本にやって来る外国人は多くいるだろう。彼らこそ日本語を学んでから来るべきだ》。
たまたまブリュッセル(ベルギー)在住の同社支局員・福島良典からの「発信箱」への寄稿“日本語のすすめ”が目についた。
『江戸時代、日本はオランダ語を通して西洋の知見を手にした。医師・杉田玄白(1733〜1817)の著書「蘭学事始」に詳しい。「今時、世間に蘭学といふこと専ら行はれ、志を立つる人は篤く学び、無識(むしき)なる者は漫(みだ)りにこれを誇張す」蘭学を英語に置き換えると、今の日本の状況を指しているようだ。英語学習熱が高まり、何かというと、英語の効用を言い立てる人もいる — と。』
(中略)
『欧州に暮らして感じるのは、人々の言葉への思い入れの強さだ。自らの言葉と文化に誇りを持ち、それを海外に発信する国家戦略が徹底している。文化大国を自任するフランスは仏語の普及に務め、文化省予算(05年)は国家予算の約1%に上る。これに対して、日本の文化予算は約0・1%だという(平林博・前駐仏大使「フランスに学ぶ」)。
『日本は自国の言葉と文化を冷遇する一方、英語学習にエネルギーを費やし、外国の流行を追う。外来知識の獲得に汲々とする受け身の態度だ。
『「蘭学事始」から二世紀。外国から学ぶだけでなく、海外への日本語・文化の発信に力を入れる時だ。日本ブランドを世界に広め、知日派を増やそう。きっと、国益につながるはずだ。
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